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【史跡散策】芝大門にある増上寺…600年の歴史、徳川家康ゆかりの秘仏「黒本尊」、戦災でも残った三門
- 2024/06/27
増上寺(ぞうじょうじ)は、東京都港区芝公園にある浄土宗の寺院。正式名称は「三縁山広度院増上寺」で、山号は三縁山。山手線なら「浜松町」駅からまっすぐ西、東京タワー方面へ歩くとすぐに大門が見えてくる。
増上寺は、浄土宗の七大本山の一つで、日本中の浄土宗のお寺をまとめる役割を担っている。特に、浄土宗の僧侶を育成する役割を担っていることから、大本山の中でも別格とされている。
昔は千代田区の麹町・紀尾井町付近にあったとされ、徳川家康によって現在の地へ移転したという。もともと徳川家の菩提寺は京都東山の浄土宗大本山・知恩院で、家康の母はそこに眠っている。
大門からさらにまっすぐ進むと、三解脱門(三門)が見えてくる。江戸時代前期(元和7年)、徳川2代秀忠によって建立された巨大な門で、国指定重要文化財。ちょうど400年にわたってここに建っていることになる。
境内の他の建物はすべて第2次世界大戦の戦災で消失しているため、この門だけがかつての増上寺を伝える唯一の建物となっている。
門をくぐると、本堂が現れ、バックには東京タワーというロケーション。大殿とも呼ばれる本堂は、1974年・昭和49年の再建。
本堂の横には安国殿があり、ここに徳川家康が黒本尊(くろほんぞん)と呼んで崇敬したという仏像が安置されているという。平安時代中期の僧侶、恵心僧都(えしんそうず)源信の作とも伝えられる阿弥陀如来像。源信は、仏界の構成などを説き浄土へ行くための方法を解説した「往生要集」の作者だ。
この仏像を家康は深く尊崇し、陣中にも奉持して戦の勝利を祈願していたという。ただ、現在は秘仏で、厨子の前の御前立ちを拝むことができる。
かつては広大な寺域を誇ったというが、戦後復興の中で何分の一かに縮小されたという。それでも一般的な寺院に比べればずいぶん広い。
もともと増上寺は、17世紀に徳川政権によって 江戸が大改造された際、江戸城を守る表鬼門にあたる北東方向に寛永寺と神田明神が、裏鬼門にあたる南西方向に増上寺と日枝神社が配置された。これは風水学的に、寛永寺を江戸の表鬼門である上野に配し、裏鬼門の芝に増上寺を移したものと一般的には考えられている。
ただ、よく見ると方角の点は実際には増上寺の位置は南西ではなく、ほぼ真南になる。このあたりの裏付けは今一度調べ直す必要があるように思える。
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