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【逸話 LINEトーク画風】真田昌幸、死の間際に大阪の陣を予言(1611年)

戦ヒス編集部
 2017/10/18

── 紀伊国・九度山 ──

<a href='https://sengoku-his.com/400'>真田幸村</a>アイコン

幸村

父上・・。

<a href='https://sengoku-his.com/477'>真田昌幸</a>アイコン

昌幸

ハァ・・ハァ・・・・。

源次郎(=幸村)よ。わしはもうこの先長くはない。

・・・・不覚じゃ。この先世が大きく動こうとするというのに、家康よりも先に尽き果てることになろうとは。。

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幸村

父上!なにを仰せられますか。まだまだこれからでございます。

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昌幸

・・・・豊臣と徳川の戦はあと数年もすれば現実となるであろう。

源次郎。お主がこのわしの代わりに大阪城へ行け。秀頼公の元で家康と戦うのじゃ!

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幸村

父上!なにか策でもおありなのですか?

ぜひその策をそれがしにお聞かせください!!

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昌幸

源次郎よ。・・ハァ・ハァ・・。

策を教えるのは容易いが、それを実行するのは容易ではないぞ。

そして、以下のような壮大な昌幸の策が幸村に伝えられた。

  • 豊臣と徳川が手切れとなったら、まず大阪方の軍勢を率いて尾張に奇襲を仕掛ける。
  • 徳川の反撃がきたら決戦をするのではなく、軽くあしらって時間を稼ぎ、味方の軍勢を近江まで後退させる。
  • 近江の瀬田橋、次いで京都の宇治橋を落として防衛を固めて、その間に徳川の拠点・二条城を焼き払う。
  • その後、大阪城に籠城して長期戦を展開。徳川方の士気低下や疲弊によって動揺や不満を誘い、大阪方へ転ずる者がでてくる。
  • その結果、家康は大阪城への攻撃を継続できなくなり、撤退を余儀なくされ、再度天下は豊臣方にかたむいてくる。

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幸村

なんと!!

(父上はそのような事を考えていたのか・・・。)

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昌幸

・・ハァ・・ハァ。

しかし源次郎よ。この秘策は徳川に2度勝利した名声をもつわしだからこそ可能なのじゃ・・・ゴホッ!ゴホン!。

・・・お主はお主であってわしではない。

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幸村

そ、そうかもしれませぬ。しかし・・・

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昌幸

・・・・ゴホッ!ゲホホッ!!!。

・・お主に武将としての器がないといっているわけではない。ただ、若く名もないお主が策を披露したところで皆に受け入れられるかどうかなのじゃ。

・・・源次郎。太閤が遺した難攻不落の大阪城で家康を討て。。わしの代わりに。。

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幸村

・・・。

昌幸の遺言は、のちの大阪の陣で実際に的中するという、悲運の予言であった。

  この記事を書いた人
戦ヒス編集部 さん


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