『源氏物語』一番の滑稽話 女の元での鉢合わせ 恋の騒動は現実でもあった?

 『源氏物語 紅葉の賀の帖』と言えば、光源氏と頭中将の2人、当代きっての貴公子青海波の舞の素晴らしさが描かれます。ただ紫式部はその後に、源氏物語でも一番の滑稽な話を書いています。

紅葉の賀の帖、若作りの老女・源典侍

 源氏物語の第七帖紅葉の賀に、源典侍(げんのないしのすけ)という老女が出てきます。良い家の出身で才女であり、若いころは美しかったのですが、今はもう結構なお年なのに未だに多情で男を通わせ、自身も若作りの化粧に余念がありません。源氏はどうしていつまでも男に気が惹かれるのか不思議に思い、物好きにも近付き、つい関係を持ってしまいます。

 典侍は光りの君と男女の仲になったのが自慢でしたが、源氏はきまり悪く思い、宮中の評判にならぬように行動にも注意していました。しかしひょんなことから源氏の父・桐壺帝の知る処となり、それ以後は不釣り合いな関係として噂は御所中に広まります。

 常に源氏をライバル視して源氏の隠し事にもアンテナを張っていた頭中将ですが「その関係は私も知らなかった」と好奇心を起こし、自分も若い男好きの典侍と関係を持ちます。当代きっての貴公子2人を通わせ、自慢でならない典侍ですが、本心で想うのは源氏1人です。

源氏物語唯一の修羅場、貴公子2人が女の元で鉢合わせ

 夏の夜の涼しさに誘われた源氏は、典侍が琵琶を弾いているところを通りかかります。琵琶の名手として知られた典侍が源氏への想いに悩みながら弾く琵琶の音に惹かれて、源氏は典侍の元を訪れます。そこへ来かかった頭中将、源氏の秘め事の現場を押さえたと大喜び、典侍の以前からの情人である年老いた修理大夫を装って2人の現場に踏み込みます。

 源氏は厄介な事になったと思って直衣だけを手に持ち屏風の後ろへ逃れます。中将はあくまで修理大夫として振る舞い太刀を引き抜いて騒ぎ立てます。そのわざとらしさに闖入者の正体に気付いた源氏、こちらも負けじと中将の衣を脱がしにかかります。お互いに帯を引き合い直衣を引っ張り合い衣も綻び、みっともない姿で女の元を出て行ってしまいました。

女の元で解いた帯

 源氏が宿直所へ戻って休んでいると、典侍が残されていた帯を持たせて寄こします。

源氏:「これは私のものではない。中将のものだろう」

 そう思いつつ見ていると、中将の元から「まずこれを縫い付けないと」と言って直衣の袖が届きます。見ると自分の直衣の袖が引きちぎられています。

源氏:「よく中将の帯が自分の手に入ったものだ。これが無ければ自分が負けるところだった」

 そう思って胸をなでおろし、帯を中将に送り届ける源氏でした。当時女の元で解いた帯に他人の手が触れると、その恋は破れると言われていたのです。その日は殿上の詰め所で顔を合わせても素知らぬ振りの2人でしたが、中将は後々までもこの夜の騒ぎを言い出しては源氏を苦笑させます。

 頭中将は最大の権力者である左大臣を父に持ち、その正室で降嫁した内親王を母に持つ血筋に加え、人柄も学識も立派容貌も優れと、源氏さえいなければ間違いなく随一の貴公子として持て囃される人間でした。しかし源氏の前では終生「桜の前の深山木」の立場に甘んじざるを得ず、選ばれた2人としての友情と共に源氏に対し生涯強烈なライバル心を持ち続けます。

恋しい女の肌着をお持ち帰り、平安の恋は生々しい

 ところで女の元で男が鉢合わせする事は実際にもあったようですが、お互い身に付けているものを持ち帰ったり忘れたりもありました。平安時代女性は素肌の上に下袴または内袴と呼ばれるものを着用しました。女房言葉として「すましもの」とか「ちいさきもの」とも言われましたが、現在で言うところのショーツです。

 藤原道長の正室倫子の女房で、百人一首に採られた「やすらはで寝なましものを」の作者としても知られる赤染衛門、彼女は忍んできた男に脱ぎ捨てた自分の「ちいさきもの」を持ち帰られてしまいます。相手は一条天皇の中宮定子の父親で、後には摂政関白内大臣にまで昇った藤原道隆の若いころの話です。女を抱くためにその下着の下紐をほどいた道隆、何を思ったのか帰る時にそのまま持ち帰ってしまいました。

 後にはちゃんと返すのですが、その時に付けた歌が以下。

「幾度の人の解きけん下紐を稀に結びてあはれとぞ思ふ」

(他の男が何度も解いてしまった下紐でしょうが、たまに来てこうして逢瀬を過ごすとやはり貴女がいとしいのですよ)

そして、これに対する返歌が

「幾度か人も解くべき下紐の結ぶに死ぬる心地する身を」

(確かに何人もの男が解いた下紐ですが、貴男と契りを結ぶたびにこれが最後かと思っているのです)

 下紐を結ぶのと契りを結ぶのをかけているのですが、この歌は詠み人知らずになっています。この「ちいさきもの」を受け取るのは赤染衛門より他に居ないわけで、彼女がとんでもないものを持ち帰られたのを恥じて自分の名前を出したくなかったのでしょうか。

男は脱ぎ捨てて行く

 反対に男が下袴を女の元に脱ぎ捨てて行った話も伝わっています。女は中宮定子に仕えて紫式部や清少納言と並んで才女と言われた馬内侍(うまのないし)で、何人もの男と浮名を流しました。男は藤原伊尹(これまさ)、正二位太政大臣にまでなった人物です。女が送り返した時に添えた歌は

「人知れず思ふこころのしるければ結ふとも解けよ君が下紐」

(下紐を固く結んで私の事を素知らぬ顔をしてもダメですよ、私の貴男を想う恋の力で解いてみせますから)

です。

おわりに

 男と女の逢瀬で下着を取ったり脱ぎ捨てたりの生々しい話ですが、王朝人はこんな事も雅な歌の贈答にしてしまうのですね。


【主な参考文献】
  • 山口博「悩める平安貴族たち」PHP研究所/2023年
  • 紫式部作 与謝野晶子訳「全訳源氏物語」角川文庫文/2008年

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  この記事を書いた人
ichicokyt さん
Webライターの端っこに連なる者です。最初に興味を持ったのは書く事で、その対象が歴史でした。自然現象や動植物にも心惹かれますが、何と言っても人間の営みが一番興味深く思われます。

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