「光る君へ」紫式部とその父・為時はなぜ越前に下向したのか?

 大河ドラマ「光る君へ」第21回は「旅立ち」。ドラマは「越前編」がスタートしました。紫式部は都から越前国(現在の福井県)に下向することになるのです。

 では、なぜ式部は越前に向かうことになったのでしょう。長徳2年(996)正月25日、朝廷において除目(大臣以外の諸官職を任命する宮中の行事)が行われます。この除目の際、紫式部の父・藤原為時は「淡路守」に任命されました。

 為時は、花山天皇の時代には「式部丞」(式部省の三等官)に任命されていました。また、殿上人として天皇の側近くに侍る蔵人にも任じられ、順調に出世していたのです。ところが、花山天皇は寛和2年(986)に突如退位。一条天皇が即位すると、為時に不遇の時がやって来ます。停職となり、無官になってしまったのです。花山天皇やその側近に近づき過ぎたことが、藤原兼家(道長の父)に嫌われたからとも言われています。清貧の生活を送る為時。苦節10年で、やっと官を得ることになるのでした。

 淡路守として淡路に赴任する予定だった為時ですが、突然、変更になります(ちなみに淡路は「下国」1番下の位の国の1つでした)。源国盛が任命されるはずだった「越前守」に、為時が任じられたのです。藤原道長がこれに関与していたという説もあります(平安時代に編纂された歴史書『日本紀略』)。越前国は「大国」であり、為時が越前守に任じられたのは、ラッキーだったと言えるでしょう。

 では、なぜ為時が大国の国司に任じられたのでしょうか。それは、前年(995年)の出来事が要因とも言われています。前年、宋(中国)人の朱仁聡ら70余人が交易を求めて若狭国に来着していました(その後、越前に移動)。彼らを接遇するため、学者であり、漢詩文に長けた為時が越前守に任命されたと考えられているのです。

 こうして為時は住み慣れた都を離れることになったのでした。娘の紫式部もそれに同行します。式部の母は幼少期に亡くなっていました。よって為時は妻を伴わずに下向することになります。父の世話をするために式部は越前に下ったと考えて良いでしょう。為時と式部の新生活の幕が開かれました。

※この掲載記事に関して、誤字脱字等の修正依頼、ご指摘などがありましたらこちらよりご連絡をお願いいたします。

  この記事を書いた人
濱田浩一郎 さん
はまだ・こういちろう。歴史学者、作家、評論家。1983年大阪生まれ、兵庫県相生市出身。2006年皇學館大学文学部卒業、2011年皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。専門は日本中世史。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。 著書『播 ...

コメント欄

  • この記事に関するご感想、ご意見、ウンチク等をお寄せください。