日露戦争で日本軍と共に戦った人ならざるモノたち

日本が初めて西欧列強と本格的な近代戦を繰り広げた日露戦争。アメリカ合衆国の斡旋でポーツマス条約を締結して終戦になりましたが、どうもこの戦いで日本軍には人ならざるモノが混じって戦っていたようなのです。

日本軍に加勢した人外のモノたち

大国ロシア帝国に挑んだ日本軍、大陸での戦いは決して楽なものではありませんでした。そんな日本軍の苦境を知り、国内でやきもきしていた存在が居ました。日本列島に古来から住み着き、民の喜びを我が喜びとし、民の悲しみを我が悲しみとしていた八百万の神々や、天狗・神通力を持った狸など人外のものたちです。

戦況を伝え聞いた彼らは「我らも日の本の民と共に戦わん」と四国からは、狸の親分が子分一同を引き連れて加勢に駆け付けます。もともと四国は日本一の狸処として知られており、土地の人々も狸を神として祀っていました。

「日頃社を掃除し供物を備えてくれる人間が苦戦している、助けるのは今だ──。」

愛媛出身の兵士で構成された歩兵第22連隊は、旅順と奉天の両方の戦いに参加しました。その戦場に出張って行ったのが喜左衛門狸です。

軍隊狸

喜左衛門は伊予の大気味(おおきみ)神社境内に亭々と茂る大樹を棲みかとしていました。変化の術に優れた喜左衛門と配下の狸たちは、小豆に化けて軍需物資の麻袋に潜り込み、大陸に到着するとまさに小豆のようにパラパラとはじけ飛んで日本軍全軍に散らばります。

彼らは赤い軍服を着こんでいたようですが、当時の正規日本軍は赤い軍服など着ていません。この赤い狸軍団はロシア兵にも目撃者がいて、アレクセイ・クロパトキン将軍が手記に書いています。

「日本軍の中にはときたま赤い制服を着た兵隊が見える。奴らは鉄砲の弾を食らっても平気で前進してくる。この兵隊を撃つと目がくらむと言うロシア兵も居るが、奴らの赤い軍服には〇に喜の字が書かれていたそうだ」

ロシア兵に日本語が読めたのかとも思いますが、厄介で不気味な日本兵と思われていました。愛媛県今治市に居た梅の木狸の一隊も、赤い軍服を着て戦ったと言います。

香川県高松の浄願寺(じょうがんじ)に住み着く禿狸も、子分の狸たちを連れて大陸へ渡ります。こちらは戦場に山を築き、ロシア兵が登って来ると一気に山を崩して生き埋めにしてしまいました。

彼らは日本軍に加勢して戦った人外のモノの中でも特に『軍隊狸』と呼ばれ、日清戦争のころから活躍を始めました。

神も天狗も

狸の他には天狗の参戦も伝えられます。

群馬県沼田市にある迦葉山弥勒寺(かしょうざんみろくじ)に住む天狗も、日本軍に合力しました。ここの天狗は京都鞍馬寺僧正ヶ谷に住む鞍馬の大天狗や、東京の高尾山薬王院に住む天狗と共に、日本三大天狗に数えられます。

狸も天狗も、となれば八百万の神々も黙って居られません。「我らこそ日の本の守り神ぞ!」いくつもの瑞祥を顕わして日本軍を鼓舞します。開戦直後の明治37(1904)年2月、航行中の軍艦「高千穂」の船首に鯨が激突しました。幸い船体には傷一つつかず、逆に鯨の方が鋭い船首で切り裂かれてしまったようです。乗組員たちはこれを敵を撃破する瑞祥と捉え、士気が高まりました。

高千穂は日清戦争の時にも鷹がマストに舞い降りたとの逸話を持っています。これは古代神武天皇東征のおりに、金色の鳶が天皇の持つ弓の上にとまり、その光で敵兵の目をくらました故事を思い起こさせる吉事であるとされ、その鷹は瑞鳥として明治天皇に献上されました。

日本海軍の二等巡洋艦「高千穂」(出典:wikipedia)
日本海軍の二等巡洋艦「高千穂」(出典:wikipedia)

茨城県にある鹿島神宮の御祭神は、日本神話に登場する、戦の神として名高い建御雷神(たけみかづち)です。

戦場に向かう兵士たちを載せた列車が茨城県を通過していた時、鹿島神宮の近くで突然止まってしまいました。出征列車がわけも無く止まるなど縁起でもないと車体を点検しますが、故障個所も見当たりません。すると5分ほど経って何事も無かったように自然に動き出しました。乗っていた兵士たちは、「鹿島様が一緒に戦地へ行くために列車を止めて乗車なされたのだ。神様が付いておられるから俺たちは絶対に生きて帰れるぞ」と喜び合いました。

江戸時代の浮世絵に描かれた建御雷神(岳亭春信画、出典:wikipedia)
江戸時代の浮世絵に描かれた建御雷神(岳亭春信画、出典:wikipedia)

山口県にある出雲大社の分社でも不思議が起きます。日露戦争が始まった頃、境内に居た白鳩が一斉に姿を消してしまいました。ところが戦争が終わるとどこからともなく戻って来て、以前と同じように境内を飛び回ります。人々は神々が白い鳩に乗り移って戦地に向かい、日本兵を加護したのだと噂しました。この白鳩は日清戦争の時にも同じように姿を消したそうです。

倒れない白い日本兵

以下は民俗学の泰斗柳田邦男が『遠野物語拾遺』の中に書いているのですが、岩手県のある村から出征した似田貝(にたがい)と言う兵士が、捕虜になったロシア軍から聞いた話です。

「日本軍の中には白い服と黒い服を着ている兵士がいる。黒い服の兵士は銃で撃てば普通に倒れたが、白い服の兵士はいくら撃っても倒れなかった。あれは化け物か」

と言ったそうです。当時の日本陸軍に白い軍服はありません。似田貝にも白い服の兵士の正体はわかりませんでしたが、どこかの神様が一緒に戦ってくれたのかな、と思ったそうです。

おわりに

このように狸や天狗・神々が日本軍に加勢した話は、日清・日露戦争の頃にはよく聞かれました。しかし太平洋戦争となると、個人的に先祖の霊に助けられたとか、村の氏神様の導きで敵地から脱出出来たなどの話は伝わりますが、組織的な援軍の話は無くなります。

日清・日露のころには普段の暮らしの中にあやかしたちが居ました。しかし太平洋戦争の時代、近代化を遂げた軍隊にもう妖しのモノの入り込む余地は残されていなかったようです。


【主な参考文献】
  • 加門七海『霊能動物館』(集英社、2014年)
  • 茂木謙之介ほか『〈怪異〉とナショナリズム』(青弓社、2021年)

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  この記事を書いた人
ichicokyt さん
Webライターの端っこに連なる者です。最初に興味を持ったのは書く事で、その対象が歴史でした。自然現象や動植物にも心惹かれますが、何と言っても人間の営みが一番興味深く思われます。

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