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【やさしい歴史用語解説】「史料」

歴史用語にはさまざまなものがあります。当時の出来事や習慣、あるいは名称や制度などなど。それに忘れていけないものが、時代像や歴史的背景を映し出す「証拠」となるべきものです。今回は当時を推し量ることができる「史料」について解説していきましょう。

なぜ「資料」ではなく「史料」なのか?もちろん資料でも間違ってはいませんが、「歴史を研究するための資料」という意味があるから史料となっているのです。

現代において、太平洋戦争や戦後復興・高度経済成長期など、ひと昔前の出来事を知る方は多くいらっしゃいます。たとえば語り部のようなオーラルヒストリーであれば、当時の出来事や様子を如実に知ることができますよね。ところがそれ以前の歴史になると、もはや残された史料によって歴史的事実を探求するしかありません。そこで史料の信憑性が大事になってくるのです。

日本史をはじめ、歴史というのは、改竄されたものと認識したほうが良いかも知れません、あの関ヶ原の戦いだって通説が覆されつつありますし、様々な人物たちの再評価も進んでいます。

通説だから当たり前。といった考えではなしに、常に歴史に対して疑問を持ち、まず史料を批判してみることが大切です。だって歴史は勝者によって塗り替えられ、都合の良い形にされてしまうのが当たり前だからです。

史料には「一次史料」と「二次史料」というものがあります。これは記述の信憑性によって分けられるもので、大まかに言えば「ちょっと信用するのは難しいかな…」というのが二次史料、「これなら信用しても大丈夫そうだ」となれば一次史料となります。

たとえば関ヶ原の戦いを記した書物があるとしましょう。「おっ!これは詳細に書かれてあるから史実に違いない!」と考えたらちょっと早合点です。書物が編纂された年代を確認するべきなのです。

※江戸時代中期の「川角太閤記」を元にした『絵本太閤記』巻一冒頭の挿絵(wikipediaより)
※江戸時代中期の「川角太閤記」を元にした『絵本太閤記』巻一冒頭の挿絵(wikipediaより)

よく調べてみたら江戸時代後期に書かれた軍記物だった! なんてこともありますから、こんな二次史料はあまり信用に値しませんよね。単に徳川に都合が良いように書かれたものかも知れませんし、作者が面白おかしく書いたということもあるでしょう。

それでは一次史料とはどのようなものでしょう?簡単に言えば、当時の状況をリアルタイムに書き連ねたものとなります。

たとえば日記であったり、当事者の書状やお触書といったものですね。ただ、日記をそのまま信頼してもいけません。人づてに聞いたことや伝聞などをそのまま日記として書いてしまうこともあるため、それが史実と合致しているかどうかは、整合性を取る必要があります。

※吉田兼好が書いた随筆『徒然草』(wikipediaより)
※吉田兼好が書いた随筆『徒然草』(wikipediaより)
※秀吉の妻・寧々宛の織田信長筆仮名消息(wikipediaより)
※秀吉の妻・寧々宛の織田信長筆仮名消息(wikipediaより)

一次史料として評価が高い『多聞院日記』は奈良興福寺のお坊さんが書いたものですし、公家の山科言継が書いた『言継卿記』も然り。たしかにリアルな出来事が書かれていますが、いずれも伝聞で書いたものが多いのです。信頼できる他の史料と突き合わせることで、はじめて史実かどうかが確定するわけですね。

このように史料の扱いはとても難しく、読み解くのが非常に困難です。しかし史実が初めて明らかになった時、やはり歴史ファンとして喜ばずにはいられませんよね。

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  この記事を書いた人
明石則実 さん
幼い頃からお城の絵ばかり描いていたという戦国好き・お城好きな歴史ライター。web記事の他にyoutube歴史動画のシナリオを書いたりなど、幅広く活動中。 愛犬と城郭や史跡を巡ったり、気の合う仲間たちとお城めぐりをしながら、「あーだこーだ」と議論することが好き。 座右の銘は「明日は明日の風が吹く」 ...

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