「日比谷公園」〝野音〟の建替工事がもうすぐ始まる…… J-POPの聖地は消滅してしまうのか?
- 2024/09/19
建替工事が決まった野音
「野音」と聞けば、頭に思い浮かぶのは日比谷野外音楽堂。日本に野外音楽堂は数あるけれど、知名度で群を抜いた存在だ。その野音が建て替えられるという。ネットの記事によれば、年内には使用中止にして建替工事にかかるとあり、これを見た時には衝撃が走った。詳細が知りたい。管理事務所の HPを確認してみたところ、
「使用を来年9月頃まで(予定)延長します。
(令和6年10月は使用を休止します。)」
このように書かれている。
どうやら、整備事業者公募に応募がなく工事予定が延びたようだ。延長期間中に再整備事業者を選定し、10月からは建替工事を始めるといったスケジュールになりそう。
当初の予定より1年ほど予定が延びたけど、建替の方針は変わらない。数々の伝説が生まれた場所なのだが、伝統的建造物とか文化財にでも指定されない限り、保存の対象にはならない。老朽化して使い勝手が悪くなった建造物は、壊して建替えるしかない。それは仕方のないことなのだろうけど……。
キャンディーズの名言が生まれたステージ
昭和52年(1977)7月17日、J-POP の歴史に刻まれる伝説の出来事が、野音のステージの上で起きている。この日は、人気絶頂だったキャンディーズのコンサートが開催されていた。その終盤、リーダーの伊藤蘭が、「私たち普通の女の子に戻ります!」
と、感極まった声で叫んだ。突然の解散宣言はテレビや新聞で大きく取り上げられ、彼女の言葉は同年で一番の流行語にもなっている。日本中を騒然とさせた大事件だった。
また、昭和59年8月4日には、野音で開かれたフェスに出演していた尾崎豊が、照明装置の上から飛び降りて足を骨折する事故が起きている。
当時の尾崎はデビューから間もない新人で、あまり話題にならなかったようだが。しかし、彼の知名度が高まるにつれて、この出来事も伝説に。そして野音も、彼のファンにとっては伝説を生んだ聖地となってゆく。
さらに60〜70年代にまで遡ってみよう。
現代では武道館でコンサートを開くことが、ひとつのステータスになっている。が、当時の日本人ミュージシャンにはハードルが高い。武道館での単独コンサートは、外国の有名ミュージシャンばっかり。
日本のミュージシャンにとって、最上級のステージは野音だった。屋外とはいえ6000人近い観客が収容できる。当時、これだけ大きなハコは他になかった。
昭和44年(1969)9月22日にはレコード会社の垣根を越えて、ミュージシャンが結集した「10円コンサート(正式名称はニューロック・ジャム・コンサート)」が野音で開催された。
あいにくの雨の中、観客はズブ濡れになりながら大盛りあがり。悪天候も場を盛りあげる演出効果になったのか?
アメリカのウッドストックになぞらえて〝日本のウッドストック〟と呼ばれたりもした。このコンサートも現代にまで語り継がれる野音の伝説となり、ロックの聖地として崇められるようになる。
また、この時代の若者は音楽と同じくらいに政治にも関心が高い。野音は学生集会の場としても使われた。
10円コンサートが開催される2週間ほど前、9月 5 日には全国全共闘連合結成大会が開かれた。観客席はヘルメットで武装した学生たちで埋め尽くされ、コンサートの大音響よりも凄まじいシュプレヒコールの声が響いたという。ここは政治運動の聖地でもあったのか?
