「浅井亮政」北近江の国衆を束ねて下克上を果たす
- 2019/09/22
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天下布武を掲げて勢力を拡大する織田信長を裏切り、窮地に追いやったのが北近江の戦国大名だった浅井氏です。浅井氏といえばやはり有名なのは、信長の妹を娶った浅井長政ですが、その浅井氏を一家臣の立場から北近江の最大勢力まで大きくしたのが、長政の祖父である「浅井亮政(すけまさ)」です。
はたしてどのような人物だったのでしょうか?今回は亮政の生涯についてお伝えしていきます。
はたしてどのような人物だったのでしょうか?今回は亮政の生涯についてお伝えしていきます。
京極氏の後継者問題
浅井直種の子として誕生
浅井氏は、近江国・隠岐国・出雲国・飛騨国の守護を務める京極氏の家臣であり、亮政はその浅井氏にあっても庶流の浅井直種の子として、延徳3年(1491)に誕生しました。ただし、浅井氏当主である浅井直政に男子がいなかったため、亮政は嗣養子として直政の娘・蔵屋を娶り家督を継ぎました。このとき、勝政という名から亮政に改名しています。
当主といっても京極氏の一家臣に過ぎず、北近江の国衆のひとりです。とても北近江を制するような力は持っていません。『東浅井郡志』によると、亮政の武勇を褒め称えながらも、どれだけ負けても勝利への希望を失わない粘着性の強い意志をしていたとも評価されています。
何があっても諦めず、コツコツと成果を積上げて周囲の人望を得ていく器量が亮政にはあったのではないでしょうか。それが浅井氏の下克上を成功させる鍵になっていきました。
「浅井長政」織田信長の義弟になりながらも、反旗を翻したワケとは?
【参考文献】
- 宮島敬一『浅井氏三代 』(吉川弘文館、2008年)
- 長浜市長浜城歴史博物館『戦国大名浅井氏と北近江』(長浜市長浜城歴史博物館、2008年)

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