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【やさしい歴史用語解説】「史料」
- 2022/06/20
なぜ「資料」ではなく「史料」なのか?もちろん資料でも間違ってはいませんが、「歴史を研究するための資料」という意味があるから史料となっているのです。
現代において、太平洋戦争や戦後復興・高度経済成長期など、ひと昔前の出来事を知る方は多くいらっしゃいます。たとえば語り部のようなオーラルヒストリーであれば、当時の出来事や様子を如実に知ることができますよね。ところがそれ以前の歴史になると、もはや残された史料によって歴史的事実を探求するしかありません。そこで史料の信憑性が大事になってくるのです。
日本史をはじめ、歴史というのは、改竄されたものと認識したほうが良いかも知れません、あの関ヶ原の戦いだって通説が覆されつつありますし、様々な人物たちの再評価も進んでいます。
通説だから当たり前。といった考えではなしに、常に歴史に対して疑問を持ち、まず史料を批判してみることが大切です。だって歴史は勝者によって塗り替えられ、都合の良い形にされてしまうのが当たり前だからです。
史料には「一次史料」と「二次史料」というものがあります。これは記述の信憑性によって分けられるもので、大まかに言えば「ちょっと信用するのは難しいかな…」というのが二次史料、「これなら信用しても大丈夫そうだ」となれば一次史料となります。
たとえば関ヶ原の戦いを記した書物があるとしましょう。「おっ!これは詳細に書かれてあるから史実に違いない!」と考えたらちょっと早合点です。書物が編纂された年代を確認するべきなのです。
よく調べてみたら江戸時代後期に書かれた軍記物だった! なんてこともありますから、こんな二次史料はあまり信用に値しませんよね。単に徳川に都合が良いように書かれたものかも知れませんし、作者が面白おかしく書いたということもあるでしょう。
それでは一次史料とはどのようなものでしょう?簡単に言えば、当時の状況をリアルタイムに書き連ねたものとなります。
たとえば日記であったり、当事者の書状やお触書といったものですね。ただ、日記をそのまま信頼してもいけません。人づてに聞いたことや伝聞などをそのまま日記として書いてしまうこともあるため、それが史実と合致しているかどうかは、整合性を取る必要があります。
一次史料として評価が高い『多聞院日記』は奈良興福寺のお坊さんが書いたものですし、公家の山科言継が書いた『言継卿記』も然り。たしかにリアルな出来事が書かれていますが、いずれも伝聞で書いたものが多いのです。信頼できる他の史料と突き合わせることで、はじめて史実かどうかが確定するわけですね。
このように史料の扱いはとても難しく、読み解くのが非常に困難です。しかし史実が初めて明らかになった時、やはり歴史ファンとして喜ばずにはいられませんよね。
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