しめ縄・しめ飾りの歴史 ~神域の境界として
- 2024/03/13
聞いたことはあるし、なんとなく知っているけれど、どうして名前が似ているのか、それぞれの由来は何なのか、と言われたら、ちょっと首をかしげてしまうかもしれません。
「しめ縄」とは、神社や神前においてかけられる縄のこと。そして、お正月に家の門などへかける縄のことを、「しめ飾り」と言います。これらの文化は、どのような歴史を重ねて、現代まで引き継がれているのでしょうか?
今回は、神社で飾られるしめ縄と、民家で飾られるしめ飾り、両方の歴史について見ていきます。
「しめ縄」は神域を守る境界線
神社へ行くと目に入る、大きく立派なしめ縄。まるで巨人が力強く締めあげたようにも見えるその形からは、存在感と荘厳さを感じられますね。しめ縄には、神社という神域=非日常の空間と、それ以外の場所=日常の空間を分ける境界線という意味があります。 しめ縄がかけられているのは、神社の鳥居や社殿、御神輿や神木などです。一年中しめ縄をかけているところや、お祭りの間だけかけているところなど、地域によって違いがあるものの、基本的には神社、すなわち神にかかわる場所にかけられています。
このように親しまれているしめ縄は、いつから存在しているのでしょうか?日本最古の書物である『古事記』『日本書紀』には、天照大神が岩戸に隠れてしまう「天の岩戸」の段において、しめ縄の起源とされるものが登場しています。
「天の岩戸」の後半において、天照大神が天の岩戸から出てきたあとのこと。布刀玉命(ふとたまのみこと)という神が、「もう岩戸へ戻ることができないように」と、天照大神の背後で縄を引き渡しました。
この縄のことを『古事記』では「尻久米縄(しりくめなわ)」と記しています。
『日本書紀』では「端出之縄(しりくへなわ)」とされ、「藁(わら)の端を出したままにした縄」という注記がつけられました。これが、後にしめ縄と呼ばれるようになったとされています。
また、奈良時代の歌集である『万葉集』では、「標縄」という漢字が使われています。
「祝部等(ほふりら)が 齋(いは)ふ社の 黄葉(もみぢば)も 標縄(しめなは)越えて 散るとふものを」
※現代語訳:神職たちが祀っている神木の紅葉でさえも、しめ縄を越えて散るというのに。
こちらは「譬喩歌(ひゆか)」と呼ばれる種類の和歌であり、恋愛における心情をはっきりと書かず、別のものにたとえるという特徴を持っています。
本当の意味は、「親から大切にされている貴女に、どうにかして逢えないものか。神社で大切に祀られている神木の紅葉でさえ、しめ縄を越えて散るというのに」という、男性側の思いがこめられているのです。古代には、こんなに婉曲的なラブレターもあったのですね。
話を戻して、この和歌で言われる「標縄」は、神聖なものとそれ以外のものを分ける存在であったと見ていいでしょう。『万葉集』には、これ以外にも「標縄」という言葉が登場します。
しかし現在では、しめ縄というと「注連縄」という漢字をあてられることが多いですね。これは中国にて「注連(ちゅうれん)」と呼ばれる風習で、亡くなった人の魂が戻ってこないように、故人の家の門に張られたものの名前から来たと考えられています。
「しめ飾り」はお正月に家で飾るもの
しめ飾りは、お正月に家の扉や門などに飾りつけるもので、今ではお正月飾りの一種として広く知られています。古くは、それぞれの家で藁を綯(な)って作りあげたものでしたが、現在ではお店で売っているものを買う人が多いことでしょう。藁(わら)は、稲を乾かしたものの総称です。そして「綯う」とは、藁をまとめてより合わせ、縄状にして結いあげること。そうすることによって、藁の強度を高めるのです。農家では、藁を揺りかごや敷物用に編むことも多く、それらは日用品としても使われていました。
冒頭で書いたように、しめ縄は神社でかけられるもの、しめ飾りはお正月に家で飾られるもの、と区別されています。また、しめ飾りを各農家で手作りしていた時代には、その年に作られた新しい稲が使われていました。
