平安時代の年中行事 ~元日から大晦日まで

土佐光長 画『年中行事絵巻』より。(出典:国立国会図書館デジタルコレクション)
土佐光長 画『年中行事絵巻』より。(出典:国立国会図書館デジタルコレクション)
 平安時代の貴族たちは、朝廷に仕える身分の人々です。時の帝を擁する朝廷および平安京では、一月から十二月まで、数多くの行事が行われていました。

 今回は、それらの中から代表的なものを選び、内容をまとめています。平安時代の作品に触れる際、参考にしてみてくださいね。

年中行事とは?

 「年中行事」とは、毎年決められた時期に行われる儀式や行事のこと。平安京・清涼殿の弘廂(ひろびさし)に仁和元年(885)から置かれた「年中行事障子(ねんちゅうぎょうじのしょうじ)」が初出とされています。

 年中行事障子には当時行われていた年中行事が月ごとに書かれており、貴族たちに行事の日程を知らせる掲示板のような役割がありました。

平安時代の年中行事

 平安時代は陰暦(太陰太陽暦)だったため、今と二ヶ月ほどのズレがあります。当時は、お正月の七日に若菜が生えるほど春めいていました。

 各行事の読みがなには、歴史的かなづかい(旧かなづかい)を付け加えています。また、「初○の日」とは、その月の最初に来る十二支の日のことです。

 千年以上昔の空気感も想像しながら、一つずつ見ていきましょう。

一月

元日

四方拝(しはうはい/しほうはい)

 清涼殿の東庭において、寅の刻(午前四時頃)に天皇が天地や四方の神々へ拝賀する(新年のお祝いを述べる)儀式。

小朝拝(こてうはい/こちょうはい)

 親王、関白、大臣以下、六位の蔵人以上の者(殿上人)が清涼殿の東庭に並び、天皇に拝賀する儀式。

元日の節会(がんにち/がんじつのせちえ)

 小朝拝の後の宴会。「節会」とは、天皇から諸臣へ食事が振る舞われること。

歯固(はがため)

 天皇に鏡餅や大根、猪鹿肉などを献上する行事。長寿を祈り、祝うもの。

二日

朝覲行幸(ちゃうきんぎゃうがう/ちょうきんのぎょうこう)

 天皇が上皇・皇太后の住居へ拝賀する際に外出する儀式。

「朝覲行幸」(『年中行事絵巻考』より。出典:国立国会図書館デジタルコレクション)
「朝覲行幸」(『年中行事絵巻考』より。出典:国立国会図書館デジタルコレクション)

二宮大饗(にぐうのだいきゃう/にぐうのだいきょう)

 中宮(皇后の住居)と東宮(皇太子の住居)へ親王や公卿が拝賀した後、それぞれで開かれる宴会。

「二宮大饗」(『年中行事絵巻考』より。出典:国立国会図書館デジタルコレクション)
「二宮大饗」(『年中行事絵巻考』より。出典:国立国会図書館デジタルコレクション)

摂関大臣大饗(せっかんだいじんだいきゃう/せっかんだいじんだいきょう)

 摂政、関白および大臣家において、親王や公卿を招いた宴会。

臨時客(りんじのかく/りんじきゃく)

 摂政・関白および大臣家において、大臣以下の者を招いた宴会。公式ではないため、臨時と呼ぶ。

「臨時客」(『年中行事絵巻考』より。出典:国立国会図書館デジタルコレクション)
「臨時客」(『年中行事絵巻考』より。出典:国立国会図書館デジタルコレクション)

五・六日または七日

叙位(じょゐ/じょい)

 清涼殿にて、天皇が五位以上の位階を諸臣に授ける儀式。

七日

白馬節会(あをうまのせちゑ/あおうまのせちえ)

 左右の馬寮(めりょう)から白馬を引き出し、天皇が観覧する儀式。中国では、青(春の色)と馬(陽の獣)は一年の邪気をはらうとされたことから。なぜ日本で白馬を「あおうま」と呼ぶようになったのかは諸説あり。

十一~十三日

県召しの除目(あがためしのぢもく/じもく)

 新しく地方官を任命する行事。正月の下旬から翌月にかけて行われることもあった。「司召しの除目(つかさめしのじもく)」は秋に行われた。

十四・十六日

踏歌(たふか/とうか)

 地面を踏みならして歌いながら舞う行事。都の舞姫や舞人が宮中へ呼ばれ、舞を舞った。十四日は男踏歌、十六日は女踏歌が行われた。

「踏歌」(『年中行事絵巻考』より。出典:国立国会図書館デジタルコレクション)
「踏歌」(『年中行事絵巻考』より。出典:国立国会図書館デジタルコレクション)

