天狗の歴史 ~日本書紀から鬼滅の刃まで

 赤ら顔に長い鼻、山伏風の装いで一本歯の高下駄をはき、羽団扇(はうちわ)を持って木から木へと飛び移る。もしくは鳥のような嘴(くちばし)を持ち、背には翼をはためかせている。

 天狗と聞くと、こんなイメージを思い浮かべますね。人ならざる異能を持つ妖怪、天狗。その風貌は、見る者に威圧感を与えます。しかし、人へいたずらを仕掛ける小悪党として描かれることもあり、どこか憎めない印象もあります。

 こうしたイメージは近世になって完成したものですが、それよりも前の時代、天狗はどのような存在だったのでしょうか。今回は、日本の妖怪・天狗について、古代から現代までの歴史をたどっていきます。

天狗というイメージの変遷

 「天狗」は、漢字で天の狗(いぬ)と書きます。これは古代の中国で、流れ星を「天狗(てんこう)」と呼んでいたことが、日本へ伝わってきたと考えられています。

 『日本書紀』では、舒明天皇9年(637)の9月に大きな流れ星が東から西に流れ、雷に似た音が鳴り響いた際、旻(みん/びん)という僧が、その流れ星を「天狗(あまつきつね)」であると言いました。しかし、流れ星を天狗と呼ぶ風習は、日本では定着しなかったようです。

 続いて中世の日本では、平安時代末期の『今昔物語集』、南北朝時代の『太平記』において天狗が登場しますが、そこに流れ星や犬といった属性は見られず、滑空するという特徴のみが残ったようです。当時の天狗は、仮の姿として鳶などの鳥に化けていました。

 今昔物語集での天狗は、仏法に敵対する存在として描かれ、法師や仏に化ける話、女に憑依して高僧を誘惑する話などがあります。

 近世に時代が移ると、天狗と修験道(しゅげんどう)との関わりが強くなります。修験道とは、古くから山を聖地とする山岳信仰が、仏教や道教・神道などの影響を受けて体系化した宗教のひとつです。

 修験道を志す者たちは山で修行して超自然的な験力(げんりき)を得、「修験者」や「山伏」と呼ばれるようになりました。このような山伏の中でも、特に名声や利益を追い求める傲慢な者が天狗になると考えられていたようです。

 天狗と修験道が結びついた結果、江戸時代中期に書かれた『天狗経』では、牛若丸(源義経)に剣術を授けたという鞍馬山僧正坊を始めとする、48の天狗が列挙されました。さらに天狗は御伽草子などの絵巻にも描かれるようになり、大衆に広まっていきます。

 そして近世以降の天狗には神隠しの要素が加わり、今日における天狗のイメージへ結びつくようになります。

生きながら天狗となった崇徳院

 天狗にまつわるエピソードの中で、特に印象的なお話を紹介します。平安時代に書かれた『保元物語』や、その後に書かれた『源平盛衰記』には、日本三大怨霊と呼ばれる崇徳院が天狗になるというお話が書かれています。

 崇徳院は、保元元年(1156)に起こった保元の乱において後白河天皇に敗北し、罪人として讃岐国(香川県)へ下りました。その後は、指から流した血(諸説あり)を使って法華経などの写本作りに専念しましたが、完成した写本を都へと送ったものの送り返されたために激怒し、舌を嚙み切り、その血でもって呪詛を書きつけたといいます。

 崇徳院は

「日本国の大魔縁(まえん)となり、天下を乱(みだ)り国家を悩まさん」
『源平盛衰記』より

と言い放ったということです。

 魔縁とは、仏教の教えを妨げる魔物のことであり、天狗道へ堕ちた者のことを指します。天狗道は仏教の六道には含まれておらず、輪廻からも外れた異界と解釈されていました。

崇徳上皇が讃岐で崩御し、怨霊になる瞬間を描いた一場面(歌川芳艶画、出典:wikipedia)
崇徳上皇が讃岐で崩御し、怨霊になる瞬間を描いた一場面(歌川芳艶画、出典:wikipedia)

 崇徳院は、崩御の際まで爪や髪を伸ばし続けて夜叉のような相貌となり、生きながら天狗になったとされています。その後、平安京では大火事や事件などが相次いで起こったために、崇徳院の怨霊による祟りなのではないかという噂が貴族たちの間でささやかれるようになりました。

 ここから、崇徳院の悲劇的側面がクローズアップされていったと考えられています。そして、崇徳院が崩御してから20年目となる寿永3年(1184)に、崇徳院をまつる霊廟(のちの粟田宮/あわたのみや)が建立されました。

