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江戸時代のエキシビションマッチ「お好み対局」って?

かつて御城碁と御城将棋が行われた江戸城の桜田門
かつて御城碁と御城将棋が行われた江戸城の桜田門

 正月にテレビ番組や新聞で「お好み対局」という言葉を見かけませんか。囲碁や将棋の人気棋士が特別に手合わせする非公式戦。いわば余興です。実はこれ、江戸時代を起源とする伝統なのです。何となく優雅さを感じさせる言葉ですが、そもそも一体誰の「お好み」だったのでしょうか。

 江戸幕府は囲碁や将棋の優れた棋士を庇護し、俸禄を与えていました。もちろん棋士たちもタダ飯を食うわけにはいきません。それぞれの技能を生かしたお勤めがあったのですが、その中で最も重要なのが「御城碁」と「御城将棋」でした。これは将軍や老中が列席する中で当代の名人たちが腕前を披露する年に一度のビッグイベント。年の瀬が迫る秋頃、盛大に行われていたようです。

 その日、棋士たちは朝早くから江戸城に上ってお勤めします。現代はチェスクロックなどで対局者の持ち時間を厳密に管理していますが、当時はそのような機器も概念もなく、対局者は自分が納得ゆくまで考えるのが普通でした。その場で真剣勝負を始めては、まる1日かけても勝負は決着しません。そこで事前に対局を済ませ、本番ではその手順を再現するスタイルを取るようになりました。

 対戦カードについては、幕府の傘下にある「碁所」「将棋所」という専門的な役職で決めていました。当日は対局した棋士が将軍の前で棋譜を再現します。もちろん実力や人気などを念入りに検討し、興味をそそるマッチメイクがされたはずです。しかし予定通りに進行する対局では飽き足らなくなった将軍が、「誰それの対局が観たい」と所望して特別に行われたのがお好み対局でした。

 お好み対局を本格的に始めたのが、愛棋家として知られる十代将軍の徳川家治でした。終わった対局の再現という“セレモニー”を早々に済ませた後、出仕した棋士を自分の側近たちと戦わせて楽しんだ記録が残っています。江戸城に呼ばれるような棋士はいずれも家名を背負っており、おいそれと対局できません。そんな堅苦しさを権力者が鶴の一声で吹き飛ばすのですから、なかなか痛快な慣習ですよね。

 現代における「お好み」の主語が誰かを突き詰めれば、囲碁将棋界のお得意様―つまり、われわれということになります。最近のお好み対局の実例では、持ち時間にハンデをつけた藤井聡太王位と里見香奈女流王位の対局などが挙げられます。少し前にはプロ棋士とAI(人工知能)の対局が話題になりましたが、それらも大きな意味でお好み対局と言えるでしょう。

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  この記事を書いた人
かむたろう さん
いにしえの人と現代人を結ぶ囲碁や将棋の歴史にロマンを感じます。 棋力は級位者レベルですが、日本の伝統遊戯の奥深さをお伝えできれば…。 気楽にお読みいただき、少しでも関心を持ってもらえたらうれしいです。

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