丁寧に歴史を追求した "本格派" 戦国Webマガジン
  • 上杉謙信
 2019/08/22

「柿崎景家」戦にまつわる伝説に彩られた謎多き将

柿崎景家の肖像画

柿崎景家という人物は、華々しく戦で活躍した武将ということが何となく伝わっている一方、史料の上では謎が多いことでも知られています。

その理由は、江戸時代に米沢藩で編纂された史料において、明らかな歴史改ざんの跡が確認できるためです。したがって、今日では彼の正確な生涯を知ることが難しいという側面もあります。

ただ、有力な史料から読み取れる部分もあるようなので、通説に比べると華々しさは控えめになってしまうものの彼の生涯について解説していきます。
(文=とーじん)

歴史の表舞台に出るのは永禄年間

多くの上杉家臣と同様、景家もその生年については詳しく明かされていません。しかし、活躍した時代から逆算すると16世紀の初頭には誕生していたと考えられます。

彼が生まれたのは越後の国衆一家である柿崎家で、おそらく若かりし頃は当時国内で巻き起こっていた守護対守護代の勢力争いに加担していたものと思われます。

天文5(1536)年には三分一原の戦いに参戦。当初は越後守護代の立場から下克上を果たした上杉為景とは敵対していたものの、合戦の最中に突如として彼に寝返ってことで為景の勝利に貢献したという説があります。

ただし、これは後年に編纂された史料でのみ確認できる出来事であり、近年は創作であるという見方が強まっています。実際、確かな史料で景家の名が登場するのは永禄年間(1558~1570年の間)に入ってからのことです。

謙信から本城である春日山城の留守役を任されるなど、その活躍が一躍表舞台に登場することに。そして永禄2(1559)年には、彼の文書における署名が確認でき、そこでは「奉公衆」の一員として見なされていたようです。

またこの頃、謙信が幕府から関東管領就任の許可をもらい、京都から帰国した際には、その就任式で太刀を献上するなど、主君とは極めて良好な関係を築いていたのでしょう。

史料にこそ、あまり名が見えないものの、それまでも国内である程度の力を握っていたと推測され、ここからは「上杉四天王」とも称される有力家臣として、謙信の活躍するあらゆる場面に登場するようになっていきます。

川中島合戦での活躍が語り草に

彼の「武勇」を決定的なものにしたのが、武田軍との死闘で有名な永禄4(1561)年第四次川中島の戦いでの活躍でした。

「信州川中嶋合戦之図」(原著者は勝川春亭。歌川広重が模写)
「信州川中嶋合戦之図」(原著者は勝川春亭。歌川広重が模写)

この戦は両軍のうち実に八割が死傷するという信じがたいほどの激戦であったことや、「啄木鳥戦法」「車懸りの陣」など数々の伝説的な戦術が採用されたことでも名高いでしょう。

ただし、この戦の詳細な経過を描いている有力な史料は、信ぴょう性に欠ける点も多い『甲陽軍鑑』のみであり、現代ではその実像を知ることが限りなく難しいとされています。このため、景家の川中島での活躍もこの『甲陽軍鑑』に基づいた点であることは注意しないといけません。

軍艦にみえる景家の活躍

それを踏まえた上でのことですが、「軍鑑」によると、景家は第四次川中島合戦の過程において、上杉軍の先手隊として活躍したと伝わっています。本隊は当初妻女山という場所に陣を敷いたものの、そこを武田軍が急襲するという情報を察知していました。

そこで急襲に備えてあらかじめ下山しておき、攻勢を仕掛ける武田軍を背後から逆に脅かしたのです。ここで先手を務めたのが景家その人であり、彼らは猛然と武田軍に襲いかかったといいます。

最終的に謙信と武田信玄が直接刃を交えるほどの死闘を繰り広げることになりましたが、上杉方は領地を獲得することができず、一方の武田方も有力な家臣を多数失うなど両者痛み分けの形で幕を閉じることになったようです。

内政や外交面でも活躍

川中島で武名をとどろかせた景家は「越後最強の将」と見なされ、上杉家でも重要な立ち位置を占めたと推測できます。

軍事ばかり目立つ印象の景家ですが、武力一辺倒というワケでもありません。元亀元(1570)年に上杉と北条氏との間で結ばれた越相同盟の際には、人質として子の晴家を北条家に送っています。そのほか、国内で発給される内政文書に幾度も名を連ねるなどしているのです。

こうした点から外交・内政の両面で活躍していたことが伺えますね。

最期

景家は天正2(1574)年に亡くなったようです。以後は北条家に人質として送還した子の晴家が家督を継承しています。

なお、『景勝公一代略記』によれば、景家が越中国の水島に従軍していたところ、織田信長との内通の噂が流れ、 謙信に疑われて死罪となったとか。これは晴家がその後も家臣として名を連ねていることからこの可能性は低いと思われます。


【参考文献】
  • 矢田俊文『上杉謙信』ミネルヴァ書房、2005年。
  • 歴史群像編集部『戦国時代人物事典』、学研パブリッシング、2009年。
  • 乃至政彦『上杉謙信の夢と野望:幻の「室町幕府再興」計画の全貌』洋泉社、2011年。
  • 乃至政彦・伊東潤『関東戦国史と御館の乱上杉景虎・敗北の歴史的な意味とは?』洋泉社、2011年。



関連タグ



おすすめの記事


 PAGE TOP