※『名将言行録』より
元亀3年(1573年)12月、三方ヶ原の戦いで武田軍に大敗を喫した家康は、かろうじて浜松城に戻ってきた。
━━ 浜松城 ━━
はぁ・・はぁ・・・。
元忠、これから引き上げてくる兵を収容するため、門を開くのじゃ。
承知いたした!
こうして武田軍の追撃を受けていた徳川兵も引き上げてきて浜松城へ入った。
たとえ武田兵が追ってきても、わしのいる城にたやすく入らせることはせぬ。 はぁ、はぁ・・・。門を開けたままにして "かがり火" をいたる所に焚くのじゃ。
その後、侍女が湯漬け飯(ゆづけめし)を家康に差し出すと、これを三度も替え・・・
わしはもう疲れた・・。
そう言って高いびきで寝てしまった。
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一方で武田軍は追撃を行ない、浜松城近くまで攻め寄せてきていた。
むう・・
徳川の者らは門のトビラを締める暇もなかったとみえる。どう攻め入ろうか?
・・・。負けて引き返したならば、門を閉じて掛け橋も引くべきところ、そうせずにかがり火を焚いて白昼のようにしておる。
どういうことじゃ?
相手は海道一の弓取り。なにか策があるかもしれぬ。
軽々しく攻めるべきでなく、よく見届けてからがよいであろう。
ううむ・・。
こうして武田軍が躊躇しているところ、元忠らをはじめとする100余の徳川兵が城から打ち出てきたため、武田兵は退いていき、ついには攻めかかってこなかったのである。