『源氏物語』光源氏の子供たち 予言されていた帝、大臣、中宮の誕生

『源氏物語絵巻 巻四 鈴虫』 座に座っているのが冷泉院、その前で背中を見せて畏まっているのが光源氏、笛を吹いているのは夕霧とみられる(出典:国立国会図書館デジタルコレクション)
『源氏物語絵巻 巻四 鈴虫』 座に座っているのが冷泉院、その前で背中を見せて畏まっているのが光源氏、笛を吹いているのは夕霧とみられる(出典:国立国会図書館デジタルコレクション)
 紫式部の『源氏物語』の主人公・光源氏は数多くの女性と恋愛しますが、子供の数は少なく、葵の上との間に生まれた夕霧、明石の君との間の娘・明石の姫君(明石中宮)がいます。さらに桐壺帝の皇子・冷泉帝の実父が光源氏。また、女三の宮が産んだ薫は表向き光源氏の子ですが、実父は別人です。

 すなわち、光源氏の実子は冷泉帝、夕霧、明石の姫君の3人。表面上は夕霧、明石の姫君、薫の3人となります。さらに養女が2人。秋好(あきこのむ)中宮と玉鬘(たまかずら)。

 ちょっと複雑ですが、それぞれ『源氏物語』を彩る人物です。

「冷泉帝」光源氏に皇位を譲ろうとした若き帝

 光源氏は人相を見る占い師に「御子が3人生まれ、帝と后、もう一人は太政大臣として位を極める」と予言されます。その帝が冷泉帝。光源氏19歳のとき、桐壺帝(光源氏の父)の第10皇子として誕生します。母は藤壺女御(藤壺中宮)。ところが、とんでもない秘密を抱えていました。

11歳で即位、14歳で秘密を知る

 藤壺は光源氏の義母で、年齢差は5歳。光源氏は恋愛感情を抱き、強引に禁断の関係を持ち、藤壺は懐妊。生まれてきた皇子が冷泉帝です。

 何も知らない桐壺帝は喜び、光源氏が生まれたころを思い出します。

桐壺帝:「皇子は多くいるが、このようにそなた(光源氏)だけを見ていたのだよ。そのせいか、この皇子は実にそなたによく似ている」

 その後、冷泉帝は11歳で即位。14歳のとき、母・藤壺が37歳で崩御。夜居の僧都の告白で実父が光源氏であることを知ります。冷泉帝は驚き、光源氏に皇位を譲ろうとしますが、それは秘密の公表が前提となり、あり得ないことでした。

※参考:光源氏の人物相関(実線は親子、二重線は婚姻、二重の点線は不義、赤矢印の点線は恋愛関係)
※参考:光源氏の人物相関(実線は親子、二重線は婚姻、二重の点線は不義、赤矢印の点線は恋愛関係)

実父・光源氏を准太上天皇に

 女御は何人かいて、1人目は頭中将(とうのちゅうじょう、このときは権中納言)の娘・弘徽殿(こきでん)女御。年齢も近く、よい遊び相手でした。即位2年後、光源氏の養女が入内(じゅだい)。女御から中宮となる秋好中宮です。源氏はもう1人の養女・玉鬘も冷泉帝に入内させようとしますが、これは実現しません。

 冷泉帝は21歳のとき、光源氏(39歳)を准太上天皇の称号を贈ります。上皇に準ずるという破格の待遇です。そして28歳の若さで譲位。皇位にあった18年間は光源氏が栄華を極めた時期と重なります。

「夕霧」対象的な嫡男 堅物ながら子だくさん

 「太政大臣となる御子」と予言されたのが夕霧です。物語の中では左大臣まで出世しており、この後、太政大臣に就いたと解釈して無理がありません。

 光源氏22歳のとき、誕生。母は葵の上です。冷泉帝との関係は世に知られていないので表向きは長男。葵の上は出産直後に急死し、その母・大宮に養育されました。

雲居雁と結婚、6年越しの恋実る

 12歳で元服。最有力貴族・光源氏の嫡男ですから四位に就けたはずですが、光源氏は六位からスタートさせ、大学で学ばせます。学問を身につけて実力で出世させようという教育方針。光源氏の側室・花散里が母親代わりとなります。