十五・十八日

三毬杖(さぎちゃう/さぎちょう)※左義長とも

 打毬(だきゅう)において使われる「毬杖(ぎっちょう)」を三本立てて焼き、災いをはらう行事。「どんど焼き」の起源とされる。

十七日

射礼(じゃらい)

 平安京の豊楽院(ぶらくいん)または建礼門(けんれいもん)の前で行われた、弓を射る行事。途中で日が暮れた場合や参加できなかった者は、翌日の「射遺(いのこし)」にて弓を射た。

十八日

賭弓(のりゆみ)

 天皇の御前で弓の技を競いあう行事。射手は左右の近衛府(このえふ)・兵衛府(ひょうえふ)から選ばれた。

初子(ね)の日

子の日の遊び(ねのひのあそび)小松引き、若菜摘み

 野や丘に出て、小さい松を引き抜いて長寿を祈り、若菜を摘んで羹(あつもの/スープ)として食べ、災いをはらう行事。

初卯(う)の日

卯杖(うづえ)/卯槌(うづち)

 卯杖とは、桃や梅の木を束ねたもの。卯槌とは、桃の木を直方体に切り、中心へ穴をあけ、五色の糸を通したもの。どちらも邪気をはらうものとして、朝廷へ献上された。

二月

初丁(ひのと)の日

釈奠(しゃくてん/せきてん)

 孔子とその門弟をまつる儀式。八月の初丁(ひのと)の日にも行われる。

初申の日

春日祭り(かすがまつり)

 春日大社(奈良県)の祭礼。十一月の初申の日にも行われる。春日大社は藤原氏の血を引く称徳(しょうとく)天皇の勅命により建立され、藤原家の氏神としても古代より崇敬されている。

三月

上旬の巳の日(三日)

上巳祓(じゃうしのはらへ/じょうしのはらえ)

 貴族たちが水辺で自らの人形(ひとがた)の紙を撫で、その人形を水に流して穢れをはらうというもの。ひな祭りの由来とされる。

三日

曲水宴(ごくすい/きょくすいのえん)

 宮中や貴族の邸宅において催された宴会。庭を流れる水の曲がりくねった所へ席をつくり、流れてきた酒の杯が通り過ぎる前に詩歌を詠み、酒を飲んで杯を次へ流すもの。

「曲水宴」(『為恭画集 上』より。出典:国立国会図書館デジタルコレクション)
「曲水宴」(『為恭画集 上』より。出典:国立国会図書館デジタルコレクション)

四月

八日

灌仏会(くゎんぶつゑ/かんぶつえ) ※「花まつり」とも

 釈迦の誕生日を祝う儀式。釈迦の誕生した姿の仏像へ香水(こうずい)をかけ、供養する。

中旬の酉の日

賀茂祭(かものまつり) ※「葵祭り」とも

 上賀茂神社・下鴨神社(京都府)で行われる、祭りの代名詞ともいえる華美な祭礼。葵の葉を飾りに使う。天皇の行列が出る御禊(ごけい/斎院による禊)の日と当日には、大勢の見物人が集まった。

「加茂祭」(『年中行事絵巻考』より。出典:国立国会図書館デジタルコレクション)
「加茂祭」(『年中行事絵巻考』より。出典:国立国会図書館デジタルコレクション)

五月

五日

端午の節会(たんごのせちえ/ゑ)

 邸宅や宮中の軒などに菖蒲(しょうぶ)や蓬(よもぎ)の葉、薬玉(くすだま)を飾り、冠にも葉を巻くなどして、邪気をはらう行事。

六月

晦日(末日)

夏越祓(なごしのはらへ/はらえ) ※「水無月祓(みなづきばらえ)」とも

 宮中などにおいて、半年分の穢れをはらう行事。人形による祓とともに、長寿を願って「茅の輪(ちのわ)くぐり」が行われた。

七月

七日

乞巧奠(きかうでん/きっこうでん)

 織姫(織女星/しょくじょせい)と彦星(牽牛星/けんぎゅうせい)をまつり、手芸などの上達を願ったもの。中国から伝わった乞巧奠と、日本において神を迎える機織りの女性「棚機女(たなばたつめ)」の習俗が結びつき、「七夕」になったと考えられている。

十五日

盂蘭盆会(うらぼんゑ/うらぼんえ)

 祖先などの霊を自宅に迎えてまつり、供養する仏教儀礼。現代のお盆。

二十八・二十九日

相撲節会(すまひのせちゑ/すまいのせちえ)

 天皇の御前で行われた、相撲人(すまいびと)と呼ばれる力士たちの勝負。

相撲節会(『日本相撲伝』より。出典:国立国会図書館デジタルコレクション)
相撲節会(『日本相撲伝』より。出典:国立国会図書館デジタルコレクション)

八月

十五日

石清水放生会(いわしみずのはうじゃうゑ/ほうじょうえ)

