日航123便御巣鷹山墜落事故 ボイスレコーダーに残された不可解な点

墜落した日本航空123便の残骸(出典:wikipedia)
墜落した日本航空123便の残骸(出典:wikipedia)
昭和60年(1985)8月12日に起きた日航123便墜落事故は、乗客乗員524人のうち、520人が死亡した日本国内最大の航空機事故です。この事故を巡っては今でも陰謀説が絶えず、色々な憶測が飛び交っています。

なぜそんなことになっているのか、というと当時の運輸省事故調査委員会が出した最終報告書について「納得できない」という意見が数多く出ているからです。これが巷の噂、だけならまだしも、専門家である現役のパイロットや整備士からも「納得できない」「そんな訳がない」という異論が出ているのです。

ネット上では未だに多数の陰謀論が流されています。中には「取るに足らない説」や「単なる無知によるもの」も数多くあるのですが、いかにこの事故が現在でも注目されているかの証拠とも言えるでしょう。しかし、世間一般には「取るに足らない説」「無知によるもの」の方が、はびこっているのが現状で、知っている方から見れば「そんなの有り得ないだろうが」と一蹴されてしまい、「陰謀説はデタラメだらけ」と思われてしまう原因ともなっています。

そこで、まず「取るに足らない説」「無知によるもの」を説明して排除したいと思います。そのうえで、やはり不可解と思われる点だけを考察してみたいと思います。

オレンジエアについて

123便のボイスレコーダーとフライトレコーダーの記録は「リーク」という形でマスコミに流され、世に出ています。明らかに編集されたもので多くの部分がカットされていますが、私達が見聞きできるものは、それしかありません。ボイスレコーダーは全部で35分18秒です。以前はYoutube上でも聞く事が出来ましたが、現在は残念ながらできないようです。

このボイスレコーダーでよく問題にされるのが、航空機関士の声で「オレンジエア」と言っているように聞こえる部分です。公開されたボイスレコーダーは相当に聞き取りにくく、ノイズキャンセリングもしていませんので、本当のところ、なんと言っているのかよく分からないのです。

事故調査委員会は、この部分を「オールエンジン」と解釈していますが、実際に事故調査委員会でボイスレコーダーを解析した委員の一人は「あまり自信はない」と言っている位です。しかし、この部分を「オレンジエア」と思い込み、自衛隊が使用しているミサイル迎撃練習用標的ミサイルがオレンジ色をしていることから「オレンジエアとはこのことではないか」と考える人が出てきたのです。

たまたま事故発生時に相模湾で新型護衛艦まつゆきが試運転をしていたこともありました。この標的ミサイルが123便の尾翼に衝突したことが事故原因だ、とする説が相当に流布されています。いつの間にか、オレンジエアとは「標的ミサイルを指す自衛隊の隠語」という話にもなっていることが多いのです。

まず、この説を検証してみましょう。現在のノイズキャンセリング、デジタル音声修復技術を使って、この部分を解析した方がおり、Youtubeで公開しています。

日航123便の真相に迫る③【ボイスレコーダーの音声をデジタル処理で甦らせる】

結論としては「オレンジエア」ではなく、0:52で「オレンジギア」、0:58では「オレンジドア」であるとしています。また、実際に日航で同型のジャンボジェット機の機長をしていた方も「やりとりから考えるとオレンジギアだろう」と証言をされています。

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そもそも航空機関士の席は前向きに座る機長席、副機長席の後方にあり、かつ進行方向、右側にあるパネル類を見るために横向きに座るのです。つまり「一番、外が見にくい位置」なのです。

仮に実際にオレンジ色をしたミサイルが123便のコックピットから見えたとしても、先に機長や副機長が気づくはずであり、航空機関士が最初に発見することはないと考えるのが普通です。そもそも、こんな標的機が飛んで来たら羽田管制のレーダーに映るはずですが、そういった報告は一切ありません。

また、123便が異常を起こしたのは伊豆半島南部の東岸上空で通称「航空銀座」とも呼ばれている場所です。羽田を出て西日本方面に向かう航空機は必ず通る民間機の密集地帯なのです。そんな場所で「ミサイルの迎撃演習」などやるでしょうか? 常識的には考えられないことです。

「常識外のことが発生したから事故が起きた」という反論も出来ますが、そもそもオレンジエアという言葉自体があるのかどうかも非常に怪しく、自衛隊は当然ながら「無い」と言っており、軍事評論家の方も「聞いたことがない」と言っています。

