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  • 上杉謙信
 2019/11/21

【家紋】「愛」の字で有名な名家老!「直江兼続」の家紋について

直江氏の家紋「三つ盛亀甲に三つ葉」
直江氏の家紋「三つ盛亀甲に三つ葉」

いかに名を馳せた戦国武将といえどもたった一人で戦うことはあり得ず、そこには多くの家臣や協力者の力がありました。 ことに副官の存在は大きく、主君に非常に近い位置でそのサポートを行い、重要なアドバイスをしたり名代として交渉事を担ったり、その能力の是非が家中の命運を左右することすらあるポストとして知られています。

時には主君を諫めたり、適切な方向へと政策を導いたりもしたことが数々の記録からうかがえ、まさに国舵取りに関わる役割を担ってきたことがわかります。当時の家中における役職としては「家老」という立場であったことが多く、戦国にはあまたの名家老が陰に陽に主君の補佐を行ってきました。

そんな家老のうち、もっとも有名な人物の一人が「直江兼続」ではないでしょうか。 大河ドラマの主人公として取り上げられたこともあり、その優れた内政手腕は武士だけではなく民衆生活に与するところが大きく、いまなお敬愛されている武将です。

今回はそんな、名家老・直江兼続を輩出した直江氏の家紋についてのお話です。
(文=帯刀コロク)

「直江氏」とは

直江氏が歴史の表舞台にその名を表すのは戦国時代に入ってからのことで、越後の上杉謙信の生家である長尾氏の家臣でありました。

直江氏は藤原京家に源流があるとされ、越後の所領である「直江庄」がその氏の由来ともいわれていますが、多くの戦国武将がそうであるように詳細な家譜は判明していません。

一族で有名な「直江兼続」は、本来は同じく長尾氏の家臣であった「樋口氏」の一族であったため「樋口兼続」と名乗っていました。直江氏に入り婿する形で家督を継いだ兼続は「直江兼続」と名乗りを変え、長尾氏→上杉氏と家督が変わったものの同一の主家に仕えます。

与板歴史民俗資料館前(新潟県長岡市)にある直江兼続像
与板歴史民俗資料館前(新潟県長岡市)にある直江兼続像

確実な史料が未発見のため、兼続の来歴にはやはり不明な点が多いものの、ことに景勝時代の上杉氏の筆頭家老として藩主代理の役割を務めていくこととなります。

直江氏の家紋は?

兼続らが使用した直江氏の家紋については、結論からいえばまだその詳細が判明していません。 ただし、当時の絵図や肖像から推測されるものがあり、現在ではそれが直江氏家紋であった可能性が高いと想定されています。

その紋は「三つ盛亀甲に三つ葉」と便宜上の呼称を与えられ、研究者によって肖像画から推測されたほかに使用例のない未詳のエンブレムです。六角の亀甲型の中に三つ葉柏のような模様を描き、それを下段二つ上段一つに配置した「三つ盛」の姿となっています。

家紋「三つ盛亀甲に三つ葉」
家紋「三つ盛亀甲に三つ葉」

兼続が家督を継いだ直江氏本来の家紋は、「亀甲に花菱」あるいは「亀甲に花角」といった単一の亀甲紋であると考えられ、兼続の義父にあたる「直江景綱」を描いた絵図や兼続の甲冑と供養塔の図にもこの紋を確認できるといいます。

家紋「亀甲に花菱」
家紋「亀甲に花菱」

ただし詳細な形状は絵図による誤差もあり、どちらがより正確なものであるかを断言するのは難しいようです。

兼続の紋を「三つ盛」としているのは衣服にあしらわれたものを参考にしたためですが、当時の肖像画の慣例として一つの紋をあえて三つ配置して強調するという手法のあったことも指摘されています。

たとえば有名な「毛利元就」の肖像画でも、「一文字三星」をそれぞれ三つずつ一まとめにしたにぎやかな「三つ盛」の様子を見ることができます。

毛利元就の肖像画
毛利元就の肖像画

直江氏の家紋については、まだまだこれからの研究の進展が待たれる分野であるといえるでしょう。

「愛」の一字は家紋ではない?

直江兼続といえば、何はともあれ「愛」の一字をデザインした大きな前立ての兜をイメージする人も多いのではないでしょうか。

戦いの日々に身を投じる戦国武将と「愛」という文字のギャップ、さらに関ヶ原の敗戦と減移封を乗り越えての藩経営の注力などから、兼続の人間としての温かさなどを印象付けるアイテムとなっています。

直江兼続所用「金小札浅葱縅二枚胴具足」(上杉神社所蔵品)
直江兼続所用「金小札浅葱縅二枚胴具足」(上杉神社所蔵品。出所:wikipedia

あたかも家紋のようではありますが、これは紋ではなく軍旗にも用いた印と考えられています。 旗には草書体による「愛」の文字が描かれていたとされ、兜前立ての文字とともに「愛染明王」や「愛宕権現」など神仏の加護を願うものだったという見方が有力です。

上杉謙信も自身の信仰する毘沙門天から「毘」の一字をとり、軍旗に使用していたことは有名です。 兼続の「愛」の由来に対する説は前述のとおりですが、愛染明王が縁結びなどに霊験のある仏尊であるのに対し、愛宕権現は修験者にも信仰された火の神であり、また仏としての姿は甲冑をまとった「勝軍地蔵」であると考えられていることから、後者だとより戦国武将らしいモチーフといえそうです。

前立ての下部には「瑞雲」という、神が出現する際に現れるという雲の形を模した飾りが取り付けられているのも、その説を補強しそうです。

まとめ

直江兼続は経済力が著しく低下した厳しい藩財政を安定させるため、以後の内政に尽力しました。 なかでも農業政策と治水事業はその代名詞ともいえ、とりもなおさず領民の生活を潤すことにも直結しました。

戦乱の世を通じて、もっとも大切なものが人々の平和な日常であることを痛感していたかのように思える兼続の事績の数々。 家紋そのものは不明でも、その姿勢や取り組みは現代社会でも大いに参考にすべき事柄ではないでしょうか。


【参考文献】
  • 『見聞諸家紋』 室町時代(新日本古典籍データベースより)
  • 「直江兼続が事」『常山紀談.前』 湯浅常山 1909 百華書房
  • 「日本の家紋」『家政研究 15』 奥平志づ江 1983 文教大学女子短期大学部家政科
  • 「「見聞諸家紋」群の系譜」『弘前大学國史研究 99』 秋田四郎 1995 弘前大学國史研究会
  • 『戦国武将100家紋・旗・馬印FILE』 大野信長 2009 学研
  • 『歴史人 別冊 完全保存版 戦国武将の家紋の真実』 2014 KKベストセラーズ



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