大河ドラマ「光る君へ」 道長の父・藤原兼家はなぜ死んだのか?

星を見る安倍晴明とその従者 須麻流(「光る君へ」第14回 ”星おいてなお”)
星を見る安倍晴明とその従者 須麻流(「光る君へ」第14回 ”星おいてなお”)

 大河ドラマ「光る君へ」第14回は「星おいてなお」。藤原道長の父・兼家の死が描かれました。

 花山天皇を退位させ、外孫の一条天皇を即位させた兼家。摂政となり、永祚元年(989)には太政大臣、翌年には関白となった兼家でしたが、病により出家。関白を子の藤原道隆に譲ります。晩年の兼家は別邸の二条京極第を大層気に入っていたようですが、この邸宅は兼家の病気平癒祈願のため、寺(法興院)となるのです。

 しかし、『大鏡』(平安時代後期成立の歴史物語。以下、同書と略記することあり)によると、兼家が法興院に住むことを周囲の人々は反対したとのこと。なぜか?「気味の悪いところだから」と言うのです。ところが、兼家は人々の反対を押し切り、法興院を気に入り通い続けます。同書には、法興院で起きた怪奇現象の数々も記されています。気味の悪いところに住んでいたからでしょうか。兼家は間もなく、法興院で病となり、亡くなってしまったと同書にはあります。永祚2年(990)7月のことでした。享年62。

 『大鏡』は兼家の僭上の振る舞いを記してきました。例えば、一条天皇やその東宮(後の三条天皇)がいらっしゃるのに、衣服を脱ぎ去って、汗取り一枚になってみたり。自邸(東三条殿)の西の対を清涼殿(内裏の殿舎の1つ)風に造ってみたりとか。そのような振る舞いもあってか、人々は兼家が人臣(天皇に仕える身分の人)に生まれたことを「御運が足らなかったことよ」と噂し合ったということです。

 また、前述したような僭上によって「長命できなかったのでは」との批判もあったようです。それはともかく、兼家以降、摂政・関白の地位はその子孫が独占していくことになるのですから、その基盤を作った兼家という公卿は大したものだと思います。大河ドラマ「光る君へ」では兼家を俳優・段田安則さんが演じられました。狸親父で上昇志向もあるが、愛妾に弱みを見せるところもある、兼家の「二面性」(権力の鬼と可愛らしさ)を恐ろしく、そしてコミカルに演じられていたように思います。

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  この記事を書いた人
濱田浩一郎 さん
はまだ・こういちろう。歴史学者、作家、評論家。1983年大阪生まれ、兵庫県相生市出身。2006年皇學館大学文学部卒業、2011年皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。専門は日本中世史。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。 著書『播 ...

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