大河ドラマ「光る君へ」藤原道長が「望月の歌」を「誇っている歌だ」と事前に伝えて詠んだ訳

 大河ドラマ「光る君へ」第44回は「望月の夜」。藤原道長が有名な「望月の歌」を詠む場面が描かれました。

 寛仁2年(1018)正月3日、後一条天皇(一条天皇と藤原道長の娘・彰子の子)の元服の儀が執行されます。道長は太政大臣として、加冠役を務めます(翌月、道長は太政大臣を辞職)。そして、同年3月7日、道長とその妻・倫子との間に生まれた威子が、後一条天皇に入内するのです。威子は、後一条天皇より9歳も年上でした。しかも、両者は叔母と甥の関係にありました。7月下旬に威子の立后が決まり、10月16日に威子は中宮となります。

同日、道長の邸宅(土御門第)では、諸公卿を招いて、祝宴が開かれました。その祝宴の際、道長は和歌を詠みます。道長の日記『御堂関白記』にも自身が和歌を詠んだこと、列座の人々がその和歌を詠唱したことが記述されています。が、その和歌がどのようなものだったのかについての記載はありません。この時、道長が詠んだ和歌の内容を知ることができるのは、同席した公卿・藤原実資のお陰です。実資が日記『小右記』に道長の和歌について書き残しているのです。

 祝宴の最中、道長は実資を側に呼び「和歌を詠もうと思う。必ず応じて欲しい」と伝えます。それに対し、実資は「どうして私のようなものが応じることができるでしょうか」と回答。その後、道長が詠んだ歌が史上有名な「この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたる事も無しと思へば」(この世において、自分の思うようにならないものはない。満月に欠けるもののないように、全てが満足にそろっている)というものでした。栄華の絶頂を誇った歌と言えるでしょう。

 道長は事前に「誇っている歌である」ことを実資に伝えています。何も言わずにこの内容の歌を詠んでしまったら(自慢して)(奢っている)などと思われてしまう。よって予め「誇っている歌である」と伝えたのでしょう。今でも「自慢に聞こえるかもしれませんが・・」と一言断って自慢するのと同じです。道長は「望月の歌」を誇っている内容と自覚しつつ、詠んだのでした。


【主要参考文献一覧】
  • 朧谷寿『藤原道長』(ミネルヴァ書房、2007年)
  • 倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社、2023年)

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  この記事を書いた人
濱田浩一郎 さん
はまだ・こういちろう。歴史学者、作家、評論家。1983年大阪生まれ、兵庫県相生市出身。2006年皇學館大学文学部卒業、2011年皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。専門は日本中世史。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。 著書『播 ...

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