つまり「オレンジエア=自衛隊標的機が衝突した」という説は間違いである、と断言して良いでしょう。そもそも航空機関士は「オレンジエア」とは言っていないのですから。

※自衛隊が使用している標的機(wikipediaより)
※自衛隊が使用している標的機(wikipediaより)

123便を追尾していた自衛隊の戦闘機2機について

評論家の森永卓郎さんを始め、墜落地点周辺で123便を目撃した方の中には「自衛隊の戦闘機が2機、123便を追っかけていた」と証言されている方が多くいらっしゃいます。

いかにも自衛隊が何かをしていそうな感じですが、実はこれは当然のことなのです。ボイスレコーダーの中で機長や副機長が「スコーク77」と言っています。

スコークとは、航空機に備えられている無線発信機で管制レーダーに機種、便番号と高度を送る機械のことでトランスポンダとも呼ばれます。そして、このスコークに0077をいれると「ハイジャック以外の緊急事態が発生した」という信号を発信するのです。いわば、SOSです。

スコーク0077を受信すると、航空自衛隊はスクランブルという緊急発進をします。123便の場合、発信したスコーク0077は自衛隊百里基地で受信され、航空自衛隊は急いでF‐4EJファントム2機を緊急発進させ、123便の様子を見に行かせたのです。ですので、自衛隊の戦闘機2機が123便を追尾していたのは当然のことだったのです。

ただ、近くに航空自衛隊や米軍の基地がある場合は「戦闘機は見慣れたもの」ですが、それ以外の場所では、戦闘機が飛んでいるところを見る機会はまずありません。おそらく現場近くでも見るのは始めてだったのでしょう。それだけ強く印象に残ったであろうと思われます。「一体、戦闘機がなんでここに来るんだ?」と思われても不思議ではなかったと思われます。これが「自衛隊に何かある」と思わせるきっかけになってしまっているようです。

繰り返しておきますが、「スコーク77」を発信した以上、自衛隊戦闘機が123便を追尾していたのは当然のことだったのです。18時56分30秒に123便が御巣鷹山に墜落したあと、19時21分にF‐4EJファントム2機が墜落現場を確認し、本部に墜落場所の連絡を入れています。

米軍の関与について

ボイスレコーダーにも出てきますが、123便が制御不能になってから米軍横田基地が「着陸準備は出来ている。最優先で着陸を許可する」と123便に呼びかけています。羽田より横田の方が近かったのです。

しかし、123便は横田に向かうことは出来ませんでした。完全に方向制御不能な状態なので、向かいたくてもできなかったのです。米軍横田基地は、ちょうど沖縄から帰って来たC‐130輸送機が近くまで来たので、その輸送機に123便がレーダーから消えた場所まで行って見てくるよう、指示を出します。

指示を受けたC‐130は周辺を捜索し、19時15分に墜落現場を確認します。つまり、自衛隊よりも早く墜落現場を見つけたのです。そしてC‐130は横田基地と航空自衛隊中央救難調整所に正確な墜落場所を通報しています。

C‐130はプロペラ機で滑走路が無ければ離発着できませんし、ヘリコプターのようにホバリングもできません。また元々、沖縄へ輸送品を持っていき、帰ってきただけなので遭難救助用品も消火機材も持っておらず、救助活動は全く不可能でした。自衛隊のF‐4EJファントムも、その点は同じです。

しかしC‐130からの通報を受け、横田基地はヘリコプターを現地に飛ばしました。そのヘリが途中で「日本の自衛隊が対応するので引き返せ」という命令を受け、現場近くまで来たのに引き返したのは、よく知られている話です。

自衛隊と対策本部の動き

自衛隊は19時54分、茨城県の航空自衛隊 百里基地からMU‐2S救難捜索機、KV‐107ヘリコプターを救助に発進させました。本来であれば羽田にある事故対策本部の依頼を受けて行なわれる手順なのですが、それを待たずに出発させたのです。

既に米軍のC‐130、F4ファントムからの連絡で、おおよその墜落場所は分かっていました。その情報は羽田の事故対策本部にも流されたのですが、対策本部では、米軍や自衛隊からの情報の他、現地からの情報も入ってきており、どれを信じれば良いのか分からずに混乱。「墜落場所が特定できないと自衛隊に依頼できない」と考えていたため、要請が遅れたようです。

ちなみに米軍のヘリが「自衛隊が対応するので引き返せ」と出した命令は、自衛隊が既に救助隊を発進させていたからなのです。

KV‐107ヘリコプターは、20時42分に現場上空に到着しました。この救助ヘリに乗っていたメディック(救急医療従事者)の一人が当時の回想録をWebに公開しています。

