稲荷神社に祀られているのは? 〜お稲荷様の真実〜

 ”お稲荷様”といえば、ずらっと並ぶ赤い鳥居に狐、ひょっとしたら油揚げで包んだお寿司の お稲荷さん(稲荷寿司)を思い出してヨダレが…、なんて人もいるかもしれません。

 とにかく有名なお稲荷様。一般的にお稲荷様といったら、稲荷神社か、そこに祀られる神様を指します。そして江戸時代には、「江戸に多きものは伊勢屋稲荷に犬の糞」といわれるほど、至る所に祀られるようになります。さらに、冒頭でも書いたように “狐” のイメージが強いかと思います。

 しかし、稲荷神社の神様は決して狐ではありません。「じゃあ、何?」そこで今回は、お稲荷様の正体について解説します。

“お稲荷様”は何の神様?

 全国に3万社余りあるといわれる稲荷神社。その総本社が、赤い千本鳥居で有名な京都府にある伏見稲荷大社です。

千本鳥居
千本鳥居

 伏見稲荷大社の本殿は上社・中社・下社の3つに分かれており、中央にある下社に一般的に”お稲荷様”と呼ばれる神様が祀られています。その神様の名前は、

「宇迦之御魂大神(ウカノミタマ)」 (※『日本書紀』では「倉稲魂命」と表記)

 五穀をつかさどる神様です。「農業の神様」として古来より農耕民族の日本人から人気があったようです。

 産業の中心が農業から商業へ移ると、今度は「商売繁盛の神様」として信仰されます。また、豊作や商売繁盛→裕福になる→「出世や学業成就の神様」にもなっています。

 ちなみに、『古事記』では須佐之男命と神大市比売との間に生まれた国津神で、『日本書紀』においては伊弉諾尊と伊弉冉尊の間に生まれた天津神となっています。

 いずれにせよ、先述の通り決して”狐”ではありませんのでお間違えなく。

なぜ“狐”がいるのか?

 しかし、伏見稲荷大社だけでなく、小さな稲荷神社にも必ずといっていいほど “狐” がいますよね。御祭神の宇迦之御魂大神は狐ではないのに…。その理由は、稲荷神社という社名に由来があるようです。

 そもそも稲荷神社の総本社である伏見稲荷大社の起源は『山城国風土記』によると、

「秦氏の祖先である伊侶具(巨)が餅を的にして矢を射たところ、餅は白鳥となって山に飛び去り、山の峰におりてそこに稲が生った。そこで、その山に社殿を建てて“伊奈利”と名付けた」

とあります。

 文中の「伊奈利」は間違いなく「稲生り」のことであり、後に豊かに実った稲を担い(荷い)で神に捧げる様子から「稲荷」の字があてられたといわれています。

 狐、関係ありませんね…。しかし、豊かに実った稲の穂の束を見ていると、狐の尻尾を連想しませんか?少し強引に狐を出した感がありますが、実は「狐=田の神」という考えが日本にはありました。

 先ず、稲荷神社の御祭神である宇迦之御魂大神は「御食津神(みけつかみ)」という別名を持っています。そして、食津(けつ)が狐の古称である「狐(けつ)」と同じ音なので、「御食津神=三狐神(みけつかみ)」と表記されるようになります。

 さらに、春先に山から下りてきて人里近くに住み、秋の終わりにまた山へ帰るという狐の習性が、まるで農作業を見守ってくれているように思えたことや、先述の通り、狐の尻尾がたわわに実った稲穂(豊作)を連想させること等から、「狐は田の神様(お稲荷様)の使い」と考えられるようになりました。

 以上のことから、狐は宇迦之御魂大神の使い(神使)として、稲荷神社には欠かせない存在になったのです。

伏見稲荷大社について

 ここで少し伏見稲荷神社についてお話します。

 総本社ですから、全国にある稲荷神社は、この神社の分祠(または分祠の分祠…)になります。そして、日本で一番数の多い神社です。

 神社の創建は和銅4年(711年)で、いわゆる式内社(名神大社)。旧社格は官幣大社でした。

 天長4年(827)に朝廷から「従五位下」の官位を授かり、以後順調に出世?して天慶5年(942)に「正一位」を授かります。お稲荷様が「正一位稲荷大明神」と呼ばれるのはこのためです。

 なお、応仁2年(1468)に社殿の多くは焼失してしまいます。応仁の乱に巻き込まれたからです。社殿が再建されたのは約30年後の明応8年(1499)でした。

伏見稲荷大社、史上最大の危機が訪れる

 位階における最高位「正一位」を得た伏見稲荷大社でしたが、文禄4年(1595)に最大の危機が訪れます。それが、豊臣秀吉からの「即時破壊する」という脅しです。

 秀吉は伏見稲荷大社の稲荷大明神宛に脅し内容の入った朱印状を出します。その朱印状の内容を要約すると、

「宇喜多秀家の妻である豪姫が病にかかった。狐がとり憑いたと思われるので、速やかに彼女の体から退去せよ。今後、もし彼女に何か不慮のことが起こったら、伏見稲荷大社を即時に破壊し、さらに毎年狐狩りを行って国内の狐を絶滅させるつもりだ。このことをよく理解し、神官たちは祈祷に励むように。」

