だるまのトリビア!手足がない「ちょっと怖い理由」、爆発的ヒットの裏側など…
- 2026/01/13
だるまのモデルは禅宗の開祖・達磨大師だった
だるまのルーツは鎌倉時代まで遡ります。仏教が大陸から伝来して間もない当時、禅宗では開祖である宋の高僧・達磨大師を崇め、その姿を描いた掛け軸やお札を信仰の対象としました。モデルとなった達磨大師は、南天竺(現在の南インド)の王子の身分を捨てて中国へ渡った人物です。少林寺にて厳しい修行を積み、のちに「菩提達磨」を襲名。生涯をかけて仏の心を説き続けたそうです。その容姿は、禿頭に大きな耳輪、そして鋭い眼光の強面……まさに現在に伝わる”だるま”そのものです。
ここで一つ疑問が浮かびます。なぜだるまには手足がないのでしょうか。答えは、達磨大師の伝説にあります。『洛陽伽藍記』曰く、達磨大師は少林寺の壁に向き合って9年もの間、座禅を組み続けました(面壁九年)。その結果、手足が腐れ落ちてしまったのです。想像するとちょっと怖いですね。
そんな大師への畏敬の念から、手足のない姿が定着しました。当初は普通に目入りで描かれ、やがて関西発祥の人形「不倒翁(ふとうおう)」と結びつき、我々がよく知るおもちゃ「起き上がり小法師」へと進化。時代が下って江戸に伝わると、赤くて丸いだるまが誕生したのです。
達磨大師が成した面壁9年の偉業にあやかり、座禅姿を連想させる見た目をしています。何度倒れてもすぐ起き上がり、幾ら転んでも全くへこたれない様子は、凄まじい忍耐力と克己心を感じさせます。
あの宮本武蔵も達磨大師を尊敬していた模様で、大量のスケッチを残しています。
疱瘡神は赤が苦手!だるまに厄除け祈願する江戸っ子たち
大陸から日本に伝来当初、起き上がり小法師はインドの法衣と同じ、鮮やかな黄色に塗られていました。その後、だるまになるまでに「赤」に変わったのは、日本人が古来より「赤」に魔除けの力があると信じてきたためです。これは風水や道教でも同じで、火や血を象徴する赤は、魔を打ち破る、破邪(はじゃ)の力が付与されていると人々は信じました。神社の鳥居を真っ赤に塗るのと同じ心理です。
炎で邪気を浄化する考え方は仏教の護摩行にも通じ、だるまのイメチェンに説得力を持たせます。その一方で鉱物由来の赤い塗料は防腐剤としても重宝され、これを使うと発色が長持ちすることから、古代人は「不死の色」と崇めてきたのです。
江戸時代、だるまは赤色の張子で製作され、疱瘡(天然痘)退散のお守りとして売り出されました。今でこそ治療法が確立していますが、当時の疱瘡は不治の病でした。特効薬も発明されておらず、治るかどうかは完全に運任せ。奇跡的に回復しても醜い痘痕(あばた)が残ってしまうため、とりわけ女子供に恐れられたのです。
全国に蔓延していく流行り病に怯え切った江戸っ子たちは、疱瘡神が犬と並んで嫌うだるまをこぞって買い求め、長屋の神棚や玄関先に祀り拝んだと言います。大小様々なサイズを揃え、お値段もお手頃なだるまが、武士から町人まで幅広い層に好まれたのは想像に難くありません。
雛人形や五月人形と違い、一年中出しっぱなしにしておけるため、殺風景な部屋に飾るマスコットとしても最適です。その他にも赤い小物を身近に置いたり、赤いお札や絵を貼ったりと、厄介な疱瘡神を追い出す為に試行錯誤した日々の苦労が忍ばれます。会津の郷土玩具「赤べこ」や飛騨の「さるぼぼ」も、実はだるまと同じく疱瘡除けの願いが込められています。特に群馬の「高崎だるま」は、赤色に加えて鶴亀の文様が描かれたことで、最強の縁起物として不動の地位を築きました。
ちなみに赤くないだるまも少数ながら存在し、大空や海を表す群青色に染めた仙台藩の「松川だるま」が挙げられます。また、紅白ひと揃いの験を担いで白いだるまも作られていました。養蚕農家ではネズミ除けのお守りも兼ねていたらしく、疱瘡神ならずともあの目ヂカラには気圧されるのか、害獣駆除に効くことが実証済みです。
だるまの目入れは左から?目無しだるまが主流となった知られざるからくり
現在主流の「目無しだるま」が登場したのは江戸中期以降のこと。それまでの約100年間は、最初から目が入った状態で売られていました。
なぜ目が消えたのか。その理由は、意外にも「顧客のこだわり」にありました。疱瘡が流行してだるまが売れるようになると、客が綺麗に両目が描かれただるまを選り好みするようになったからです。商人は「目が不揃いなのは嫌だ」と客に敬遠されると判断し、「客が自分で好きな目を入れられる」という付加価値をつけて売り出しました。これが大ヒットし、目無しが主流になったというわけです。
目を入れる順番にも作法があります。一般的には「左目(向かって右)」から入れ、願いが叶ったら「右目」に描き込むのが正しいとされています。
これは日本古来の「左上位(左が格上)」の考え方に基づいています。故に左が上座で右が下座、左大臣と右大臣なら左大臣の方が格上。ここに物事のはじまりを意味する「阿(あ)」と終わりを意味する「吽(うん)」を重んじる阿吽思想も影響しています。選挙の当選ニュースなどで、ぜひその順番に注目してみてください。
一方で、今も頑なに目入りを守り続けるだるまもあります。前述の「松川だるま」です。これは、幼少期に疱瘡で右目を失った独眼竜・伊達政宗公への配慮だといわれています。偉大な藩主への敬愛と優しさが、この伝統には込められているのです。
おわりに
以上、日本人に末永く愛され続けるだるまの成り立ちでした。あれだけ猛威を振るった疱瘡神がだるまを苦手にしているのは微笑ましいですが、四肢欠損した達磨大師がモデルと知ると、なんだが見方が変わってしまいますね。調べてみたら思いのほか種類があり、筆者もだるま市に行ってみたくなりました。皆さんも、ぜひ次のだるま市でお気に入りを見つけてみてください。【参考文献】
- 柳田聖山『ダルマ』(講談社 1998年)
- H.O.ローテルムンド『疱瘡神 江戸時代の病いをめぐる民間信仰の研究』(岩波書店 1995年)
- 宮田登 (著)・小松和彦 (解説)『江戸のはやり神』(法蔵館 2023年)
- 藤田琢司『日本にのこる達磨伝説』(禅文化研究所 2007年)
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