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【史跡散策】一夜でも充分可能だった? 墨俣城を現地確認

 羽柴秀吉にゆかりのある墨俣城は、現在の岐阜県大垣市墨俣町墨俣にあり、長良川、犀川、天王川の合流地点に位置する。名鉄新岐阜駅からバスで20分、墨俣バス停から徒歩で15分。東海道新幹線なら岐阜羽島駅から車で15分ほど。

 墨俣一夜城と呼ばれるとおり、織田信長勢による美濃攻めの際に秀吉が一夜で築城したと伝わる。当時はまだ足軽大将程度だった秀吉にとっては大金星といっていい。

 これにより美濃攻めを成功させた秀吉は信長に認められ、以降大出世したため、犀川にかかる橋には「太閤出世橋」と銘打たれている。ただし墨俣一夜城の話は、確かな史料に書かれていないため、史実として認められていない。秀吉については後世の武勇伝的な誇張された話が多く、むしろ否定的な見方が多い。

 そもそも美濃では、1561年、父の斎藤道三を討ち美濃を奪った斎藤義龍が没し、子の龍興が継ぐと、信長は墨俣に要害を築いて美濃進攻を図った。斎藤氏も兵を出てこれに対抗したので、信長も断念して帰国した。重臣の佐久間信盛、 柴田勝家が失敗し、秀吉が完成させる話は『太閤記』 でおなじみである。

 しかし、秀吉が一夜で作ったというのはもちろん誇張で、それくらい早く建てたという程度の意味、とされている。実際は10日とか、いちばん短くても3日はかかったと言われている。

現在の模擬天守は平成になって建てられたコンクリート造り
現在の模擬天守は平成になって建てられたコンクリート造り

 秀吉の一夜城について、史実であるかないか、真相はわからない。まったくの創作かもしれないし、城を作ったのは秀吉だとしてもそんなに短期間にできたというのはウソ、あるいは著しい誇張かもしれない。

 ただ、現地を見てみると、ひとつだけ言えることがある。それは、「ここに一夜で城を建てることが、不可能ではない」ということ。

 城といっても、現在建っているような立派な城を建てられるわけではない。砦のようなものだ。現在の建築の感覚では、基礎と内装に時間がかかるのだが、基礎についてはある程度水平を取って木の土台を造り、壁や屋根は板にすれば作業はかなり減らせる。あとは材料の加工だけだ。

 よく言われているように、川上で加工した材料を流して夜中に作業すれば、一定の人数さえ揃えればだが、一夜で作り上げることはけっして不可能ではない。

 もし史実だったとしても、一夜で作り上げたというのはけっして誇張ではないことがわかる。

 資料館になっている館内には、天下人になった秀吉の「黄金の茶室」が展示されている。これも、折り畳める簡素な造りになっていて、京都や大阪から九州にまで運んで茶会を催したという。

 3筋の河川が集まる地形を見た秀吉は、加工、運搬、人数、と閃いたのかもしれない。当時の秀吉には家臣はいなかったが、仲間の蜂須賀小六らに声をかけて地元の人間を動かし、この一夜城で美濃攻めの膠着を破ったとしてもおかしくはないだろう。

天守からの眺望
天守からの眺望

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  この記事を書いた人
かのまお さん
小説家&ライター。 神社仏閣やパワースポットが好き。 社寺系のゼネコンに勤務歴あり。 小説家は別名義で活動、芥川賞ノミネート。

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