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しかし救助ヘリが現場には到着したものの、物凄い大火災になっており、とても降下出来る状態ではありませんでした。

123便は羽田を出発する時に「3時間15分の飛行が可能な燃料」を積んでいました。羽田→伊丹間は、およそ1時間ですが、123便は伊丹から、羽田に戻ってくる予定だったので「往復分 + 予備燃料」を積んでいたのです。

予備燃料とは、例えば羽田に到着したものの、混み合っていて着陸順番待ちのために旋回飛行をした場合、その分を考慮した燃料です。123便は羽田を18時12分に出発し、18時56分に墜落したので飛行時間はおよそ42分です。従っておよそ2時間半分のジェット燃料を積んだまま墜落したのです。

墜落を覚悟した場合、燃料を投棄することが多いのですが、それは海上飛行の場合の話です。地上を飛行中に燃料投棄はできません。また、機長をはじめ、クルーは最後の最後まで墜落させないように頑張っていたため、燃料を投棄せずに墜落してしまったのです。

しかし、残念ながら自衛隊のKV‐107ヘリコプターは消火設備を搭載していませんでした。山火事の多い米国ではヘリによる消火作業が多いため、消火設備を備えたヘリはたくさんあるのですが、日本ではそういったケースは少ないので自衛隊も救難救助ヘリに消火設備は搭載させていないのです。

なお、わずかながら消防防災ヘリコプターというのがあり、これは空中消火設備を備えているのですが、ほとんどの県で1機しか保有していません。

御巣鷹山の場所を考えると、以下の防災ヘリコプターが出動可能でした。

・群馬県消防防災航空隊 1機
・栃木県消防防災航空隊 1機
・山梨県消防防災航空隊 1機
・長野県消防防災航空隊 1機

ですが、これらの防災航空隊への出動要請はありませんでした。その理由は分かりませんが、防災航空隊は知名度が低く、自衛隊のメンバーは、おそらくその存在すらも知らなかったのではないか、と考えられます。

上記のメディックの回想録にも防災航空隊についての言及は全くありません。一方、航空機が墜落して現場が大火災になっているという情報を知らない防災航空隊が、自主的な判断で動くことも無かったと思われます。

一部に「なぜ、最初に消火活動をしなかったのか」と言う疑問を出される方がいらっしゃいますが、空中消火設備を備えたヘリは日本では非常に少なく知名度も低い、という事実を知っておいて頂きたいと思います。

また、あくまで「仮の話」ですが、たとえ防災航空隊が出動して消火をしても、地上にいる人間が墜落現場に到達するのは簡単ではなかったでしょう。それは「御巣鷹山の特別な事情」によるものです。

なお、墜落した123便は胴体が真っ二つに折れ、後方座席部分だけは遠くに飛ばされ、火災にも巻き込まれませんでした。4人の生存者は全て、この「飛ばされた後方座席」に座っていた人達です。残りの人達は全員が大火災の真っただ中にいたので、消火しても、時間的に助けることは難しかったと思います。

わずかに「遠くに飛ばされた後方座席部分」には、まだ息のある人もいたようです。しかし救助ヘリは「遠くに飛ばされた後方座席部分」があることに気が付きませんでした。完全に真っ暗闇で木が生い茂っている中、飛ばされた後方座席部分を見つけることは出来なかったのです。

よく、「なぜ墜落してから救助活動が始まるまでに14時間もかかったのか?」と言われますが、実は航空自衛隊は救助活動を素早く開始していました。ただ、123便の積んでいた大量のジェット燃料火災と暗闇のために活動が出来なかったのです。

ここまでの動きに羽田の事故対策本部は全く登場していませんが、実際に全てにおいて遅れを取っています。この原因は情報が集まり過ぎて錯綜してしまったためと、運輸省の「まず墜落地点を特定せよ」との命令があり、それに時間を取られてしまったため、と言われています。残念ながら初動において事故対策本部は何も出来なかったのです。

御巣鷹山は群馬県南部の上野村にある山ですが、上野村の住人で御巣鷹山に入った事のある人は誰一人としていませんでした。というのも、江戸時代から御巣鷹山への一般人の立ち入りは禁止されていたからです。

