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【逸話 LINEトーク画風】本能寺の変の報を知った秀吉や官兵衛の反応は!?(1582年)

戦ヒス編集部
 2019/01/01

天正10年6月2日(1582年)、京都では本能寺の変が勃発し、ほぼ天下を手中に治めていた信長がまさかの死を遂げた。その頃、羽柴秀吉や黒田官兵衛らは毛利氏との戦いの最中であり、備中高松城を攻めていた。

これは、秀吉と官兵衛が信長の死をいち早く知ったときの話である。

━━ 備中高松城 ━━

信長の死の翌日、京都の長谷川宗仁から官兵衛のもとに飛脚がやってきた。

黒田官兵衛アイコン

官兵衛

・・いかがしたのじゃ?

飛脚

はっ!それが実は・・・・・。

飛脚アイコン

どこか伏し目がちの飛脚はそう言いつつ、手紙を官兵衛に渡した。そして官兵衛が手紙に目を通すと・・・

黒田官兵衛アイコン

官兵衛

!!!
こっ、これは真のことか!?

驚きを隠せない官兵衛は飛脚に対し、

黒田官兵衛アイコン

官兵衛

お前はなんて早くきたことか!
むむうっ。このことは決して誰にも話してはならぬぞ!

飛脚

ははっ!

飛脚アイコン

官兵衛は飛脚に口止めをして、秀吉のもとへ赴いて、その手紙を渡した。

秀吉

!!!!!
う、うそじゃ!まさか・・・こ、こんなことが・・・。

豊臣秀吉アイコン

あまりに突然の出来事に秀吉は絶句し、そして深い悲しみに覆われた。

そして、まだ秀吉がなんとも言葉ならないうちに、官兵衛は秀吉に歩み寄って、秀吉の膝をトントン と打って "ニコッ" と笑いながらこう言ったのである。

黒田官兵衛アイコン

官兵衛

殿!ご運が開かれる手始めでございますな。どうかうまくなされませ。

秀吉

!!!

豊臣秀吉アイコン

しばらくして、ようやく秀吉が言葉に出した。

秀吉

・・・官兵衛よ。
その飛脚が万一でも誰かに語り、敵に漏れでもしたら都合が悪い。急ぎで殺すのじゃ!!

豊臣秀吉アイコン

そう命じた。これに官兵衛は心の内で考えた。

黒田官兵衛アイコン

官兵衛

(この飛脚がわずか2日足らずでここへ来たということは、まさに天の遣いだ。殺すべき科もなく、むしろ功ある者だ。)

と・・・。そして官兵衛はこの飛脚を自分の陣へ連れて帰り、秀吉の命に背いて隠し置いたのであった。

一方、秀吉はこの一件があってからというもの、官兵衛に心を許さなくなったという。

  この記事を書いた人
戦ヒス編集部 さん


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