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足利尊氏の執事・高師直を悪人に仕立てた二つの創作話

「仮名手本忠臣蔵 三段目」(国芳画。出典:wikipedia)
「仮名手本忠臣蔵 三段目」(国芳画。出典:wikipedia)
 室町幕府初代将軍・足利尊氏に従い、幕府の黎明期に活躍した高師直は、後の世に「大悪人」と呼ばれてしまうようになります。師直を悪人に仕立てたのは、軍記物『太平記』と人形浄瑠璃『仮名手本忠臣蔵』の2つの創作話でした。

太平記で描かれた師直の悪行

 中世の軍記物『太平記』は、後醍醐天皇の鎌倉幕府倒幕計画に始まり、建武の新政や南北朝争乱などの歴史を描いた物語で、足利家の執事を務めていた高師直は、主要な人物の一人として登場しています。

 師直は様々な場面に顔を出しますが、彼をあからさまに悪人として描いているのが「巻二十一 塩冶判官讒死事(ざんしのこと)」という章です。塩冶判官とは塩冶高貞(えんや・たかさだ)という実在した武将を指します。
あらすじは次の通りです。

 高師直は塩冶判官の妻が美人だと知り、妻の姿を盗み見て横恋慕してしまいます。権力者ゆえに自分のモノになると思っていた師直ですが、妻は頑として受け入れません。業を煮やした師直は「塩冶判官に謀反の疑いがある」と讒言したのです。

 疑いをかけられた判官は自害しますが、妻も命を絶ってしまい、師直は本懐を遂げられませんでした。何の罪もない判官を讒言によって貶めた師直の悪行が人々によって語られ、やがて師直自身も因果応報の報いを受け、滅んでしまうのです。

 史実では、塩冶高貞は幕府から謀反の疑いがあるとして討伐されており、そこに師直は関与していないとされています。

仮名手本忠臣蔵に登場した師直

 続いては江戸時代に人形浄瑠璃、時代物として書かれた『仮名手本忠臣蔵』です。忠臣蔵の名が示す通り、赤穂浪士による吉良上野介邸討ち入り事件をモチーフにした作品で、歌舞伎の演目としても人気を呼びました。

 実際の事件をそのまま取り上げては幕府にお咎めを食らうので、舞台を南北朝時代に設定したのが仮名手本忠臣蔵で、高師直は敵役である吉良上野介の役どころとなり、太平記に登場した塩冶判官を浅野内匠頭に仕立てています。

 師直と判官が登場する場面は次の通りです。

 高師直は塩冶判官の妻・顔世御前に横恋慕しますが、顔世御前は師直の求愛を拒絶します。師直の怒りは判官に向き、嫌がらせをするようになります。

 数々の侮辱に耐えかねた判官は、とうとう師直を斬りつける刃傷沙汰を起こしてしまい、切腹に追い込まれます。
切腹の場に駆け付けた大星由良之助は、主君の無念を晴らすため仇討ちを決意し、館を去っていきました。ここから討ち入りへと物語が進んでいきます。

 『太平記』には「師直が判官の妻の入浴姿を覗き見て、ますます恋心を募らせた」との描写があり、仮名手本忠臣蔵はこのエピソードを下地に書かれています。

おわりに

 『太平記』の高師直は、天皇の権威すら恐れない傲岸不遜な人物として書かれており、やがて「師直=悪人」のイメージが植え付けられてしまいました。

 近年になってから「室町幕府成立に尽力した有能な武将」と再評価されるようになり、高師直はようやく「悪人」という汚名返上ができたのかもしれませんね。

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  この記事を書いた人
マイケルオズ さん
フリーランスでライターをやっています。歴女ではなく、レキダン(歴男)オヤジです! 戦国と幕末・維新が好きですが、古代、源平、南北朝、江戸、近代と、どの時代でも興味津々。 愛好者目線で、時には大胆な思い入れも交えながら、歴史コラムを書いていきたいと思います。

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