慶長19年(1600年)の関ヶ原合戦におけるちょっとしたこぼれ話を以下にいくつかご紹介いたします。
家康が同年9月1日に江戸から関ヶ原へ転進するときの話である。
殿。今年は今日が西塞(にしふさがり)です。できれば他の日に出発するのがよろしいかと・・。
それならば、わしが出発してそれを開こう。
家康はそう言い、決戦の地に向けて出発したという。
9月14日の決戦前日、家康が南宮山の敵を巡視したとき、本多忠勝が家康に寄ってきて言った。
殿!小早川秀秋は我らに味方しようと、既に黒田長政を使者として人質を取り交わしました。
なにぃ!?なぜ秀秋は寝返ったのじゃ?
ならば戦はすでに勝ったも同然じゃ!!
家康が声を大にして言ったため、周囲の者らはこれを聞き、喜び勇むことこの上なかった。
そして家康は小西正重・西尾伊兵衛の2人を秀秋の陣のある松尾山につかわして、様子をうかがわせ、2人が帰ってきて声高に報告した。
殿!やはり秀秋は寝返るようです!
フフフ。そのようなことは小声でいうべきことじゃぞ。もし秀秋が裏切らなかった場合は気落ちするからのう。
関ヶ原の戦いのとき、宇喜多詮家(のちの坂崎直盛)が家康に会って言った。
それがし、粉骨砕身でご奉仕いたします。
それはそれは。ご念の入ったご挨拶ですな~。
家康がそう言うものの、近臣の者は警戒し、「(宇喜多詮家は)あいさつがあまりにも丁寧すぎる」と家康に進言した。
これに対して家康は・・
・・あのような者には、このように言っておくのがよいのだ。
と言ったという。