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【麒麟がくる】第18回「越前へ」レビューと解説

  • 明智光秀
 2020/05/18
「麒麟がくる」第十八回レビュー用

高政の追っ手から逃れて越前に入った今回。新しいキャラクターも登場し、また思ってもみないところから新たな謎も出てきました。

朝倉義景はどうも光秀の実直さがお気に召さなかったようですが、これからちゃんと召し抱えられるのでしょうか。
(文=東 滋実)

伊呂波太夫って何者?

伊呂波太夫の助けで越前に入った光秀は、一乗谷の朝倉義景にあいさつをします。この時点で随分と待たされた描写があり、義景本人は明智を匿うのに乗り気ではないことがわかります。

手引きした伊呂波太夫がいなければ、また細川藤孝の仲介がなければ、隣国美濃との争いの火種になりかねない者など助けはしなかったでしょう。

ところで、義景と親しげな伊呂波太夫はさらっと「近衛家の家出娘」であることが明かされました。

義景の最初の正室は細川晴元の娘でしたが、子を産んで亡くなっています。その後継室として迎えたのが、五摂家筆頭として知られる近衛家16代当主・近衛稙家(たねいえ)の娘です。この娘は美女だったそうですが、義景との間に子はできなかったようで、後に離縁されることになります。

その近衛の姫君のきょうだいが、若き関白・前久(さきひさ)です。「麒麟がくる」公式サイトの登場人物ページを見ると、この前久の項目に「近衛家に拾われた過去をもつ伊呂波太夫と、幼少期、きょうだいのように育ち」とあります。つまり、伊呂波太夫は近衛家にいたことはいたが、近衛家の正式な姫君だったわけではないということでしょうか。

伊呂波太夫は義景室が「この芸人風情が近衛家で育ったなどとゆめゆめ申すでない」と罵った、と語っていました。この口ぶりからすると、自分より劣っていると思いつつも、近衛家とはまったく関係ない人物として無視できない程度の存在なのか、嫌悪感を表に出さずにはいられないようですね。「拾われた」はまるっきり赤の他人というわけでもなさそうな感じがします。伊呂波太夫は近衛稙家の庶子なのでしょうか。

稙家の娘に、慶福院花屋玉栄という女性がいます。この人は『源氏物語』の注釈書『花屋抄(かおくしょう)』の著者であるとされ、秀吉の晩年に『源氏物語』の指導をしていたのでは、という見方もあります。

秀吉といえば、本作では伊呂波太夫を姉と慕う駒が、文字を教えています。伊呂波太夫の交友関係をもってすれば駒を介さずとも秀吉とのつながりはすぐにできそうですが、なんとなく「秀吉に文字を教えた駒」と、「秀吉に源氏物語を解説した玉栄」は共通点がありそうではありませんか。

オリジナルキャラクターであることは明らかなので、「伊呂波太夫=玉栄」とは言い切れずとも、どこかしら参考にしているところはあるのかもしれませんね。

そういえば、伊呂波太夫はもうひとりのオリジナルキャラクター・菊丸とも何かありそうです。今回、特別言葉を交わした描写はありませんでしたが、お互いに視線を合わせて意味ありげな顔をしていました。

同業っぽいふたりですが、味方ではなさそうですよね。菊丸は家康を守る役目がありますから、長く駿河を離れるわけにはいかなかったのでしょうか。

煕子の献身

義景がお金をあげようというのに、断ってしまった光秀。仲介者である藤孝、帰蝶が借りを作ってしまうことになるからです。義景はこういうところが気に入らなかったのでしょうか、「抉るように」光秀が座っていた場所を拭かせて……。

そんな光秀に与えられたのは、見事なボロ屋です。家屋は荒れ果て、庭は草が生え放題。これを見て『源氏物語絵巻』の「蓬生」巻を思いだしました。源氏が須磨・明石に追いやられた間放置された末摘花の邸とどっこいどっこいのあばら家です。

手入れしようにも、掃除する道具もない状況。光秀は父の遺品である数珠を質に入れようとしますが、妻の煕子はそれとわからないよう、かわりに自分の帯を質に入れ、数珠を大事に懐へおさめるのでした。

美濃を追われて貧乏生活を送る光秀を、煕子が献身的に支えた、というのは逸話にもなっています。有名なのは、光秀の仲間をもてなすために煕子が自分の髪を売って金を工面したというものです。こういうエピソードも今後ドラマに登場するかもしれませんね。

織田信勝の死

一方、尾張では信長と対立する弟・信勝が斎藤高政と手を組み、さらにその背後には今川義元がいる、というのが目下の懸案事項でした。

この状況を憂い、信勝の行動について信長に密告したのが「権六(ごんろく)」こと柴田勝家です。勝家は信秀時代から家臣として仕えた人物で、信秀の死後は信勝の家老として仕えていました。

ドラマでは勝家離反までの過程が詳しく描かれていませんでしたが、勝家が信勝から離れて信長に謀反計画を密告したのは、信勝の近臣であり若衆(男色相手)であった津々木蔵人(つづきくらんど)が重用され、思いあがって勝家を侮るようになったのを無念に思ったため(『信長公記』)ともいわれています。

信長は仮病で信勝を清須城へ呼び、自害させました。

仮病で弟を呼んで謀殺、というと高政を思い出しますね。違うのは、弟たちと直接向き合うこともなく家臣に斬らせたのが高政で、弟と互いのコンプレックスについて初めて語り合い、初めて弟と心から通じ合い、その上で自害を命じたのが信長であるということです。

高政は父とも弟とも深く語り合うことはありませんでした。父に感情をぶつけたことはありましたが、それは「母の宿望」を盾にしたものに過ぎません。自分は父に対してどういう感情をもって、何に不安を抱いているのか、そこを語ることなく父兄弟と死に別れてしまったのです。

信勝が見舞いといって持ってきた水(毒)は、土田御前も承知のことだったのでしょう。それがまた信長を傷つける。信勝が毒を持ってこなければ、信長もここで死ねとは言わなかったでしょう。だって一度戦にまでなって、母の必死の願いで赦していますからね。でも、毒殺を謀るような弟をもう生かしてはおけないと判断して即座に行動に移せるのはさすが信長です。

信勝役の木村了さんもおっしゃっていましたが、信勝は「ふさわしいのは信長だと認めたから、自ら毒を飲んだ」のです。腹を割って語り合い、信長は面と向かって死を命じ、信勝は兄を認めた上で死を選んだ。どちらも正直者です。

そして信勝と会って話すように勧めたのは正直者道三の娘・帰蝶でした。帰蝶の兄に毛ほどでも似たところがあればと思うのですが、相手に真正面から向き合うことに関してはどうも似ていないようですね。


【参考文献】
  • 『国史大辞典』(吉川弘文館)
  • 二木謙一編『明智光秀のすべて』(新人物往来社、1994年)
  • 奥野高広・岩沢愿彦・校注『信長公記』(角川書店、1969年)
  • 高柳光寿『明智光秀』(吉川弘文館、1958年)


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