【麒麟がくる】第15回「道三、わが父に非ず」レビューと解説

今回光秀に課せられたミッションは「孫四郎をそそのかすようなやりとりをやめるよう帰蝶を説得せよ」でしたが、今度ばかりはすんなりクリアとはいきませんでした。高政に家督を譲って世代交代した美濃は、親子兄弟間でより険悪さを増し、とうとう修復不可能なところにたどりつきました。

出家した道三、弟ふたりをかわいがる

天文23年(1554)、斉藤利政は出家して剃髪し、名を「道三」と改めました。

家督を相続したのは長子の高政です。これで政の実権はすべて高政に移るはずなのですが、いまだ不安はぬぐえません。親子の確執は解消されないままであり、また道三は尾張の織田との同盟を今後どうするつもりなのか、ハッキリとした道筋を示すことなく隠居してしまったからです。

これを案じたのが信長に嫁いだ帰蝶です。父との関係が思わしくなく、父とは違う考えをもつ高政ではなく、同母の弟であり、父もかわいがっている孫四郎と連携したのです。兄は夫と敵対する彦五郎と通じていますし、当然の流れでしょう。

ドラマでは孫四郎が小見の方つまり正室腹の子であると示されました。実際は母が小見の方かあるいは高政と同じ深芳野か、よくわかっていません。まあ、ドラマ的には冷遇される側室腹の長子 VS 可愛がられる正室腹の次男という構図はわかりやすくおもしろいですよね。

『信長公記』によれば、道三は孫四郎よりも三男の喜平次のほうをよりかわいがり、高政よりも先に名門の一色氏の姓を与えていたとか。

道三にしてみれば、先の道筋を示さなかったのも「自分も正しい道を歩んできたとは思っていない」からで、子の高政がどういう道を選ぶか、楽しみにしていたところもあったのではないでしょうか。甘く見過ぎて散々な裏切りにあいますが……。

道三が高政に厳しくしてきたのは跡継ぎを高政にと考えていたからこそで、そうでない次男・三男をただかわいがっているように見えるのは致し方ない気がします。この親子の不和は、高政の心持ち次第だったのではないかと思います。

信長の叔父・織田信光

一方、尾張ではひとつ気がかりであったことが一気に片付きます。信長と敵対していた守護代・織田彦五郎(信友)が織田信光(信長の叔父)によって暗殺されたのです。城主不在の清州には守護・斯波義統の嫡男・義銀と信長が入り、守護代の織田大和家を滅ぼします。

『信長公記』によれば、信光は信長に「清州をだまし取ったら尾張下四郡(織田大和家の所領)のうち東の半分をください」と頼み、彦五郎を切腹に追い込んだとあります。

「麒麟がくる」で、この件で暗躍したのは帰蝶でした。

囲碁をしようと彦五郎に誘われたと言う信光に、「行って、お打ち(討ち)になれば万片が付くというもの」と笑います。うつのはもちろん碁ではなく彦五郎ですが。

こうして信光は信長から彦五郎へ鞍替えするふりをして清州へ入り、見事彦五郎を討ち取ったのでした。


藤吉郎、今川から織田へ

信長が清州を手に入れたことは駿河の今川にも伝わります。

このころ今川にいたのがのちの羽柴秀吉である木下藤吉郎です。相変わらず「字を教えてくれ」と駒に付き纏っていますが、ちゃんと世情には通じています。

織田信長はうつけだと聞いて今川に仕えようと駿河にやってきたものの、どうやら信長はうつけではないらしい。というわけで、藤吉郎は再び尾張へ戻って今度は信長に仕官しようと考えたのです。

実際、藤吉郎が駿河にいた時期は短かったようですが、このころ松下之綱の家来として奉公していたとされていますが、「麒麟がくる」ではその辺はカットされたのでしょうか。之綱の元でいろいろ学ぶ代わりに、駒に字を教わる形に変更したのか。

光秀主人公のドラマでこの時期の秀吉までカバーするのは難しいですから、駒&東庵の庶民パートで触れられるのはいい構成ですね。光秀と秀吉はのちにライバルになるわけで、互いに無名時代から『礼記』の光秀、『徒然草』の秀吉と対比できるのはおもしろいです。

父を否定した子は父そっくり

高政が家督を継いでしばらく。弘治元年(1555)11月、高政は仮病を使って孫四郎と喜平次を稲葉山城に呼び出し、斬殺しました。高政は10月ごろから引きこもって病と偽り、重病でもう長くないようなことを吹聴して油断させたのです。

孫四郎と喜平次の遺体と対面した道三の怒りは、自分が築き上げてきたものすべてを譲った息子に、そしてその子を甘く見過ぎていた自分の浅はかさに向けられたものです。

今回のタイトル「道三、わが父に非ず」は高政が最初から言い続けてきたことです。土岐頼芸追放のとき、父に面と向かって「お前を父とは思っていない」と言い放ち父を否定しましたが、今回のだまし討ちの手口はマムシそのものでしょう。

「自分は頼芸の子では」と何度も問い詰められながらも否定し続けた母と、高政が自分の子であることを疑わなかった道三の様子を見れば、高政が確かに道三の子であったことがわかります。

「父のような戦い方はしたくない」と言った高政は気づいていないのでしょうか。汚い手口で弟たちを葬り、襖一枚隔てて弟たちが殺されていく声を聞きながら寝返りをうつ高政は、汚らわしいもののように言った父そっくりだと。

尾張の信長は血こそ繋がっていないものの、道三によく似ています。その妻・帰蝶も裏で暗躍しまくって今回は兄の鼻を明かして、道三の血を感じます。そしてやっぱり、高政も道三の血を分けた子なのだと強く感じられる事件でした。

このころ、高政は「范可(はんか)」と名を改めています。范可とは、唐代の中国の故事に見られる父殺しをした男の名です。高政の次の標的は父・道三です。「父殺し」の男の名を名乗る時点で、暗に「道三は父だ」と認めているようなものですが……。

次回はついに、親子に分かれて戦う「長良川の戦い」へ。光秀は戦いを防ぐため尾張の帰蝶の元へ走ります。



【参考文献】
  • 『国史大辞典』(吉川弘文館)
  • 奥野高広・岩沢愿彦・校注『信長公記』(角川書店、1969年)

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  この記事を書いた人
東滋実 さん
大学院で日本古典文学を専門に研究した経歴をもつ、中国地方出身のフリーライター。 卒業後は日本文化や歴史の専門知識を生かし、 当サイトでの寄稿記事のほか、歴史に関する書籍の執筆などにも携わっている。 当サイトでは出身地のアドバンテージを活かし、主に毛利元就など中国エリアで活躍していた戦国武将たちを ...

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