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【史跡散策】彦根城を足軽目線で攻めてみた。移築された現存天守に宿る執念とは
- 2024/03/22
近江・滋賀県彦根市にある国宝の城。天守、附櫓、多聞櫓は国宝に指定されており、城跡は特別史跡かつ琵琶湖国定公園第1種特別地域だ。彦根市は琵琶湖の北東に位置する県内の主要都市。現存12天守の中でも古く、国宝5天守のひとつだ。
戦乱の世を色濃く経験した土地、近江。もともとはびわ湖があることから淡海(あわうみ)と呼ばれたという。玄関口はJR彦根駅。徳川四天王のひとり、井伊直政の銅像が建っている。
駅前通りからまっすぐ歩いて10分、城の東側の滋賀県護国神社に突き当たる。
彦根城は平山城で、小高い山の上にある。
内堀(表門橋を渡る)を超えて入城。彦根城の入口はいきなり天守へ向かう登りの石の階段(表門山道)。城に攻め入る足軽のような気分を味わえる。蹴上の高さや階段幅が微妙に違うため、テンポよく駆け上がることのできない造りになっている。
石段を上がっていくと、天秤櫓の石垣が見えてくる。櫓の開口部から矢でも鉄砲でも狙われ放題だ。
廊下橋(おとし橋)の下をくぐっても石垣に囲まれた虎口、上から狙われる。
運良く通り抜け、虎口を左向きに曲がって石段を上がると、さっきくぐった廊下橋(おとし橋)を渡って天秤櫓へ進める。しかし、非常時にはその名の通り、橋が落とされるのだろう。
天秤櫓までたどりついても、そこを通り抜けるのに「石落とし」という仕掛けがあり、頭上から石が落ちてくる。石がなくなると煮立たせたギトギトの油を、油もなくなると人糞や馬糞が落とされるというから恐ろしい。
なんとか切り抜け、さらに登っていったとしても最後に太鼓櫓が待っている。その太鼓櫓を抜けてさらに登ると、ようやく本丸にたどり着くのだ。
彦根城は、1622年に建てられ、江戸幕府の威光を示すための「美」と、高い軍事的機能を併せ持つ名城として知られている。井伊直政の遺志を継いだ井伊直継と井伊直孝によって、20年にわたって築かれた。徳川家康の命により、天守は主に大津城から移築され、1604年に着工された。
工期短縮を図ることもあるが、家康は験を担いだのではないだろうか。大津城は関ヶ原合戦時に京極高次が籠城し、結果的に西軍の大軍を足止めすることで家康の東軍は勝つことができた。彦根藩の藩祖・井伊直政は、彦根城の完成を見ることなくこの世を去った。大津城の天守は大きさはさほどでもないが、千鳥破風や唐破風、華燈窓などの装飾がバランスよく配置され、400年前の雰囲気そのままに優雅に佇んでいる。大津城の優美さがほぼそのまま再現されていると考えていいだろう。
明治時代の廃城令では取り壊し寸前までいったが、たまたま来城した明治天皇のひと声で保存が決まったという。さらに戦争の空襲からも逃れることができた。
京極と井伊の執念を感じざるを得ない。特にこの天守に命がけで立てこもった京極高次とその妻・初も、400年前にこの天守で必死に防戦し、あるいは仏に祈ったのかもしれない。
天守閣からは琵琶湖を一望でき、南の大津方面には湖西の山々が見える。
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