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本能寺の変の前夜、織田信長の眼前に現れて凶事の前兆とされた、囲碁の「三劫」とは?

天正10年(1582)、日の出の勢いで天下統一を目指していた織田信長が、滞在先の京都の寺院で配下の明智光秀に討たれた「本能寺の変」は、日本史上最も有名なクーデターと評しても過言ではないでしょう。これまで多くの研究者がさまざまな角度から調べてきましたが、光秀がなぜ反逆に及んだかは今もって定説がありません。

そんな謎多き事件を象徴するように、囲碁の「三劫(さんこう)」にまつわる不思議な伝説が、まことしやかに広まりました。

囲碁は相手の石を自分の石で囲めば取れるのですが、下の図のように交互に取り合える形を「コウ(劫)」といいます。

コウの形
コウの形

取って、取られて、取って、取られて・・・を繰り返せば、永遠に決着しませんよね。そのためコウが生じた場合、一度別の場所に打たないと石を取り返せないというルールができました。

ただしこのルールにも抜け穴があります。盤上にコウが3つある場合、対局者が順番に別のコウで石を取り返すことが可能になり、ぐるぐると打ち回せてしまうのです。双方がその状況を打開しなければ、対局は「無勝負」として打ち直しになります。

この三コウ無勝負は現代の棋戦でもちょくちょく見られ、七大タイトルでは平成10年(1998)の名人戦第4局で初めて出現しました。当時の観戦記には、確率的には8800回対局して1回しか現れない珍事だと紹介されています。

信長は囲碁を愛好しました。本能寺の変の前日には、同寺に公家や僧侶を大勢招いて茶会を開きました。その際に、京都の寂光寺の僧侶で囲碁の達人でもあった日海と鹿塩利賢という人物を呼び、余興として対局させたようです。

当時の棋譜が今でも残っているのですが、それを分析した限りでは三コウの局面はなかったようです。それでも本能寺の変前夜の三コウがまことしやかに言い伝えられ、三コウ自体が凶事の前兆とされるようになりました。

そもそも本能寺の三コウのエピソードは、江戸時代末期の囲碁棋士がしたためた「爛柯堂棋話」という随筆で紹介されたものです。創作も混じったエッセイなので、史実かは眉唾だといわれています。

それでもあの戦国時代を揺るがしたXデーの前日、棋譜に残していない対局が本能寺で打たれ、盤上に三コウが現れた可能性はゼロではないでしょう。そしてその珍しさを知る碁打ちたちが、大人物の行く末を示唆した象徴的な出来事として伝えてきたのかもしれません。

囲碁の起源は天文学に基づく占いといわれます。そんな文化的背景があるからこそ、人びとの興味をそそるユニークな伝説が生まれたのではないでしょうか。

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  この記事を書いた人
かむたろう さん
いにしえの人と現代人を結ぶ囲碁や将棋の歴史にロマンを感じます。 棋力は級位者レベルですが、日本の伝統遊戯の奥深さをお伝えできれば…。 気楽にお読みいただき、少しでも関心を持ってもらえたらうれしいです。

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