御巣鷹山の「巣鷹」という言葉は「鷹狩に使う鷹のひな鳥」を意味しています。つまり、御巣鷹山は「鷹狩りに使う鷹」を取るための山なので、同地を所領する大名の直轄となっていました。5代将軍の徳川綱吉の時代に鷹狩りは禁止されてしまいますが、「大名の直轄地」という状況は変わりませんでした。つまり、御巣鷹山は元禄時代から123便が墜落するまでの約300年間、わずかに昭和38年に営林署の職員が唐松の植林のために一回、入山しただけで、他の人は「誰一人として入山したことの無い山」だったのです。

当然ながら道などありません。山肌は傾斜角30度の急斜面で樹齢100年をゆうに超える大きな木々が茂り、そう簡単には前に進めません。電動ノコギリで木を倒しながら進み、約2kmの道のりに1時間30分かかったそうです。それも昼間だからできたことで、夜間では到底無理だったでしょう。

事故原因の調査開始と結果

事故後、日本の調査団と米国のNSTB(National Transportation Safety Board)が現地入りし、調査を始めました。

NSTBのメンバーは圧力隔壁の修理された場所の一部にリベットが効いていない箇所があることを発見します。そしてレプリカを作成してNSTB本部で調査したところ、ストライエーションと呼ばれる金属疲労痕も見つかりました。するとボーイング社は、すぐに修理ミスを認め、9月6日のニューヨークタイムズに123便の事故は修理ミスによるもの、という記事が大々的に掲載されました。

まだ日本の事故調査委員会は調査中で結論を出していない段階での話です。まるで日本の事故調査委員会に「圧力隔壁の破損によるもの」という結論を押し付けるのかのごとき手順でした。圧力隔壁に修理ミスがあったのは本当で、それは日本側も確認しています。

しかし、それが本当に原因だったのかどうかは分かりません。アメリカ側が結論を出し、ボーイング社が謝罪をしてくる状況では、他の原因を究明するのは「躊躇せざるを得ない」状況にさせられてしまったのです。結局、日本の事故調査委員会も「圧力隔壁の破損によるもの」という結論でまとめ、最終報告を出しました。

異論続出

事故調査委員会の最終報告が出されてから「それはおかしい」と異を唱える人達が続々と現れました。それもパイロットや現役の整備士、航空力学の教授などの専門家からでした。

以下にいくつか挙げてみましょう。

圧力隔壁が破壊されたら機内に急減圧が起きるはずであるが、それは起きていないと思われる

事故発生時の高度は23900フィートであり、酸素濃度は地上の半分以下である。また、その高さでの気圧と気温を考えると耳の鼓膜が破れるか痛くて一時的に何も聞こえなくなり、酸素濃度が低いため意識がもうろうとする危険な状態になり機内に強い空気の流れが発生するはずである。しかし生存者である落合由美さんは、そのようなことはなかった、と証言している。またコックピットも同じく低酸素状態になるはずであるがクルーの会話には、そういった兆候は全く見られない。緊急酸素マスクの酸素は17分しか持たないのに多くの乗客がダッチロールしている30数分間にメモに遺書を書いたりしている。落合さんの証言で「一瞬、霧がかかったようになった」とあり、減圧が起きたのは間違いないが、それが「急減圧」と呼べるほどのものとは思われない。


圧力隔壁の破壊では尾翼破壊は起こらない。またフライトレコーダーの記録とも合わない

ボーイング747はフューエルセーフ機能が施されており、機内に急減圧が起きても尾翼は守られる仕組みであり、圧力隔壁の破壊で尾翼まで破壊された、というのは有り得ない。また事故が発生した時にフライトレコーダーが示す機体姿勢と操縦内容が圧力隔壁の破壊では説明がつかない。事故発生時、機全体が前に押し出され機首が上がっているが、これは機体内部の破壊ではなく。むしろ尾翼に何等かの外力が斜め縦方向にかからない限り、有り得ない。

日航123便の真相に迫る⑥【垂直尾翼外部破壊説をDFDRから検証する】


上記2つはいずれも内容的には非常に精密に分析されており、「さすが専門家」と思わせるものがあります。こういった論理的な指摘も説得力があるものですが、私が最も驚かされたのは「元機長」がボイスレコーダーを聞いて感じた違和感を述べたものです。これは専門知識が無くても理解でき、かつ、非常に鋭い指摘だと感じられるものです。

機長がスコーク77を入れるのが早すぎる

スコーク77は最大級の緊急事態の時に出す信号である。それを異音がしてから、僅か7~8秒後に出す、というのは普通では考えられない。少なくとも原因が何であるかを確認してから出すべきものである。にも拘わらず、高濱機長はためらわずにスコーク77を指示している。これが意味するものは「高濱機長は異音が何により発生したものであるか、が分かっていた」としか考えられない。つまり「何か」がコックピットから見えており、それに危険性を感じ取っていたのではないか。