 石清水八幡宮(京都府)の祭り。賀茂祭を北祭、こちらを南祭と呼ぶ。

月見の宴(つきみのえん)/観月の宴(かんげつのえん)

 中秋の名月を鑑賞する宴会。夜通し詩歌が詠まれ、楽器の演奏が催された。

九月

九日

重陽宴(ちょうやう/ちょうようのえん) ※「菊の節句」とも

 菊の花を眺める宴会。陽の数である「九」が重なるために「重陽」という。前日の夜に菊へ綿(わた)をかぶせておき、菊の露と香りが移った綿で体をぬぐうと長寿になるという「菊の着せ綿」も行われた。

十月

五日

残菊宴(ざんぎくのえん)

 咲き残った菊を愛でつつ、詩歌を詠む酒宴。

亥の日

亥の子餅(ゐのこもちひ/いのこもち)

 亥の刻(午後十時頃)に亥の子餅(楕円形の豆類の餅)を食べ、健康と子孫繁栄を願ったもの。

十一月

中旬の卯の日

新嘗祭(にひなめまつり/しんじょうさい) ※天皇即位後は「大嘗祭(おおなめまつり/だいじゃうさい)」

 その年に収穫した穀物(新穀)を神に供えてまつる行事。宮中では、神へ供えた穀物を天皇も食する儀式が行われる。

新嘗祭の翌辰(たつ)の日

豊明節会(とよのあかりのせちゑ/とよあかりのせちえ)

 新嘗祭の翌辰の日、豊楽院または紫宸殿(ししんでん)において開かれた宴会。天皇には新穀の御膳が献上され、臣下にも酒が振る舞われる。

中旬の丑の日から辰の日

五節(ごせち)

 新嘗祭や豊明節会において、舞姫によって舞われる舞。五度袖をひるがえす。新嘗祭の時は四人で舞い、大嘗祭は五人となる。舞姫には、公卿や国司の縁故などから未婚の少女が選ばれる。

下旬の酉(とり)の日

賀茂臨時祭(かものりんじのまつり)

 上賀茂神社・下鴨神社にて毎年行われる祭り。四月の葵祭りに対して臨時と呼ぶ。

十二月

十九日から三日間

御仏名(おぶつみゃう)/仏名会(ぶつみょうえ)

 過去・現在・未来の仏の名前をとなえ、その年の罪が消えるように願う仏教行事。

晦日

追儺(ついな)

 災いを避けるため、宮中にて鬼を追いはらう儀式。その後に宴会が開かれた。後世にて民間へ伝わり、節分の行事となる。

「追儺」(『古事類苑 第2冊』より。出典:国立国会図書館デジタルコレクション)
「追儺」(『古事類苑 第2冊』より。出典:国立国会図書館デジタルコレクション)

御魂祭(みたままつり)

 大晦日から元日の朝にかけて行われる祭り。先祖の霊を迎え、供養するもの。供物にゆずり葉を敷く。

おわりに

 平安時代に宮中などで行われた儀式や行事は、冠婚葬祭なども含めると更に膨大な量となります。当時の貴族たちが、祭礼や仏事を重要視していたことがわかりますね。

 さまざまな祈りや願いがこめられた年中行事。数えきれない人々の想いが、現代に生きる人々のうしろに連なっていると考えると、心がいっぱいになります。

 興味をもった年中行事があれば、ぜひ詳しく調べてみてくださいね。


【主な参考文献】
  • 塙保己一 編『続群書類従 第10輯ノ上 官職部.律令部.公事部 再版』(続群書類従完成会、1924-1926年)
  • 川村裕子『はじめての王朝文化辞典』(KADOKAWA、2022年)
  • 室伏信助、他『日本古典風俗辞典』(KADOKAWA、2022年)
  • 谷口貢、他『年中行事の民俗学』(八千代出版、2017年)
  • 宮腰賢、他『全訳古語辞典 第五版 小型版』(旺文社、2018年)
  • 福田アジオ、他編『日本民俗大辞典 上』(吉川弘文館、1999年)
  • 福田アジオ、他編『日本民俗大辞典 下』(吉川弘文館、2000年)
  • 有職文化研究所HP「伝統の年中行事」(最終閲覧日:2024年3月7日)
  • 宮内庁HP「《京都》 御所と離宮の栞 その三」(最終閲覧日:2024年3月7日)
  • 春日大社HP「春日大社について」(最終閲覧日:2024年3月7日)

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  この記事を書いた人
なずなはな さん
民俗学が好きなライターです。松尾芭蕉の俳句「よく見れば薺(なずな)花咲く垣根かな」から名前を取りました。民話や伝説、神話を特に好みます。先達の研究者の方々へ、心から敬意を表します。

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