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【やさしい歴史用語解説】「曼荼羅」
- 2023/09/19
仏教に関する歴史用語で「曼荼羅」というものがあります。普段の生活では馴染みのないものですが、実は仏教を語る上で欠かせないアイテムなのです。
わかりやすく言えば、「仏教の世界観を絵で表したもの」になるでしょうか。ちなみに「経典」は教科書やテキストに例えられますが、「曼荼羅」は読んだり聞いたりするだけではなく、目で見て教えを説こうとしたものです。
難しい経典を庶民が読めるわけもなく、広く教えを広めるとすれば、やはり絵で見た方がわかりやすいでしょう。そもそも曼荼羅はそのような目的で作られたものでした。
平安時代中期に、空海や最澄が密教を日本へ広めようとした際、従来の顕教と呼ばれた仏教とは解釈が違うため、わかいやすいように曼荼羅を活用したとされています。
具体的に曼荼羅には種類が二つあります。一つは「胎蔵界曼荼羅(たいぞうかいまんだら)」といい、もう一つが「金剛界曼荼羅(こんごうかいまんだら)」といいます。この二つがセットになって「両界曼荼羅(りょうかいまんだら)」と呼ばれているそうです。
「胎蔵界」は、母の胎内のように優しく包み込む大日如来の慈悲によって、本来あるべき悟りの本質が生まれ育つ世界のこと。そして「金剛界」とは、大日如来が持っている智慧や悟りといったイメージです。金剛とは固いことを示し、それは決して揺らいだり壊れてしまうことはありません。仏の固い意志を表した世界を意味しますね。
さて、仏の教えをわかりやすく示した曼荼羅ですが、平安時代から中世にかけて末法思想が広まるようになると、その性格が徐々に変わっていきました。
末法とは、仏法の本質が衰えて世の中が乱れるということを意味し、社会不安が世の中を覆った時代です。そこで人々は曼荼羅に描かれている大日如来に対して願掛けをするようになりました。
平和や日々の生活の安定を念じつつ、願いを曼荼羅に込めたのです。それまで絵で見るテキストのような曼荼羅が、この末法思想をきっかけに信仰の対象となりました。
やがて時代が下ってくると、曼荼羅は密教だけのものではなくなります。中世を通じて発展してきた新興宗教が曼荼羅を大いに活用するのです。特に浄土宗は一般民衆レベルへ深く浸透し、人々はこぞって教えを信じるようになりました。
浄土宗が広まった要因の一つが「浄土曼荼羅図(じょうどまんだらず)」というもの。僧たちはこの曼荼羅を用いて布教に努めていたそうです。
浄土曼荼羅図の構図は、それまでの幾何学的な様式を持った曼荼羅とは異なります。中央に描かれているのは大日如来ではなく、浄土宗の本尊である阿弥陀如来です。また密教とは異なり、「西方極楽浄土」の様子を描いているものが多いそうです。構図は幾何学的な感じがまったくなく、より写実的となっていることが印象的ですね。
そこに描かれた極楽浄土には壮麗な建物が立ち並び、楽しく華やかな光景が描かれています。おそらく「極楽へ往生すると、こんなに楽しいことがある。極楽へ行けば現世の苦しみもなくなる」と視覚効果で訴えかけたのでしょう。布教するにあたって、曼荼羅は欠かせないツールだったのです。
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