これは弘治元(1555)年、竹千代(のちの徳川家康)が元服した時のことである。
━━ 駿府にて ━━
竹千代よ。今年から松平家の本拠であった三河・岡崎城へ移り、統治を行ないなさい。
幼少のときより今日まで、いろいろお世話になり、また、岡崎城に帰参するようにとのこと、一方ならぬご厚恩でございます。
お指図どおり、岡崎に帰りますが、まだ若年の身でございますので二の丸におり、本丸にはこれまでどおり、山田新左衛門をそのまま置かれ、諸事意見を聞きたいと存じます。
元信はとても若輩とは思えん。生来分別厚き人物で成長すればどのような者になるのか計り知れん。
氏真(=義元の子)のためにはよき味方だと思うと、わしも満足じゃ。亡き広忠(=家康の父)が生きておったらさぞ喜ばれるだろうに。
といい、涙を浮かべたという。
また、これを伝え聞いた上杉謙信は・・
元信は15にしてこのような智恵があるということは、文字通り、”後世可畏”だ。将来稀代の良将となるであろう。 ※後世可畏:後から来る若年者は、無限の可能性を秘めていて侮りがたい存在であるという意。
といい、感歎したという。