「光る君へ」佐々木蔵之介さん演じる藤原宣孝の驚くべき豪胆な性格とは

 大河ドラマ「光る君へ」第25回は「決意」。

 「光る君へ」では、平安時代中期の貴族・藤原宣孝を俳優の佐々木蔵之介さんが演じています。貧窮する藤原為時・まひろ(紫式部)親子を時に励まし、時に温かく見守る役柄として登場しています。宣孝の生年は不明ですが、主人公のまひろとは20歳ほど年上であったと考えられます。

 宣孝の曽祖父は定方。右大臣にまで昇進し、醍醐天皇の外戚でありました。祖父は朝頼で勘解由長官(地方行政の監査職)にまで至っています。そして父は為輔と言い、権中納言となっています。その子・宣孝は賀茂祭の舞人や、賀茂臨時祭では神楽の人長を務めていますが「甚だ絶妙」との評価を得ているのです。なかなか優秀な官僚だったのです。

        藤原定方
     ┏━┳━┫
    朝頼 朝成 朝忠
     ┃
    為輔
 ┏━┳━┫
宣孝 説孝 惟孝
 ┃
隆光

※参考:藤原宣孝の略系図(戦国ヒストリー編集部作成)

 しかし時に、賀茂臨時祭(984年)で馬を牽く役目を務めないといった問題行動を起こしており、処分を受けています。優秀さと放埒(勝手気ままな振舞い)さが合わさったような性格だったのでしょう。宣孝の名を一躍有名にしたのが、彼の御嶽詣(990年)だったと思われます。当時、御嶽詣は、身なりを質素にしていくものだという慣習がありました。ところが、宣孝はその慣習を

「つまらないことだ」

と一蹴。

「綺麗な着物で登るのがなぜいけない。汚い着物で登れとは、御嶽の神様も仰せにはならないだろう」

とも言い、紫のとても濃い指貫に、白い狩衣、山吹色の派手な色の衣を着て、御嶽詣を敢行したのでした。息子の隆光にも、同じような派手な格好をさせて、参詣させたのです。

 派手な服装の親子に、参詣の者たちも目を見張ったとのこと。下山して後、宣孝は筑前守に任命されます。派手な格好で参詣したからと言って、神罰は下らず。逆に栄転したのです。

 この宣孝の行状は、清少納言の随筆『枕草子』に記載されています。慣習といったものに拘らない、人の目も気にしない、我が道を往く、宣孝の姿が垣間見えます。

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  この記事を書いた人
濱田浩一郎 さん
はまだ・こういちろう。歴史学者、作家、評論家。1983年大阪生まれ、兵庫県相生市出身。2006年皇學館大学文学部卒業、2011年皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。専門は日本中世史。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。 著書『播 ...

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