 妻は頭中将の娘・雲居雁(くもいのかり)。祖母・大宮のもとで一緒に育った幼なじみですが、頭中将(このときは内大臣)は雲居雁を東宮妃にしようと考えます。夕霧との仲は認めない態度でしたが、思惑通りに進まず、結局6年後に和解。雲居雁との結婚を許します。夕霧18歳のときです。

側室・藤典侍は光源氏側近の娘

 夕霧は堅物として描かれていますが、側室はいます。光源氏の側近・惟光の娘・藤典侍(とうのないしのすけ)です。12歳で雲居雁との仲を引き裂かれたとき、一方では五節の舞姫にひとめぼれして和歌を贈ります。その舞姫が藤典侍です。

 光源氏の子は3人ですが、夕霧は12人の子持ち。雲居雁との間に4男3女。太郎君、三郎君、五郎君、六郎君、中の君、四の君、五の君。藤典侍との間に2男3女。二郎君、四郎君、大君、三の君、六の君。写本によって多少の違いはあります。

 夕霧は親友・柏木の死後、その妻・落葉宮にも思いを寄せ、29歳のとき、3人目の妻とします。このとき、正妻・雲居雁とは派手な夫婦喧嘩を展開しました。

「明石の姫君」紫の上に養育され、中宮に

 光源氏29歳のとき誕生した一人娘が明石の姫君です。母は明石の君。光源氏の妻・紫の上に養育され、今上帝が東宮のときに入内します。

実母とは8年ぶりに再会

 光源氏が失脚して京を離れ、明石で出会ったのが明石の君。娘も誕生し、政界復帰後、まず3歳の娘を引き取ります。后の誕生を予言されていた光源氏は娘を京で育てたいと考えたのです。子のいない紫の上もすぐに気に入って実母のように接します。明石の姫君は光源氏の新邸・六条院の春の御殿で生活。実母・明石の君も六条院の冬の御殿で暮らしますが、母子が会う機会はなかなかありません。東宮への入内の際、8年ぶりに感激の再会を果たします。

皇太子や匂宮の母

 明石の姫君は11歳で入内し、2年後に皇子を出産。18歳のとき、東宮が即位し、今上帝となります。新しい東宮は明石の姫君が産んだ皇子です。さらに23歳ころに中宮となります。そして光源氏とともに養母・紫の上の最期を看取りました。

 今上帝との間に4男1女をもうけ、その一人、匂宮(におうのみや)は紫の上に懐き、光源氏死後の『源氏物語』の重要人物として活躍します。

「秋好中宮」六条御息所に託された養女

 光源氏の養女から冷泉帝の女御となり、中宮となったのが秋好中宮。母は光源氏の恋人・六条御息所、父は前東宮(桐壺帝の弟)です。父とは誕生まもなく死別。14歳で未婚の女性皇族から選ばれて伊勢神宮に仕える斎宮となります。

斎宮女御、梅壺女御

 20歳のとき、帝の代替わりに伴う斎宮交代で京に戻り、まもなく六条御息所が病死。光源氏(29歳)の養女となります。光源氏もその美しさにひかれますが、六条御息所に男女関係にならぬよう釘を刺されており、さすがに自制します。22歳のとき、冷泉帝の女御として入内。前斎宮であることから斎宮女御、また、住まいとした凝花舎(ぎょうかしゃ)の別名から梅壺女御と呼ばれました。

「絵合わせ」の名勝負

 冷泉帝の9歳年上でしたが、絵が得意で冷泉帝の関心をひきます。名画を論評し合う「絵合わせ」まで開催されることになりました。先に入内していた弘徽殿女御の父・頭中将(このときは権中納言)は絵師を集め、ライバル心むき出し。梅壺女御と弘徽殿女御の勝負となり、最後は光源氏が描いた須磨の絵日記が人々の感動を呼び、勝負あり。光源氏が後見する梅壺女御が会心の勝利となりました。

 その後、中宮になります。光源氏に「春と秋、どちらが好きですか」と聞かれて「母が亡くなった秋に心をひかれます」と答えたことから秋好中宮という呼び方が定着します。

「玉鬘」恋人・夕顔の忘れ形見

 恋人・夕顔の遺児で光源氏の養女となるのが玉鬘です。彼女を中心に物語が展開する第22帖「玉鬘」から第31帖「真木柱」を「玉鬘10帖」と呼びます。

実父は頭中将、幼少期は九州に

 実父は頭中将。夕顔は頭中将の恋人で、そのとき生まれたのが玉鬘です。正妻の嫉妬を恐れて夕顔は姿を消し、頭中将は行方を知らないまま。その後、夕顔は光源氏と恋愛。秘密の場所で密会中に生き霊に祟られて急死し、事情を知る夕顔の侍女・右近はそのまま光源氏に仕えます。

