【豊臣兄弟!】ブッタの時代以来、初めてだとまで評された織田信長による残忍な処刑とは?
- 2026/06/29
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大河ドラマ「豊臣兄弟!」第25回は「変事の予兆」。
同ドラマにおいて摂津国の武将・荒木村重はトータス松本さんが演じています。織田信長に仕えていた村重ですが、天正6年(1578)10月、信長に反旗を翻しました。信長は説得の使者を何度も派遣しますが、村重は翻意せず、信長を裏切り、足利義昭を奉じる毛利方に加勢することになります(信長は何度も使者を遣わし、村重を翻意させようとしていました)。
村重は有岡城(兵庫県伊丹市)に籠り、織田方の軍勢と戦うことになりますが、劣勢となり、天正7年(1579)9月2日の夜、同城を脱け出し、尼崎城に移ることになりました。織田方は「尼崎城や華熊城を明け渡せば人質となっている各々の妻子を助けよう」と提案しますが、村重は受け入れず。そのため人質となっていた荒木方の人々は大いに嘆き悲しんだとのこと。
その事を聞いた信長は不憫に思いますが、村重を懲らしめるため、人質全員を処刑することを命じます。先ず、尼崎の近くにある七松にて122人の婦女子が引き出され、鉄砲・槍・長刀でもって殺害されたのです。多くの女性が一度に嘆き悲しむ声は天にも響くばかりであり、見物人を悲しみと恐怖に陥れたのでした。その光景は見物人の目に長い間、焼き付いていたと言います。別の5百人ばかりの男女は4つの家に押し込められ、焼き殺されました。
残忍な処刑を見た人々は、目を覆い、その光景を2度と見ようとしなかったと言います。同年12月16日には、荒木一族や重臣の家族などが京都の六条河原で斬首されました。京都の町衆・立入宗継は見聞記『立入左京亮入道隆佐記』に「かやうのおそろしきご成敗は、仏之御代より此方のはじめ也」(このような恐ろしい御成敗は、仏の時代以来初めてのことだ)とまで記しています。『信長公記』もまた「この数多い御成敗は上古以来初めてのことだ」と記し、前代未聞のこととしています。

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