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“大大阪時代”とは? 大阪の歴史とおすすめ近代建築を紹介!
- 2024/05/07
1920年代から30年代にかけて、大阪市が「大大阪」と呼ばれていた時代があります。これは、当時の大阪市が、人口、経済、文化などあらゆる面で全国有数の都市として急速な発展を遂げていたことが背景にあります。
大阪には今でも当時の面影が残る近代建築が残り、趣たっぷりに散歩することもできますよ。今回はそんな大阪の「大大阪時代」について、詳しくご紹介していきます。観光の参考にもしてみて下さいね。
大阪には今でも当時の面影が残る近代建築が残り、趣たっぷりに散歩することもできますよ。今回はそんな大阪の「大大阪時代」について、詳しくご紹介していきます。観光の参考にもしてみて下さいね。
大大阪時代とは?
1920年代から30年代にかけて、大阪市は人口や工業出荷額において国内第一位。東京をも凌ぐ大都市で、世界有数の規模を誇る街でした。当時の大阪の発展の理由
もともと大阪市は、製造業や商業などで発展してきた街です。はるか昔から港を中心として交易がさかんであり、都が置かれていた時代もあります。そこから衰退することもなく、商業や製造業の技術が受け継がれ、ずっと根付いてきた文化であるといえるでしょう。
江戸時代から後は、主に大阪商工会議所をはじめとする経済団体が中心となって産業振興に取り組みました。また大阪には、商業施設だけでなく、劇場、飲食店、遊園地など、多彩なエンターテインメント施設が建設され、文化的な発展も…。
このような繁栄の中で、「大大阪」という言葉が生まれ、大阪が全国的にも有数の都市として注目を集めるようになりました。
大大阪時代の衰退
しかし、「大大阪時代」は長くは続きませんでした。第二次世界大戦時の空襲では多くの建物が壊され、また戦後の混乱期や、高度経済成長期以降の社会変化によって、大阪市の経済・文化的地位は変化し、あらゆる面で東京に遅れをとってしまいました。今では「大大阪」という言葉が使われることはなくなってしまいました。大大阪時代の遺構
大大阪時代に建てられた建築物は、今でもいくつか残っています。特に多いのが、当時の中心地であった淀屋橋や本町、中之島などの経済の中心地です。現役の建物も多く残り、現代風にリニューアルして使用されているものも。大阪は意外にもレトロ建築の宝庫の町でもあるといえるでしょう。
では、どんな建物があるのでしょうか?その一部をご紹介します。
大大阪時代前後の建造物等
大阪証券ビル市場館(1935年竣工)
大阪市中央区の本町にある建物で、当時は株式市場の中心地として栄えました。
大阪瓦斯ビルヂング(1933年竣工)
大阪市北区の梅田にある建物で、当時は大阪ガスの本社ビルとして建てられました。改修ののち、現在でも本社ビルとして使われています。
中央電気倶楽部(1913年竣工)
大阪市北区の梅田にある建物で、当時は電気の普及を推進するために建てられました。大阪府立中之島図書館(1904年竣工)
大阪市中央区の中之島にある図書館で、重厚なレンガ造りの建物が特徴的です。
大阪市中央公会堂(1918年竣工)
大阪市中央区の北浜にある建物で、現在は国の重要文化財に指定されています。
大阪倶楽部(1924年竣工)
大阪市北区の梅田にある建物で、当時は上流社会の人々が集まる社交場として栄えました。大阪観光にもおすすめの建築巡り
実は最近、レトロ建築を巡るツアーも登場していたりと大大阪時代を懐古しその趣を楽しむような観光なども人気のようです。レトロ建築の中には、人気飲食店にリニューアルされているものもあり、気軽にその中をみてまわることも可能。また、当時の面影を残す洋食店などもあり、大大阪時代に思いを馳せながら楽しむこともできます。
大阪といえばUSJなどのエンターテイメントを楽しむために観光しに来る方も多いかもしれませんが、歴史を知っていつもとは違う大阪を楽しむのも素敵ですね。
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