龍の歴史 ~辰年によせて

 2024年、今年の干支は辰年ですね!

 辰の字は龍をあらわし、十二支の中で唯一、架空の動物となります。西洋ではドラゴン、東洋では龍と呼ばれる存在は、ファンタジーの世界などにおいてさまざまに想像され、描かれてきました。日本の龍は、中国において古くから信じられてきた「龍=皇帝」のイメージを受けて、独自の信仰や伝説を生みだしています。

 今回は、龍とはどんな動物と考えられてきたのか、これまでの歴史の中でどのような位置づけをされてきたのかをたどります。

中国における龍の歴史

 龍といえば、中国からやってきたというイメージ。お正月や旧正月には、中華街などで、複数人で操る龍が軽やかに踊るという「龍舞(りゅうまい)」が披露されていますね。中国において、龍は四霊獣(麒麟、鳳凰、龍、亀)のうちのひとつであり、皇帝のシンボルともされています。

 元(1271〜1368年)以降において、5本の爪を持つ龍は皇帝の象徴とされていました。元よりも前の時代では、爪の数が4本や3本ということもあったようです。

龍が描かれた1889年から1912年までの清国国旗(出典:wikipedia)
龍が描かれた1889年から1912年までの清国国旗(出典:wikipedia)

 このように、龍は遥か昔から、中国において重要な動物であり、瑞祥(ずいしょう/喜ばしいことの前触れ)とされてきました。

 古代中国の伝説として語られる黄帝(こうてい)は、龍の背に乗って天に昇ったとされます。また、夏王朝(紀元前2070頃~紀元前1600年頃)の始祖である禹(う)は、黄河などの治水に尽力して力尽きた父の腹から生まれ、三年後、その父の死体から龍が生まれたという伝説が残っています。

 中国の黄河は、何度もその流れを変えるほどに、激しく氾濫を起こしてきた大河です。黄河流域に暮らす人々は、豊富な水の恩恵にあやかりながらも、その暴れ河としての性質に、龍という架空の動物を見たのかもしれません。

龍のすがた

 頭はラクダに、目は鬼に、角はシカに、首はヘビに、腹はミズチに、ウロコは魚に、爪はタカに、脚はトラに、耳はウシに似ている――。

 これは龍の姿としてよく知られる表現であり、中国・漢代の思想家である王符(おうふ)が「九似(きゅうじ)説」にて定義したものです。

 さらに、宋代の羅願(らがん)によって、龍は「首から腕の付け根、腕の付け根から腰、腰から尾」の長さが等しいという「三停(さんてい)」が記されたことで、中国での龍のデザインが定着していきました。

※参考イメージ:中国北京北海公園(旧皇帝御園)の九龍壁にある皇帝の象徴の五爪の竜(出典:wikipedia)
※参考イメージ:中国北京北海公園(旧皇帝御園)の九龍壁にある皇帝の象徴の五爪の竜(出典:wikipedia)

日本における龍の歴史

 日本において龍の存在が記されるようになったのは、弥生時代(前1000年頃~500年頃)とされています。

 それ以前の縄文時代では、縄文土器に蛇の文様が描かれることはあったものの、龍と判別できるような絵はなかったようです。

 日本では、古くから水を司る存在として「蛇」が神聖視されていました。

『古事記』や『日本書紀』に登場する八岐大蛇(やまたのおろち)は多頭の大蛇であり、その尻尾からは草薙剣(くさなぎのつるぎ)が出現します。

 この剣の別名は「天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)」で、その理由は、八岐大蛇の頭上に常に叢雲(むらがり立った雲)があったからということでした。

 こうした蛇信仰に、中国から龍が伝わり、両者は一部が習合していくようになります。

 3世紀後半に成立した『魏志倭人伝』では、中国の魏王から卑弥呼へ贈られた品物の中に、「絳地交龍の錦(こうじこうりゅうのにしき)」と呼ばれるものがあったと書かれています。

