「公暁」鎌倉幕府第3代将軍・源実朝を暗殺した前将軍・頼家の遺児

公暁のイラスト
公暁のイラスト
公暁(くぎょう/こうぎょう/こうきょう)は、鎌倉幕府第2代将軍・源頼家の子です。

父が将軍の地位を追われて殺されると、出家して僧侶となりますが、それは公暁本人の意思ではありませんでした。鶴岡八幡宮別当となった公暁は、叔父・実朝の右大臣拝賀の日、「親の敵」と言って実朝を暗殺し、自分が次の将軍になろうとします。

しかし公暁自身もすぐに誅殺され、公暁が起こした事件はさらに大きな「承久の乱」へとつながっていくことになるのです。今回は公暁の生涯についてみていきます。

父・源頼家の失脚

公暁は、正治2(1200)年に源頼家の子として生まれました。幼名を「善哉」といいました。母は賀茂重長の娘(諸説あり)といわれています。

父の頼家は鎌倉幕府第2代将軍でしたが、公暁がまだ4歳ほどの幼子だった建仁3(1203)年に将軍の座を追われて修禅寺に幽閉され、翌年には暗殺されてしまいます。

幼かった公暁は元久2(1205)年に祖母・政子によって鶴岡八幡宮別当の尊暁の門弟となり、翌建永元(1206)年6月16日には政子の邸で着袴の儀を行うと、10月12日に政子の計らいにより叔父・実朝の猶子となりました。

このときの実朝は10代半ば。2年前に正室の坊門信清の娘を迎えていたものの、のちも実子ができることはありませんでした。嫡流の公暁は、基本的に相続に関与しない猶子の立場であっても「いつかは自分が将軍に」と願い続けていたのかもしれません。

公暁は建暦元(1211)年9月15日に定暁のもとで落飾して出家し、受戒のため上洛。その後は園城寺(おんじょうじ/現在の滋賀県にある三井寺)で修行生活を送っています。

建保5(1217)年6月には鎌倉へ戻り、鶴岡八幡宮別当となりました。前の別当であった定暁が亡くなったため、政子の計らいで空位となったこの地位についたのです。

そして公暁は同年10月11日から千日の参籠(一定期間引きこもって神仏に祈願すること)を始め、祈請し続けました。

『吾妻鏡』建保6(1218)年12月5日条によると、公暁は千日参籠する間髪を剃ることもせず祈請を続けていたようで、人々は怪しんだといいます。また、伊勢神宮に幣(ぬさ。神への捧げもの)を納めるための使者を送ったほか、さまざまな神社にも使者を送っていたようです。

仏に祈るだけでなく使者を使って神にも祈りを捧げた公暁の願いは、よほど叶えたい大きな願いだったのでしょう。髪を剃らずに伸ばしたのは、還俗して将軍になるつもりであったからでしょうか。坂井孝一氏はこの千日の参籠の間「実朝呪詛の祈祷をしていた可能性が高い」(『承久の乱 真の「武者の世」を告げる大乱』)と述べられています。

参籠は千日間ですから、予定どおりなら公暁は2年半以上引きこもって出てくることもなかったはずですが、千日の参籠は中断されました。

叔父・源実朝を暗殺する

建保7(1219)年正月27日、公暁は右大臣拝賀のために鶴岡八幡宮で儀式を行っていた叔父の実朝を暗殺します。

ずっと籠り続けていたとはいえ、あちこちに使者を送っていたことからわかるように公暁の手足として動く者はおり、乳母子で門弟の駒若丸(三浦義村の子)らから幕府の動きを聞くことはできました。

千日籠ってまで叶えたい公暁の願いは「将軍になること」だったでしょう。そのために叔父で義父でもある実朝の死を願ったかどうかまではわかりませんが、実朝に子が生まれないように祈ることはしたでしょう。最も避けたかったのは実朝に後継者ができることです。

公暁の必死の祈請のおかげとは思いませんが、彼にとって幸いなことに実朝に実子はできませんでした。しかし建保6(1218)年、公暁にとって都合の悪い計画が持ち上がりました。実朝の後継に後鳥羽上皇の皇子を据え、親王将軍を立てるという計画です。同年には政子が後鳥羽上皇の乳母・藤原兼子にその相談をしており、計画は着々と進められていたようです。

親王将軍が立ってしまえば、公暁が将軍になる望みは潰えます。もはや神仏に祈るだけではもう叶えられません。こうして公暁は直接行動を起こし、実朝に手をかけたのでした。

異例のはやさで出世を重ねた実朝は、同年の末に右大臣まで昇ります。翌年正月27日の鶴岡八幡宮参詣はその昇任の祝いの儀式でした。その日、日中はよく晴れていましたが、夜になると雪が降り、2尺あまり(60cmほど)も積もったといいます。

当時の状況について詳しく書かれた僧侶慈円による歴史書『愚管抄』の内容を紹介しましょう。

その雪の中、午後6時ごろから始まった儀式を終えた実朝が、下襲(したがさね/束帯の内着で、裾が長く引きずって歩く)を引き笏を持って公卿の坊門忠信、西園寺実氏、藤原国通、平光盛、難波宗長らの前を会釈しながら通っていた時のことでした。