家に飾る縄のことを「しめ飾り」と呼ぶ理由は、新年によせて、年神さまを迎えるために家の周りに張りめぐらせたしめ縄が、次第に装飾品としての意味合いが強まったという説があります。
しめ飾りも、古くはしめ縄と同じように、神聖な空間とそうでない空間を定めるという効果が期待されていたのでした。そこから、縄に細工をほどこして飾りつけをするといった、しめ飾りの文化が育まれていったとされています。
しめ飾りなどのお正月飾りは12月下旬から準備を始めることとされ、大晦日に飾る行為は、「一夜飾り」と呼んで避けていました。
こうした一連の行事は、新しい年の豊作を願って、一年間良いことがありますように、という人々の祈りがこめられています。
現代日本には様々な文化が入ってきましたが、例えてみると、クリスマスに向けてツリーやリースを用意することと、少しだけ似ているかもしれません。
昔の人たちも、新しい年を気持ちよくお祝いできるよう、しめ縄や門松を飾ったのですね。
多種多様な「しめ縄」「しめ飾り」のデザイン
縄を綯って作りあげるしめ縄のデザインには、独特な特徴があります。一般的には、社殿に向かって右側から縄を綯いはじめ、終わりの左側が細くなる「左末右本」と、左側から縄を綯いはじめ、終わりの右側が細くなる「左本右末」というデザインが多いようです。
たとえば愛知県の尾張大国霊神社にある拝殿のしめ縄は、左末右本。フリンジのような「〆の子(しめのこ)」と、紙で作られた「紙垂(しで)」が順に下げられています。
また、島根県にある出雲大社の神楽殿には、「大注連縄」と呼ばれる日本最大級のしめ縄が奉納されています。重さは4トンを超え、全長は13.5メートルと言いますから、本当に驚くほどの大きさですね。
お正月に家々で飾る「しめ飾り」のデザインについても見てみましょう。
江戸時代後期に書かれた私家版百科事典『守貞漫稿(もりさだまんこう)』では、大根のような形をしている「大根ジメ」や、ごぼうのように細い「牛蒡ジメ」、また「京坂輪注連」、「江戸輪飾り」と呼ばれるものなどが紹介されています。
大根ジメや牛蒡ジメは、しめ縄と似ていますが、輪飾りのほうは、しめ飾り独特のデザインと言えるかもしれません。
おわりに
しめ縄は、神前において神域を定める境界のしるし。しめ飾りは、家において新年と年神をことほぐ境界のしるし。この2つをあらためて見てみると、異なるカタチで発展していった文化であることがわかりました。とはいえ、どちらも藁(稲)から作られていることには変わりありません。稲作は日本に古くから根づいてきた大切な農業であり、だからこそ人々が藁を身近なものとして、祭事の場から日用品に至るまで、活用してきたのです。
神社でしめ縄を見たり、お店でしめ飾りを見たりした時は、それらの縄にこめられた、かつての人々の祈りにも思いを馳せてみてもいいかもしれませんね。
【主な参考文献】
- 『万葉集総釈 第5』(楽浪書院、1936年、国立国会図書館デジタルコレクション)※本文中の引用はこれに拠る。
- 喜田川季荘 編『守貞謾稿 巻26』(写本、国立国会図書館デジタルコレクション)
- 喜田川守貞『類聚近世風俗志 : 原名守貞漫稿』(榎本書房、1927年、国立国会図書館デジタルコレクション)
- MdN編集部『月刊MdN 2016年 2月号(特集:神社デザイン)』(エムディエヌコーポレーション、2016年)
- ことほき『しめ飾り 造形とその技法:藁を綯い、春を寿ぐ』(誠文堂新光社、2019年)
- 福田アジオ他編『日本民俗大辞典 上』(吉川弘文館、1999年)
- 國學院大學「古典文化学」事業HP 「古事記ビューアー 天の岩戸③」(最終閲覧日:2023年11月17日)
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