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【史跡散策】福井、柴田公園(北の庄城址)。鬼柴田、お市と共に散った地へ

 福井県福井市。かつては越前の国と呼ばれ、織田信長に滅ぼされるまでは朝倉氏の領国だった。織田領となってからは重臣のひとり・柴田勝家が入り、北の庄城を築いた。

 JR福井駅は北陸新幹線の新駅も完成し、2024年3月の開業を待つばかりだ。ここから東へいくと、勝山市や大野市といった奥越といわれるエリアがあり、恐竜の化石がよく出ることで有名だ。

 北の庄城の跡地はJR福井駅から歩いて行けるが、福井市には市街地に路面電車が走っており、フクラムという愛称のかわいらしいトラムに乗って1駅。柴田勝家の北庄城址は、現在は柴田神社になっている。

柴田神社
柴田神社

 北の庄城は7層あったという織田信長の安土城天主を超えた、9層の天守閣だったという記録も残っているという。だとすれば歴史上最大級の規模の城だったことになる。もちろんこの一帯はすべて城域に入っていただろう。

 お市の方と、その娘たち、浅井3姉妹の銅像もある。父親は柴田勝家ではなく、お市の方の最初の嫁ぎ先、浅井長政である。浅井長政は信長に滅ぼされ、その信長も本能寺で討たれ、お市の方は柴田勝家の正室となった。それから羽柴秀吉に追い詰められ、北の庄城で自害するまで、1年もなかった。

お市の方と浅井3姉妹の銅像
お市の方と浅井3姉妹の銅像
柴田勝家の像
柴田勝家の像

 柴田勝家は、険しい表情で天守のあった方を睨んでいる。

 雪で動けない期間を秀吉に狙われ、焦った勝家は雪の中を強行進軍し、賤ケ岳の戦い(1583)に臨んだが、北の庄城へ敗走し、城の周りを取り囲まれた。最後の夜は、残った家臣たちをねぎらい、天守でやけっぱちの大宴会を開いたともいう。そしてお市の方と3姉妹には、秀吉のもとへ行くように言ったが、お市の方だけは頑として首を縦に振らなかったので、共に自害した。

 柴田勝家が詠んだという辞世の句は、

「夏の夜の 夢路はかなき あとの名を 雲居にあげよ 山ほととぎす」

 意味は、夏の夜のように短くはかない私の名を、のちの夜までも伝えてくれよ、山ほととぎす。

お市の方のほうは、

「さらぬだに うちぬる程も夏の夜の 別れをさそうほととぎすかな」

 夏の夜のほととぎすの鳴き声が、別れの悲しさをさそっているように聞こえる・・・。

 ふたりにとって、羽柴秀吉とはどんな存在だったのか想像するしかないが、無念なのは間違いないだろう。この後長女の茶々は秀吉の子を生み、戦国ラストの大戦へ突入する。

 炎上する城とともに運命を共にした母と義父を、3人の娘たちはどんな気持ちで見守ったのだろうか。戦国一の美女ともいわれるお市の方が勝家と運命を共にした場所ということで、最近では女性がここで祈願するとモテるようになるという話がある。女性にとっては魅力的なパワースポット、ということだろう。

 社務所では、若い女性が300円で専用のモテ祈願用紙に願いを書いて奉納していた。その光景は、400年前にここで起こった悲劇とは対照的でいかにも平和を感じさせる。

 北庄城址からほど近いお寺には、柴田勝家とお市の方の墓所と伝わる場所がある。今も、柴田勝家・お市の方、ふたりのファンが手を合わせに訪れるという。


柴田勝家とお市の方の墓所
柴田勝家とお市の方の墓所

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  この記事を書いた人
かのまお さん
小説家&ライター。 神社仏閣やパワースポットが好き。 社寺系のゼネコンに勤務歴あり。 小説家は別名義で活動、芥川賞ノミネート。

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