突然、山伏が被る兜巾(ときん)を被った法師が躍り出て、下襲を踏みつけて実朝の首を打ち落としてしまったのです。続いて別の者が3、4人出てきて、実朝を先導して松明をかざしていた源中章(中原仲章)を北条義時と間違えて殺しました。皆が散り散りになる中、鳥居の外に控えていた数万の武士はこの出来事を知らなかったとか…

おそらく一瞬の出来事であったと思われるこの暗殺の一部始終を『愚管抄』はこのように詳細に伝えるのですが、『吾妻鏡』は少し違います。

そもそも事件の前に前触れのような不思議な出来事があったと語り(成人してから泣いたことがないという大江広元が実朝を前にして涙が止まらない、実朝の髪を乾かしていた宮内公氏が「記念だ」と言って髪を1本もらった、実朝が庭の梅の木を見て縁起の悪い和歌を詠んだ、八幡神の使いの鳩がしきりに鳴いた、実朝が車を降りる時に刀を折ってしまった、など)、その不思議な出来事と同じように北条義時も前触れを感じたというかのように、「急に気分が悪くなったため御剣奉持の役目を中章に譲って小町の邸に帰っていたため、偶然難を逃れた」としています。

この時義時が実朝のそばにいなかった理由について『愚管抄』は「義時は中門に留まるよう実朝に命じられていた」としているので、実際は自邸に帰らずその場にいたという可能性もあります。

さて、その後の公暁の動きについて『吾妻鏡』を見てみましょう。

実朝の首を持って備中阿闍梨の邸に入り、乳母夫である三浦義村に使者を送り「将軍がいなくなった今、次の将軍になるのは自分だ」と伝えて彼を頼りましたが、義村は義時に知らせて公暁をしてしまいました。

父の無念を晴らすためか、純粋に自分自身の野望のためか、将軍の座を欲した公暁の宿願は果たされることなく挫かれてしまったのでした。

実朝暗殺の黒幕は誰か

実朝を直接殺した公暁は事件直後に誅殺されましたが、その後も関連する者の調査は行われ、備中阿闍梨が所領を没収されています。

この暗殺事件について、公暁ひとりが誰も頼らずに計画して実行に移したとは考えにくく、本来殺されるはずだったのに生き延びた義時や、公暁が事件直後に頼った義村が黒幕ではないかという説があります。

義時黒幕説については、姉・政子とともに親王将軍を実朝の後継者にしようと進めてきたであろう義時がここであえて実朝を殺すことは考えにくいため、黒幕からは除外されます。後鳥羽上皇といい関係を築いていた実朝が殺された後に起こった承久の乱で義時がどんな立場に立たされたかを思えば、このタイミングで幕府と朝廷をつなぐ実朝を失うことで被る損害に義時の想像が及ばないはずもなく、実朝を殺す理由はありません。

義村黒幕説は、公暁の乳母夫である義村が公暁と連携して実朝と義時を暗殺し、北条氏にとって代わろうとしたというもの。しかし義時の暗殺に失敗したため、急遽計画を変更して公暁を見限り、保身のために義時とともに公暁を殺したというわけです。この儀式に義村が参加していなかったこともその根拠のひとつとして挙げられますが、坂井孝一氏は「前年の直衣始の儀で長江明義とトラブルを起こし、右大臣拝賀のメンバーから外された」(『承久の乱 真の「武者の世」を告げる大乱』)とし、和田合戦でも北条氏を潰すチャンスをふいにして義時の味方をした義村がここで「大勝負」に出るとは考えにくいと述べられています。

ほかにも朝廷の謀とする説など黒幕説もさまざまありますが、いずれも誰が黒幕かを示す決定的な証拠はなく、真相は不明です。

この事件の後、実朝と公暁の死により源家将軍の血統が途絶え(厳密には頼朝の庶子がいた)、幕府は親王将軍獲得に奔走、その流れで朝廷を敵に回すことになります。


【主な参考文献】
  • 『国史大辞典』(吉川弘文館)
  • 『世界大百科事典』(平凡社)
  • 『日本大百科全書(ニッポニカ)』(小学館)
  • 岡田清一『北条義時 これ運命の縮まるべき端か』(ミネルヴァ書房、2019年)
  • 坂井孝一『承久の乱 真の「武者の世」を告げる大乱』(中央公論社、2018年)
  • 安田元久『人物叢書 北条義時』(吉川弘文館、1961年)
  • 『国史大系 吾妻鏡(新訂増補 普及版)』(吉川弘文館)

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  この記事を書いた人
東滋実 さん
大学院で日本古典文学を専門に研究した経歴をもつ、中国地方出身のフリーライター。 卒業後は日本文化や歴史の専門知識を生かし、 当サイトでの寄稿記事のほか、歴史に関する書籍の執筆などにも携わっている。 当サイトでは出身地のアドバンテージを活かし、主に毛利元就など中国エリアで活躍していた戦国武将たちを ...

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