 ほかの夕顔の侍女たちは事情が分からぬまま。玉鬘は乳母の夫の任地、九州へ移ります。成長した玉鬘は実父との再会を願って乳母たちとともに京に戻り、長谷寺(奈良県桜井市)を参詣したとき、右近と出会います。右近を通じて玉鬘の動向を知った光源氏が六条院に迎え入れ、養女としました。夕顔の死から18年。玉鬘は21歳です。

貴公子たちの求愛と髭黒大将の大逆転

 光源氏はよい婿を品定めしつつ自身も恋愛感情を出してしまう悪い癖も出てしまいます。光源氏の弟・蛍兵部卿や異母姉妹とは知らない柏木ら多くの公達から思いを寄せられ、さらには冷泉帝の尚侍(ないしのかみ)として入内が決まります。しかし、出仕直前、髭黒大将が強引に関係を持ち、妻とします。光源氏も不本意ながら既成事実を認めるしかありません。

「薫」光源氏死後の主人公

 光源氏の後妻・女三の宮が産んだ男児が薫。実名ではなく、生まれつき芳香を放つという特徴を捉えたニックネームです。女三の宮は13~14歳で39歳の光源氏と結婚。9年後、薫が誕生します。しかし、薫の実父は頭中将(このときは致仕大臣。退任した大臣)の長男・柏木です。

因果応報 後妻・女三の宮の不義

 女三の宮は21~22歳で懐妊しますが、柏木との密会が早々に露見。光源氏はねちねちと柏木を追い詰めていきます。

光源氏:「年を取ると酔い泣きが止められない。衛門督(えもんのかみ、柏木)が笑っているのが実に恥ずかしい。しかし、時間は逆戻りしない。誰も老いから逃れることはできないよ」

 宴席での冗談ですが、自分に向けられた皮肉だと知る柏木は強烈なプレッシャーとなって病床に伏します。そして薫誕生からまもなく、柏木はついに死去。女三の宮はどうにもならない立場に立たされて出家します。

 一方、光源氏は若いころの我が身を振り返り、因果応報を思わずにはいられませんでした。

無心にはい回り、タケノコをかじる

 誕生から1年。薫はやっとよちよち歩きができるようになったころで、光源氏の前で無心にはい回ります。朱雀院から贈られたタケノコが盛られた器に何であるかも知らず近寄って取り散らかしてしまいます。生えかけた歯でタケノコをかじろうとする無邪気な姿が描かれます。

光源氏:「何と行義が悪い。風変りな色男だなあ」

 光源氏はにこやかにわが子の成長を見守る父を演じ、秘密を隠し通す態度を貫きます。

 光源氏死後も『源氏物語』は続きます。若者に成長した薫が新たな主人公として、明石中宮の子・匂宮(光源氏の孫)を恋のライバルとして活躍します。

おわりに

 光源氏の子供は少ないのですが、キャラクターがしっかり立ち、それぞれの恋愛事情も描かれ、重要な登場人物です。光源氏の中年以降は子供たちが主役、脇役を入れ替わりながら重層的に物語が展開。長い物語をしっかりと支えているのです。


【主な参考文献】
  • 今泉忠義『新装版源氏物語 全現代語訳』(講談社)講談社学術文庫
  • 紫式部、角川書店編『ビギナーズ・クラシック日本の古典 源氏物語』(KADOKAWA)角川ソフィア文庫
  • 林望『源氏物語の楽しみかた』(祥伝社)祥伝社新書
  • 秋山虔、室伏信助編『源氏物語必携事典』(角川書店)

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  この記事を書いた人
水野 拓昌 さん
1965年生まれ。新聞社勤務を経て、ライターとして活動。「藤原秀郷 小説・平将門を討った最初の武士」(小学館スクウェア)、「小山殿の三兄弟 源平合戦、鎌倉政争を生き抜いた坂東武士」(ブイツーソリューション)などを出版。「栃木の武将『藤原秀郷』をヒーローにする会」のサイト「坂東武士図鑑」でコラムを連載 ...

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