神隠しをする山の神・天狗

 天狗には、山の怪異現象や山の神として信仰されてきたという側面があります。民俗学における天狗の伝承では、深夜に山中で木を切り倒す音が聞こえたり、どこからともなく笑い声が聞こえたりといった怪奇現象と関連付けられることが多く、その姿については定まっていません。

 また、有名な天狗の言い伝えとしては「神隠し伝説」があり、山などで行方不明となった人は天狗にさらわれたのだと考えられていました。現代の視点だと、実際の理由は家出や誘拐だったのではないかと推測できますが、大規模な山中捜索が可能になる前は、人外の存在に隠されたと信じられていたのです。

 「天狗の神隠し」は、先の『今昔物語集』などにおいて書かれた「天狗の偽来迎(にせらいごう)」から発展したものと考える説があります。

 平安時代には、高僧が亡くなる際に、阿弥陀如来の一行が迎えに来ると信じられていました。一方で、修行を怠けている僧のもとには、仏に化けた天狗があらわれ、僧を連れ去ってしまうと言われていたのです。時代が下るにつれて、この「僧を連れ去る」という行為が「人を連れ去る」と変化していったようです。

 天狗にさらわれた人の話では、文政5年(1822)に出版された、寅吉という少年が異界を旅する『仙境異聞(せんきょういぶん)』が有名です。この本は、2018年に『天狗にさらわれた少年』という抄訳が出版されたことにより、異世界転生のブームに相まって話題となりました。

 仙境異聞において寅吉は、老人に連れられて常陸国(茨城県)の天狗の修行場へと赴き、数々の修行を積みながら多くの土地を訪れたと語りました。著者の平田篤胤(あつたね)は、寅吉から直接話を聞き、これを本にしたということです。

 かつて、山近くに住む人々が子どもに言い聞かせた「ひとりで外にいると天狗にさらわれるよ」という注意は、天狗の神隠しが近年まで信じられてきたことの証でしょう。

 天狗の歴史をたどってみて、平安時代からその存在が知られていたことに驚きました。中世には天狗と山が、近世では天狗と修験者が結びつくなど、時代や社会の変遷にともなって、天狗のイメージも変わったことが分かりましたね。

おわりに

 天狗といえばその姿がイメージできるように、現代にいたるまで、天狗にまつわるお話は数多く語り継がれてきました。日本の妖怪である天狗は、日本の漫画や小説のモチーフとしてもよく使われています。

 最近では、漫画『鬼滅の刃』にて主人公の竈門炭治郎を導いた鱗滝左近次が、天狗のお面をつけていましたね。これは鱗滝左近次の素顔が優しすぎるという理由からでしたが、天狗の顔が威圧的だというイメージと合致する、興味深いお話と言えるでしょう。

 また「刀鍛冶の里編」において登場する上弦の鬼「半天狗(はんてんぐ)」は、卑怯な性格や分裂体が扱う団扇や空を飛ぶ能力など、天狗が持つ多様な特徴をそなえています。

 今日、自制の意味で使われる「天狗にならないように」という戒めの言葉は、ニュースや日常の会話でも頻繁に聞かれます。私たちが想像する天狗の姿の内側に、今昔物語集や崇徳院などのエピソードが関わっていると考えると、途方もない気持ちになりますね。

 天狗伝説が残る神社やお寺、民話や昔話は日本各地にあります。お住まいの地域で、もし天狗のお話が残っているなら、どのような性格か、どのような姿なのかに注目してみると面白いかもしれませんよ。


【主な参考文献】
  • 朝里樹『日本異類図典』ジー・ビー 、2022年
  • 井上光貞『日本書紀(下)』中央公論新社、2020年
  • 小松和彦『神隠しと日本人』KADOKAWA、2013年
  • 小松和彦『異界と日本人』KADOKAWA、2015年
  • 小松和彦『神になった日本人』中央公論新社、2020年
  • 福田アジオ他編『日本民俗大辞典 上』吉川弘文館、1999年
  • 福田アジオ他編『日本民俗大辞典 下』吉川弘文館、2000年
  • 平田篤胤『天狗にさらわれた少年 抄訳仙境異聞』KADOKAWA、2018年

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  この記事を書いた人
なずなはな さん
民俗学が好きなライターです。松尾芭蕉の俳句「よく見れば薺(なずな)花咲く垣根かな」から名前を取りました。民話や伝説、神話を特に好みます。先達の研究者の方々へ、心から敬意を表します。

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