「光る君へ」死期が迫る兄の見舞いに行かず、立身を望んだ藤原兼家の”冷酷”

 大河ドラマ「光る君へ」第3回は「謎の男」。円融天皇の譲位・退位を図る藤原兼家の姿が描かれていました。同ドラマでは、一癖ある「陰謀家」として兼家は描かれていますが、その事を示すエピソードをご紹介しましょう。

 かつて、兼家とその兄・藤原兼通は、官職・昇進をめぐって激しく対立していました。兼通は、内大臣や関白に就任し、権力を手中にすると、兼家の昇進を止めてしまったといいます。このような兼通の振る舞いを『大鏡』(平安時代後期に成立した歴史物語)は「何という悪いこと」と酷評しています。

 逼塞していた兼家は、ある時、憂いの想いを長歌にして、円融天皇に奉ります。それに対し、天皇は『古今集』(平安時代の歌集。最初の勅撰和歌集。成立は905年)の

「最上川 のぼればくだる 稲舟の いなにはあらず この月ばかり」

(最上川を上り下りして行き来する稲を積んだ舟ではないが 答えは ”否” ではない。 逢えないのは今月だけ)
『古今集』

との歌を示し「暫し待て」「耐えよ」との内意を伝えられたとされます。

 兼家がこのような境遇となったのには、1つの要因がありました。兄・兼通が病に倒れたのです。家人が、兼家が住む東三条殿から車がやって来たことを告げると、兼通は

「弟とは長年、不仲で過ごしてきたが、私の最期が近いと聞いて、見舞いにでも来たのであろう」

と周りに語ったとされます。

 すぐに兼家を迎える用意がなされますが、暫くすると「殿の邸を素通りなされました。御所の方に向かわれました」との知らせが入ります。この弟(兼家)の対応に兼通は

「見舞いにでもやって来たならば、関白を譲る相談でもしようと思っていたところを。けしからん」

と激怒。病をおして、御所に向かうのです。

 御所に向かうと、兼家は天皇に関白後任のことを願っている最中でした。そこに兄・兼通がやって来たから、さすがの兼家もびっくり仰天。隣の部屋に逃げてしまいます。天皇に対し、兼通は「関白には藤原頼忠を任じること。兼家を治部卿に降格させること」を奏上するのでした。鬼気迫る兼通の言葉を天皇は受け止めます。

 程なく、兼通は亡くなりますが(977年)、『大鏡』は、兼通のこの「最後の除目(官職任命の政務)」を「死期に臨みながら、参内までして除目の奏上をするなど、他人が出来ることではない」と評しています。

 兄に死が迫っているにもかかわらず、見舞いにも行かず、栄達を望む兼家も兼家ならば、怒りに任せてそれを阻んだ兼通も兼通ということができるでしょうか。

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  この記事を書いた人
濱田浩一郎 さん
はまだ・こういちろう。歴史学者、作家、評論家。1983年大阪生まれ、兵庫県相生市出身。2006年皇學館大学文学部卒業、2011年皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。専門は日本中世史。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。 著書『播 ...

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