【戦ヒスまんが】信長の日常をツラツラと語る師僧天沢(天文年間)
- 2019/07/08
尾張の天沢(てんたく)という高僧が関東へ下向したとき、立ち寄った甲斐国で武田信玄にあいさつをすると織田信長について質問攻めにあった話です。
信玄が信長に関心を寄せていたこと、得意げにペラペラしゃべる天沢が「信長の真似をせよ」と無茶振りされて面食らうかっこわるさなど、オチもあっておもしろいエピソードです。
信玄が信長に関心を寄せていたこと、得意げにペラペラしゃべる天沢が「信長の真似をせよ」と無茶振りされて面食らうかっこわるさなど、オチもあっておもしろいエピソードです。
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- 【原作】『信長公記』
- 【漫画】Yuki 雪鷹
- 【脚本】戦ヒス編集部
- 【解説】東滋実
ワンポイント解説
天沢は信玄に質問されるままに信長についてあれこれ語ります。毎日の馬の調練、鉄砲の練習について、好む趣味について、身辺に控える家臣について。信玄はその内容を興味深く聞き、信長が好むという舞や歌を真似してみよと無茶ぶりをするという内容でした。この逸話は天文年間(1532~55年まで)の話とされていますが、話の中で信長は清州城を居城としているため、正確には1555年のようですね。
当時の信長は22歳で尾張国の統一に向けて奔走。家督を相続して3年程が経ち、織田家当主・戦国大名としての頭角を現しはじめた頃にあたります。
天沢和尚
天沢和尚は尾張の信長の居城・清須城の近くにある天台宗・天永寺の僧侶です。『信長公記』は、天沢和尚について「一切経を二篇縿(くり)たる人にて候」と紹介しています。「一切経」は仏教の経典を総称したもので、全部で7000余巻あります。
考えただけでも気の遠くなりそうですが、天沢和尚は一切経を2回も読んだというのです。高僧だというのがよくわかりますね。
信長が好んだ舞や小唄
天沢和尚は、信長が能の『敦盛』を特に好み、「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり(訳:人の世の50年は下天の時間にすれば夢や幻のようなものではかないものだ)」という有名なところを歌いなれて舞うと語っています。また、小唄では「死のふは一定(いちじょう)、しのび草には何をしよぞ、一定かたりおこすよの(訳:死は必ず訪れるもの。生きた私を思い出すよすがとして何をしておこうか、きっとそれを頼りに私を思い出してくれるだろう)」というのが好きだと言っています。
『平家物語』の「敦盛最期」をもとにした『敦盛』については、桶狭間の戦いの前夜に信長が幸若舞(こうわかまい/室町時代に流行った舞)の『敦盛』を舞ったことで知られ、本能寺の変では燃える本能寺でこれをうたい舞って死んだとして知られます(本能寺については現代の小説の創作とされる)。
『敦盛』の「人間五十年~」にしても、小唄の「死のふ~」にしても、信長の死生観がうかがえる内容です。
【主な参考文献】
- 太田牛一 著、中川太古 訳『現代語訳 信長公記』(新人物文庫、2013年)
- 奥野高広・岩沢愿彦・校注『信長公記』(角川書店、1969年)
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