手紙でみる伊達政宗の素顔…政宗は娘大好きパパでした
- 2023/08/31
伊達政宗といえば、家族をとても大切にしていたと知られています。特に次女の牟宇(むう)姫は政宗が42歳の時に生まれた子であったせいか大変可愛がったそうです。長女の五郎八姫から14年ぶりの女の子でしたから。
牟宇姫が12歳で嫁いだ角田石川家には、政宗からの沢山の手紙が残されています。武将ではないパパとしての政宗を考察してみます。
牟宇姫が12歳で嫁いだ角田石川家には、政宗からの沢山の手紙が残されています。武将ではないパパとしての政宗を考察してみます。
次女牟宇姫(むうひめ)
伊達政宗の次女牟宇(むう)姫は慶弔13年(1608)に仙台城で生まれました。側室のお山の方が産みました。その時政宗は42才です。ちなみに政宗には14人(10男4女)で、牟宇姫は9番目の子供です。長女の五郎八姫とは14才離れていたので、久々の姫の誕生に政宗の顏もほころんだことでしょうね。兄弟姉妹、とても仲がよかったそうです。
牟宇姫は12歳で角田(宮城県南部)領主である石川家の宗敬公のもとに嫁ぎました。石川家は伊達家一門筆頭の家柄だったそうで、一万石の角田城を与えられていました。角田城は南側から敵が攻めてきた時の防衛の役割を果たしていました。石川宗敬は仕事もできる上に、とても優しいだんな様だったらしいですよ。
政宗は筆まめな男だった
なんとも驚いたことに、政宗から牟宇姫への手紙は329通も残されているそうです。もともと政宗は筆まめな男でした。今の時代だったら政宗は毎日メールしまくっていたかもしれませんね。それくらい牟宇姫への愛情いっぱいで、幸せでいるのかを確かめたかったのでしょう。その上、娘が読みやすいように手紙は仮名書きだったそうです。娘に好かれるためのささやかな努力だったのかもしれません。
エピソード1 牟宇姫成人祝いの宴
ここで政宗から牟宇姫への手紙(訳)をご紹介します。久しぶりにお逢いし、とても嬉しかったです。立派に成人し、初めてのお酒ということで、お父さんも思いのほか酔ってしまい、なかなか筆もとりかね詳しく書けないほどです。お母さんのお酒を飲む様子、面白く、可笑しかったね。かしく。
牟宇姫の成人のお祝いに、親子三人水入らずでお酒を飲んだ時のことを書いたようです。なんと、牟宇姫にとっての初めてのお酒は父母とだったのですね。儀式というよりは、「おめでと~。かんぱーい」と明るいノリを想像してしまいます。
文面からすると、政宗も喜びすぎて飲みすぎたようですね。姫の母親であるお山の方の様子が面白かったと書いてありますが、どんな風だったのでしょう。盛り上がった様子を覗いてみたいです。武将として忙しい政宗が無防備でいられた短い時間でもあったのでしょうか。父の愛情を受け入れる牟宇姫の素直さも微笑ましく伝わってきます。
政宗は妻や娘たちにも何でも話すタイプだったようです。そういう面では、今のパパたちに通じるものがあるかもしれません。奥さんに仕事の愚痴を話す人も多いでしょう(笑)。
エピソード2 鮎鮨を送った政宗
もう一つご紹介するのは、牟宇姫に鮎鮨を送った時の手紙(訳)です。鮎漁でとった鮎の鮨。一桶三十入りを贈ります。
来月一日頃が食べごろです。それよりも遅れると風味が悪くなるのでその頃忘れないで食べるように。
今日は小原で漁をするため、白石へ移動します。来月半ば頃、若林に帰ります。かしく。
追伸、日々天気に恵まれ、幸いでした。一段と元気なのでご安心ください。忙しさにまぎれおざなりの手紙で申し訳ありません。かしく。
政宗は夏になると領内で鮎釣りをしていたそうです。釣り上げた鮎をさっそく角田の娘へとたくさん届けさせたのでしょう。早く食べた方がいいぞとも書いてありますね。
この頃、牟宇姫には子供が4人いたので、孫たちにも喜んでほしかったのでしょう。鮎鮨だけではなく一年中あれこれ娘の家族へ贈っていたのかもしれません。
実家と嫁ぎ先という友好な関係が醸し出されている手紙です。政宗も普通のおじいちゃんの顏で書いたのでしょう。
おわりに
牟宇姫には兄弟姉妹からの手紙も多く、お姉ちゃんの五郎八姫からは62通でした。女子トークならぬ女子レター的な内容だったのでしょうか。政宗が分け隔てなく子供たちに愛情を注いでいたからこそ、兄弟姉妹が仲良いのだと思います。牟宇姫は76才まで長生きしました。夫婦仲もよく子宝にも恵まれました。明るく社交的で世話好きな女性として今でも宮城県角田市などで伝えられています。明朗なところは政宗に似たのでしょう。
余談ですが、昭和のころ、父親というものは娘に敬遠されがちな傾向でしたよね。でも、最近はパパと娘さんが仲良く買い物や食事をしている姿を普通によく見かけ微笑ましくなります。これも時代の良い流れでしょうか。
もし政宗が現代にいたら、やはり週末はショッピングセンターで娘たちとニコニコ歩いていたかもしれませんね。
【主な参考文献】
- 角田市役所産業建設部作成資料「手紙の姫 牟宇姫」 (2018年)
- 佐藤憲一「仙台・江戸叢書学12 伊達政宗と手紙」(大崎八幡宮 2009年)
- 佐藤憲一「牟宇姫ものがたり」 (角田市郷土資料館 2019年)
※この掲載記事に関して、誤字脱字等の修正依頼、ご指摘などがありましたらこちらよりご連絡をお願いいたします。
コメント欄