 豪姫は前田利家の四女で、秀吉は養女に迎え入れとても可愛がりました。正一位の神様に対して脅しをかけるなんて、さすがは秀吉です。ちなみに伏見稲荷大社は破壊されなかったので豪姫は無事に治ったようですね。

もう一つのお稲荷様「豊川稲荷」

 “三大〇〇”という言葉をよく聞きます。お稲荷様にも例外なく存在していて、伏見稲荷大社・豊川稲荷(愛知県)・笠間稲荷神社(茨城県)・祐徳稲荷神社(佐賀県)の4ヶ所を指すことが多いです。(三大なのに4ヶ所あるのもお約束ですね)

 しかし、よく見ると豊川稲荷だけ他の3ヶ所と異なり、「神社」の文字が抜けています。なぜなら、豊川稲荷という表記が俗称であって、正式名称は違うからです。

豊川稲荷
豊川稲荷

 豊川稲荷の正式名称は「円福山 豊川閣 妙厳寺」。嘉吉元年(1441年)に創建され、千手観音を御本尊とする曹洞宗の立派なお寺です。そして、ここのお稲荷様は御本尊の千手観音ではなく、境内の鎮守として祀られる「豊川吒枳尼真天(とよかわだきにしんてん)」です。(余談ですが、稲荷寿司発祥の地は豊川稲荷の門前町といわれています)

 江戸時代、大岡越前守忠相が自分の家にお稲荷様を祀った話は有名ですが、このお稲荷様は豊川稲荷から勧請したものです。そして、これが後に豊川稲荷東京別院(東京都港区)になります。つまり、豊川のお稲荷様はお寺にいる仏様なので、神社にいるお稲荷様(神様)とは異なる、「もう一つのお稲荷様」なのです。

仏様のお稲荷様の正体

 しかし何故、お寺にもお稲荷様がいるのでしょうか?

 お稲荷様が仏教と結びついたのは「従五位下」の官位を授かった天長4年(827)です。空海が東寺に塔を建てるために稲荷山(伏見稲荷大社の山)の樹木を伐採したことによる祟りを鎮めるため、東寺の鎮守として稲荷神社を迎えることになりました。(空海が紀伊の田辺で稲荷神に出会った、という話もあります)

 これ以降、稲荷神社を鎮守とするお寺が増え、全国に広まっていきました。さらに、真言宗はお稲荷様を「茶吉尼天(だきにてん)」と同体にする理論を構築して習合させます。

 この茶吉尼天は、夜叉の類で大黒天の眷属、ヒンドゥー教ではカーリー女神の従者で人間を食べる存在でした。空海によってもたらされた真言密教では胎蔵界曼荼羅に登場しています。

荼吉尼天の図像(『仏像図彙(1783年)』より。出典:wikipedia)
荼吉尼天の図像(『仏像図彙(1783年)』より。出典:wikipedia)

 以後、日本では百辰狐王菩薩という別名をもらい、狐にまたがる女天の姿で表されます。日本で狐といえばお稲荷様ですから、「狐にまたがる茶吉尼天=お稲荷様」となるのは当たり前の流れだったのかもしれませんね。

 そして、この茶吉尼天を祀るお寺が仏教系お稲荷様となりました。

最後に

 曖昧な宗教観を持つ現代の日本人にとって、神仏習合はわかりやすい考え方だと思います。

 その代表例が“お稲荷様”ですが、狐はあくまで神様(仏様)のお使い。神仏の区別は曖昧でも、ご主人様とお使いの区別だけはしっかりと理解しておきたいものですね。

 ちなみに筆者は稲荷寿司に醤油をかけて食べる派ですが、皆さまはいかがですか?


【主な参考文献】
  • 阿部正路『日本の神様を知る辞典』日本文芸社(2003年)
  • 笠原一男、児玉幸多『続々 日本史こぼれ話 古代・中世』山川出版社(2003年)
  • 渋谷申博『日本の神社を知る辞典』三笠書房(2012年)
  • 河合敦『神社で読み解く日本史の謎』PHP文庫(2015年)
  • 博学こだわり倶楽部 『お寺と神社』河出書房新社(2013年)
  • 支倉清、伊藤時彦『お稲荷様って、神様?仏様?』築地書館(2010年)

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  この記事を書いた人
まつおか はに さん
はにわといっしょにどこまでも。 週末ゆるゆるロードバイク乗り。静岡県西部を中心に出没。 これまでに神社と城はそれぞれ300箇所、古墳は500箇所以上を巡っています。 漫画、アニメ、ドラマの聖地巡礼も好きです。

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