 交龍とは、二匹の龍が交わる図柄のこと。それを描いた織物が、日本へ贈られていたのですね。

 古くから日本で信仰されていた蛇と、中国から伝わった龍の関係。双方の姿かたちは似ており、水を司るという性質でも似通っています。

 仏教伝来以降は、日本でも中国由来の龍が広く知られるようになりました。

 出雲大社においては、旧暦10月の神在月に、「龍蛇(りゅうじゃ)神」と呼ばれる「海蛇の神さま」が、出雲大社の祭神・大国主大神のお使いとして全国の神々を迎えるとされています。

 中国では龍が皇帝の象徴でしたが、日本において龍が天皇の象徴となることはありませんでした。

 しかし、日本各地に残る龍神伝説や、龍にまつわる説話にも見えるように、日本は龍という存在を受け入れながら、独自の発展をとげていきました。

西洋のドラゴン

 一方、西洋では、ドラゴンは災いを呼ぶ不吉なものとされてきました。それは、キリスト教の『旧約聖書』「詩篇」74章14節に登場する「レヴィアタン」という怪物や、『新約聖書』「ヨハネの黙示録」12・13章に描かれる「黙示録の獣」といったイメージが強いためかもしれません。

※参考イメージ:聖ヨハネの黙示録:12。海の怪物と子羊の角を持つ獣。アルブレヒト・デューラーの木版画(出典:wikipedia)
※参考イメージ:聖ヨハネの黙示録:12。海の怪物と子羊の角を持つ獣。アルブレヒト・デューラーの木版画(出典:wikipedia)

 こうしたドラゴンは悪魔(サタン)と呼ばれ、神や天使と戦い、敗れる運命にあります。他にも、ギリシア神話にて主神ゼウスと戦った怪物「テュポーン」などのように、西洋のドラゴンは神と敵対する存在であるといえるでしょう。

 現代では、西洋のドラゴンを「龍」と翻訳することもありますが、ドラゴンと龍は異なる存在だ、という説もあります。

 古代において、さまざまな地域の人々が思い描いた想像上の動物。彼らは多種多様な特徴をもち、異なる経緯をたどったはずなのに、後世で一括りにされてしまって、怒っているかもしれませんね。

辰年と龍との関係

 最後に、十二支の「辰年」について。どうして架空の生物が十二支に入っているのか、という謎についても辿ってみたいと思います。

 言うまでもなく、辰以外の十二支の動物は、すべて実在しますね。龍が実在する動物と考える方もいるかもしれませんが、ここでは割愛します。

 もともと、「子・丑・寅……」と続く十二支は、「甲・乙・丙……」と続く十干(じっかん)とともに、古代中国の殷代において、年月日や時間・方角を定めるために使われた、数字のようなものでした。両者を組み合わせると60通りの配列となり、これを「干支(えと)」と呼んでいたのです。

 それが、後漢の王充(おうじゅう)が記した『論衡(ろんこう)』において、十二支に動物が結びつけられ、その考え方が主流となったようです。

 十二支の中で辰(龍)だけが実在しない理由は、現代においてもはっきりと解明されてはいません。十二支が動物と結びついた後漢の時代には、龍も実在する動物だと考えられていたから、という説もありますが、それもまた推測の域を出ないのです。

 「辰」には、「ふるう・ととのう」という意味があり、漢字の成り立ちは植物が勢いよく成長する様子をあらわしています。これにより、辰は「生気が盛んである」という印象を持つ漢字となっています。

 龍は中国において縁起の良い存在であり、生命の源である水を司るもの。そこから辰と龍がむすびつき、そのイメージが現在まで生きながらえているのかもしれませんね。

おわりに

 龍や、ドラゴンといった存在は、現代においてもファンタジーの世界などで私たちを楽しませてくれています。

 龍がなぜ蛇と同一視されるようになったのか、なぜ十二支に加えられたのか。現代でも分からないことがあるというのは、なんだかロマンがありますね。春には天に昇るという龍。見上げた空に、龍に似た雲を見かけたら、それが瑞祥かもしれません。

 この辰年が、皆様にとって良い一年になりますように。


【主な参考文献】

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  この記事を書いた人
なずなはな さん
民俗学が好きなライターです。松尾芭蕉の俳句「よく見れば薺(なずな)花咲く垣根かな」から名前を取りました。民話や伝説、神話を特に好みます。先達の研究者の方々へ、心から敬意を表します。

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