中国地方の覇者・毛利元就には、特別に目をかけていた三人の子がいました。嫡男の隆元と、他家の養子に出した吉川元春、小早川隆景です。三本の矢のエピソードでも知られるとおり、毛利は三兄弟が団結して家の発展に力を尽くしたことでも知られます。
今回紹介するのは毛利家を支えた次男、三男が武将としての才を幼少期から発揮していたという逸話です。
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父・元就は雪合戦で戦う元春と隆景を見て、勢いで押せ押せの元春は猛将が多い山陰に、何事も上手な隆景は人の出入りが多く計略が盛んな山陽にやろうと考えます。そしてその戦いぶりから、嫡男の隆元を旗本とし、元春、隆景を先鋒として戦うとよさそうだと考えるのでした。
この逸話のとおり、元春は母方の吉川家の養子に、隆景は山陽の竹原小早川家の養子になり、それぞれ吉川・小早川両氏の家督を相続します。
元春は数え12歳(満年齢では10か11歳)で初陣を飾り、その後生涯に一度も負けなかった不敗の戦上手として知られます。そして隆景は智将として毛利を支え、その才能は秀吉にも認められて五大老に名を連ねました。
元春、隆景は自身がどれほど優れていても毛利本家を守ることだけを考え、当主を支えました。家族が団結して毛利勢力を拡大していった体制は「毛利」と「吉川」「小早川」を合わせて「毛利両川」と呼ばれ、元春、隆景は毛利の両翼として力を尽くしました。
さて、この逸話では名前は登場するものの、どうも影が薄い人がいます。嫡男の隆元です。『名将言行録』にあるこの逸話には、隆元は登場しません。それどころか、『名将言行録』に単独の項目がないくらい存在感が薄いのです……。
そもそも、元春と隆景は3歳違いの兄弟で、仲良く一緒に成長したことが想像できますが、上の兄・隆元と元春は7つ離れていて、雪合戦をして一緒に遊ぶような年ではなかったでしょう。また、隆元は14歳ごろから山口の大内義隆のもとに人質として送られていますから、吉田郡山城には不在だった可能性もあります。
雪合戦の逸話は、おそらく成長した元春、隆景が毛利両川として活躍したあとに書かれた後世の創作でしょうが、隆元が登場しないのは彼が若くして亡くなり、弟たちほどの活躍がなかったためなのかもしれません。
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