【日航機墜落事故①】元機長が今、分析する事故の真実(7:16~)


ボイスレコーダーの冒頭に機長とCAの会話が入っているが、これも違和感がある

ボイスレコーダーの冒頭に機長とCAの会話が入っているが、これもちょっと変である。状態としては規定高度に達し、手動操縦から自動操縦に切り替えた後であり、いわゆる「ベルトランプ」がオフの状態のはずであるから、お客さんがトイレに行ったりするのは自由であり、わざわざCAから機長に確認する必要などないはずである。何故、CAは「お客さんの要望」を機長に確認したのか? また、それに対する機長の答えが「気を付けて」「手早く」である。何に「気を付けなければならない」のか? 何故「手早く」しなければらないのか? 前述のスコーク77の速さと言い、機長には「何等かの危険性」がコックピットから見えており、CAにも、それを伝えていた、と考えなければ理解できない。

【日航機墜落事故②】元機長が今、新事実を語り始めた(5:10~)


そういえば、私も飛行機に乗るとき、トイレに行ったりCAさんに何か頼む時にCAさんは、それを機長に再確認などしていません。この2つの指摘は、これまであまり問題にされていなかった部分でもあり、元機長であるがゆえに感じとれる違和感だと思います。

真相はいかに…

一体、何が起こったのでしょうか。もう既に公的には結論が出ている事故ですが、あまりにも変なことが多すぎると思いませんか?

米国のNSTBが「修理ミスが原因」と指摘し、ボーイング社はそれをあっさりと認めます。「520人もの人を死なせた原因はわが社にある」と認め、ニューヨークタイムズに大々的に報じることも許しているのです。

もし本当なのであれば「潔い態度」と言えるでしょうが、これほど変なことが多すぎると素直には受け取れなくなります。

先にオレンジエアは有り得ない、もし自衛隊の標的ミサイルが飛んでいたら羽田の管制レーダーに映るはずだから、と書きました。しかし現在ではレーダーに映らない飛行機があることをご存じかと思います。いわゆるステルス機です。アメリカ空軍によるステルス機の開発は1960年代から始まり、1980年代には既に実戦配備されているステルス機も存在しました。

最後にご紹介しておきましょう。F‐117ナイトホークと、SR‐71ブラックバードです。

ともに米国空軍のステルス超音速機であり、運用期間は123便の事故日を含んでいます。特にSR‐71ブラックバードは日本の沖縄に実戦配備されたこともあります。

もし高濱機長がコックピットから、こんな異様な飛行機を見たら警戒するのは当たり前ですよね? 日本では飛行機を飛ばすには必ず管制にフライトプランを事前に提出しなければなりません。それは自衛隊も同じですが、1つだけ例外があります。

それは米国空軍所属機です。なお、これは裏が取れていない情報ですが、123便の事故が起きた日時に千葉県の一部でソニックブーム(超音速飛行により発生する衝撃波)が観測された、との情報もあります。千葉地域の新聞に掲載されたとの話ですが、私のアカウントでは1986年以降しか見られないので確認は取れていません。もしご存じの方がいらっしゃいましたらお知らせ下さい。


【参考文献】
  • 吉岡忍『墜落の夏 日航123便事故全記録』(新潮社、1989年)

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  この記事を書いた人
なのはなや さん
趣味で歴史を調べています。主に江戸時代~現代が中心です。記事はできるだけ信頼のおける資料に沿って調べてから投稿しておりますが、「もう確かめようがない」ことも沢山あり、推測するしかない部分もあります。その辺りは、そう記述するように心がけておりますのでご意見があればお寄せ下さい。

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戦ヒス編集部
読者さまから2024年1月24日に届きました声を以下にご紹介します。

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ミサイルが発射されて尾翼が破壊された、という記述についてですが米軍のミサイルの威力を考えれば尾翼の8割だけが破壊されるのはおかしな話です。普通は尾翼だけではなく機体も破壊されその場で墜落すると思います。さらにボイスレコーダーの件ですがリークされた音声と公式が出した文字起こしには「…たいとおっしゃられている方が…」と表記されているため「トイレ」とは言っていません。実際ここの音声が何を言っているのかは不明ですがトイレ以外の可能性もあるという事だけをお伝えします。
長文失礼いたしました。
2024/01/25 11:44