野音で生まれた伝説はまだまだあるが、ここですべてを紹介することは難しい。そんな伝説の地も、なくなる時にはいとも簡単に消滅してしまう。そんな事例は過去にも数多くある。
はたして、リニューアル工事完了後に「伝説の地」の風情は、どこまで残っているだろうか。現地に行けば、もう少し詳しいことが分かるかもしれない。
大噴水の周辺も再整備される
日比谷公園に入ると、園内中央の大噴水近くに「バリアフリー日比谷公園プロジェクト」の看板を掲げたテントが設営されていた。そこで都庁職員がパンフレットを配り、工事内容を説明している。どうやら野音だけの話ではなく、日比谷公園の全域にわたる大規模な再整備がおこなわれるようだ。 日比谷公園全体をバリアフリー化して年齢や国籍、障害の有無に関わらず誰もが楽しめる場所にする。という目的で、令和3年(2021)7月に「都立日比谷公園再整備計画」が策定された。
野音の再整備はその一環。プロジェクトがすべて完了するのは、開園130周年となる令和15年(2033)になるという。
すでに再整備工事が完了している場所もある。大噴水に隣接する第二花壇は、かつて段差があり柵で囲われていた。それがいまはバリアフリーの芝生広場となり、もうすぐ一般開放される予定。園路が拡幅されて車椅子やベビーカーも通れるようになる。
第二花壇は戦前まで運動場として使われ、花壇を囲む段差はその名残だったのだけど……。明治42年(1909)には、ハルビンで暗殺された伊藤博文の国葬がおこなわれた旧跡でもある。形状を変貌させてしまうことに、異を唱える人々もいたようなのだが。
大噴水も近く再整備工事にかかる予定だという。この噴水は昭和36年(1961)に完成し、公園のシンボルとして親しまれてきた。
噴水に腰掛けて昼休みのひと時を過ごす。昔から付近の企業に勤務するサラリーマンやOLには馴染み深い場所だ。昭和30〜40年代の古い邦画にも、そういったシーンをよく見かける。その眺めはいまも変わっていない。
「大噴水は現在の形状を継承し再整備します」と、再整備計画の概要を説明したパンフレットには書かれているのだが。しかし、昔のまま……とは、いかないだろう。
大噴水の後背にある小音楽堂は、バリアフリーという目的に適合させるため、段差や柵をなくして噴水広場と一体化される。また、周辺の樹木も移植されることになる。
噴水の背景が変貌することは間違いない。また、噴水は形状を継承して再建されるというのだが。これもそっくり昔のままに作り替えるなんてことは、ありえない。
古い映画のファンが、現代風の意匠を施された噴水を眺めれば、違和感や寂しさを味わうことになるだろう。たぶん。
野音に屋根が付けられる?
さて、話を野音のことに戻そう。現在の大音楽堂は老朽化にくわえて、バリアフリー対応が不十分、また、控室やバックヤードが不足していることなど問題が多いという。パンフレットには「令和6年度から基本設計に着手する予定です。」と、ある。どのように改装されるのか、詳細はまだなにも決まっていないのだが。問題が多いというだけに、再整備は大規模なものになりそうだ。
日比谷野外音楽堂は、大正12年(1923)7月に開設された。日本初の大規模野外音楽堂なだけに、そのまま残っていれば歴史的建造物になっていたのかもしれない。しかし、その後に2度の大改装がおこなわれ、ステージや客席は開設当時のものではない。
現在のステージは昭和58年(1983)に完成した3代目。キャンディーズが解散宣言をしたのは、そのひとつ前の昭和29年(1954)に建設された2代目ステージだ。その事実を……つい、忘れがちになってしまう。
キャンディーズの解散宣言をした当時の野音を私は知らない。だから、それが自分の知る現代のステージの上で起きていたことのように錯覚してしまう。というか、脳がそう思いたがっているのだろう。たぶん。
音楽史の名シーンが繰り広げられた同じ現場に、自分がいる。その想いを味わいたくて自己暗示をかけていたのかもしれない。
おそらく過去の全面改装は、そんな想いも汲んで、改装前の野音のイメージを損なわないよう細かい配慮がされていたのだと思う。だから私も、楽しい錯覚を味わうことができた。
で、今回はどうなるのだろうか?
それについては、とっても気になることがひとつある。パンフレットに「雨天でも対応できるようにステージ上及び観客席前方に屋根を設置」と、あるのだが。
武道館が東京ドームなら、野音は甲子園球場。しかし、屋根を付けてしまえば半ドーム球場。甲子園が所沢の西武ドームみたいな感じになるのは嫌だな。屋根の有無で、雰囲気はかなり違ったものになるだろう。
屋根があれば暑い日差しを避けられるし、雨に濡れることもない。アーティストも観客も快適だろうけど、雨にはコンサートを盛りあげる演出効果があったりもする。実際、音楽史を紐解けば雨の中でおこなわれた伝説のコンサートっていうのは多い。
傘が差せずズブ濡れになりながら、みんなで盛りあがる一体感。あれは屋根のない野音でしか体験できない。
この他にもバリアフリー化やバックヤードの大改装で、いまよりずっと便利で快適な施設になることは間違いなさそう。だけど不便が、便利や快適に勝ることもある。
前回の大改装から40年以上が過ぎた老朽施設、たしかに不便は多々ある。しかし、それが野音らしさ、野音の魅力のひとつだったりもする。
今年度中に着手されるという基本設計には、ぜひ、そのあたりも考慮して欲しい……。
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