月の呼び方いろいろ ~日本人の風流の原点~
- 2024/01/25
平安時代の雅な貴族も戦国武将も、たった一つの月を愛でてきました。
田畑を耕す農民も楽市楽座の商人も誰もが毎晩空を見上げたことでしょう。月もまた人々の長い歴史を見続けてきてくれました。それゆえ日本人の風流の原点が月ではないかと私は勝手に思っています。
風情を感じる月の呼び方を、俳句歳時記を開きながらご紹介します。
田畑を耕す農民も楽市楽座の商人も誰もが毎晩空を見上げたことでしょう。月もまた人々の長い歴史を見続けてきてくれました。それゆえ日本人の風流の原点が月ではないかと私は勝手に思っています。
風情を感じる月の呼び方を、俳句歳時記を開きながらご紹介します。
中秋の名月とススキ
中秋の名月とは旧暦八月十五日の月のことです。(2023年は9月29日)体感としては暑くもなく寒くもなくちょうどいい季節ですね。
実はなぜ、中秋の名月にススキを飾るのか私はわかりませんでした。お団子や栗と一緒にススキは飾られますよね。秋になると近所の空き地に生えているから採ってきやすいという簡単な理由ではないようです。
日本では、稲穂は神様が降り立つ依り代(よりしろ)だと信じられてきました。昔は神様へのお供え物として米や稲穂を当たり前のように飾られたのです。しかし、中秋の名月の時期はまだ稲穂が実る少し前です。「では、どうしようか」ということで、形が似ているススキを稲穂の代わりに供えたことがこの風習の始まりだといわれています。
納得できますね。
また、ススキには邪気を払う力があると伝えられてきました。中秋の名月用のススキには、天災などから田畑を守り、翌年の豊穣を願うという意味があるそうです。
奥が深いですね。散歩途中あちこちに伸びているススキの群れは、実はありがたい存在なのかもしれません。
月の呼び方いろいろ
さて、日本ならではの月の呼び方が面白いのでご紹介します。歳時記を参考にしましたので、合わせて素敵な俳句も載せてみます。
小望月(こもちづき) 陰暦八月十四日の夜の月
名月の前日です。果たして明日の名月が見られるか気がかりだったでしょう。私はユーミンの歌にある「次の夜からは欠ける満月より、十四番目の月が大好き」というフレーズを思い出します。助めく雲さすりをり小望月
名月・望月 陰暦八月十五日の月
秋草や虫の音、露、涼風がさらに名月を引き立ててくれます。もし、この日が雲で覆われて月が見えない時は「無月」といいます。淋しいですよね。名月や池をめぐりて夜もすがら
名月を取ってくれろと泣く子かな
十六夜(いざよい)の月 陰暦八月十六日の月
名月よりも月の出がわずかに遅く、これを月がためらいながら出ると捉えられています。「猶予う(いそよう)」から「いざよう」になりました。猶予うとは「ためらう、停滞する」という意味です。月がためらうという受け取り方に、日本人的な控えめな想いを感じます。
十六夜や品川に海ありしころ
立待月(たちまちづき) 陰暦八月十七日の月
月の出は日毎に遅くなってきます。その月を立って待っているという意味です。なんと淑やかな言葉でしょう。和服の女性を思い描いてしまいます。立待の刻(とき)をいそげる早瀬かな
居待月(いまちづき) 陰暦八月十八日の月
お次の日は座って待つ月という意味ですね。縁側に座って秋思に耽るのもまた粋です。帯ゆるく締めて故郷の居待月
寝待月(ねまちづき)臥待月(ふしまちづき) 陰暦八月十九日の月
なかなか姿を見せない月、待っていてもしょうがないと割り切って、この夜は寝ながら待っていようということです。忘れそうになった頃、欠けた月が出てきます。鈴虫の音を聞きながらもう眠ってるかもしれません。風あらぶ臥待月の山湯かな
更待月(ふけまちづき) 陰暦八月二十日の月
この夜の月は亥の刻(午後十時頃)に出ることから「亥中の月(いなかのつき)」とも呼ばれてきました。天窓に更待月や休め機
陰暦八月二十日以降の夜の月は、かなり遅い時間になるので月を愛でて喜ぶことがなくなるそうです。いわゆる「宵闇(よいやみ)」の世界になります。
宵闇のいかなる吾か歩き出す
上杉謙信の漢詩より
歴史上の偉人が月と絡んでいる詩歌や文献を多々残しているのは言うまでもありません。藤原道長はその代表ですよね。武将もまた、月を見上げ時刻を確かめるだけでなく、月の満ち欠けに己の生き方を重ねたのではないでしょうか。上杉謙信の有名な漢詩の中にも月が出てきます。「九月十三夜陣中昨」という七言絶句です。
この漢詩は、天正5年(1577)に謙信が能登の七尾城に入り、勝利を祝って宴会を開いた時に詠まれました。武士の心と秋の景が重なっています。
九月十三夜陣中昨
霜満軍営秋気清
数行過雁月三更
越山併得能州景
遮莫家郷憶遠征
<解釈>
霜が軍営に満ちて秋の気配が沁みてくる
何列かの雁が過ぎてゆく
その月明りに越後・越中の山、そして今私が得た能登の景色が見渡せる
故郷の者たちは我ら遠征を案じているだろうか
おわりに
お月見の風習は、元々中国から伝わってきたと言われています。平安時代の貴族たちは酒を飲みながら月を眺め、船の上で詩歌や管弦を楽しむようになりました。お月見が庶民にまで広まったのは、江戸時代と言われています。
田畑の実りを願い家族が集い静かに月を見上げていたのでしょうか。今よりずっと夜空は美しかったことでしょうね。時代は移れど月を見上げ何かを感じる風情こそ日本人の原点なのだと思います。
【主な参考文献】
- 金子兜太、黒田杏子、夏石番屋編『現代歳時記』(成星出版、1997年)
- 現代俳句協会『現代俳句歳時記』(学習研究社、2004年)
- 上越市公式HP「義の心」
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