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【史跡散策】数々の文化財が残り、秀吉が中国平定に本陣を構えた「書写山円教寺」へ登ってみる

 円教寺は平安時代966年、性空上人の創建と伝えられる。天台宗の寺院で、西の比叡山ともいわれ、大河ドラマの官兵衛紀行で紹介されていた。

 兵庫県姫路市街地のやや北にある書写山円教寺へは、山陽自動車道の姫路東インターから下道を15分ほど走ると書写山ロープウェーの登り口(山麓駅)。ロープウェー利用の方のための無料駐車場が山麓駅横にある。または、姫路駅から路線バスで30分くらい。ロープウェーは5分で山上駅へ着く。

 ロープウェーからは、眼下の姫路市西部から太子町方面が見渡せる。揖保乃糸の揖保郡だ。

書写山ロープウェイ
書写山ロープウェイ
ロープウェーからの眺め
ロープウェーからの眺め

 ロープウェー山上駅の乗り場の横には、かわらけ投げがある。

 かわらけ投げは、厄除けなどの願いを込めて、高い場所から素焼きの土器を投げる願掛けの遊び。戦国時代、武将が出陣する際に必勝を祈願して土器の酒杯を地面に投げつけていたことが起源とされている。

山上駅となっているが、境内までの道のりはここからだ。山門までは、歩いて15分ほどの山道。途中には、眼下を見下ろせるスポットもある。

 途中には国指定重要文化財の無量院などの塔頭が点在している。中に入ることはできないが、季節によっては精進料理などをいただくことができるようになっており、予約すれば入場可能。

山門
山門

 山門を抜けても、まだ山道はつづく。さらに10分近く歩くと、巨大な摩尼殿(まにでん)が現れる。入り口からここまでは、マイクロバスも運行している。

 摩尼殿のご本尊は六臂(ろっぴ)如意輪観音、西国33カ所の札所本尊。国指定の重要文化財四天王立像も安置されている。

摩尼殿
摩尼殿

 天正6年、織田信長より中国地方征伐を命じられた羽柴秀吉が、別所長治の離反にあい、毛利方へ付いたため、三木城の別所と毛利に挟まれる窮地に立たされた。そんな中、黒田官兵衛の進言により秀吉の本陣が置かれたのがこの円教寺だった。

 姫路城から本陣を移したことで秀吉は難を逃れたという。その際、秀吉は摩尼殿の本尊である如意輪観音像などを近江の長浜に持ち帰ったが、その2年後、長浜より如意輪観音像だけが戻されたという。

 摩尼殿は大正時代に焼失しており、現在の建物は昭和8年に再建されているため、国指定重要文化財ではないが、兵庫県指定有形文化財。

 懸造り(かけづくり)という、京都の清水寺と同じタイプの工法で、傾斜地や段状の敷地、池などに張り出して建てる際に、長い柱や貫で床下を固定してその上に建物を建てる。

懸造りが特徴の摩尼殿
懸造りが特徴の摩尼殿

 ここからさらに山道を5分ほど行くと、いよいよ円教寺の中心地へ。

 本堂である講堂、食堂(じきどう)、常行堂がコの字型に並ぶ。壮観だ。

右のお堂が本堂にあたる大講堂、真ん中が食堂(じきどう)、左が常行堂。
右のお堂が本堂にあたる大講堂、真ん中が食堂(じきどう)、左が常行堂。

 見えている建物はすべて国指定重要文化財。映画「ラストサムライ」や「本能寺ホテル」、NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」など数々の撮影地になっている。

大講堂
大講堂
食堂
食堂

 そして大講堂の東南の隅には姫路藩本多氏の墓所である本多家廟所がある。

本多家廟屋
本多家廟屋

 この寺域からさらに奥へ入ると、性空上人を祀る開山堂が建つ奥之院へつながる。

圓教寺奥之院の開山堂
圓教寺奥之院の開山堂

 そして奥之院の開山堂前にある二つの小さな神社(護法堂)。こちらも国指定重要文化財であり、このまわりの神社の本殿や拝殿も国指定重要文化財のようだ。

圓教寺奥之院の護法堂
圓教寺奥之院の護法堂

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  この記事を書いた人
かのまお さん
小説家&ライター。 神社仏閣やパワースポットが好き。 社寺系のゼネコンに勤務歴あり。 小説家は別名義で活動、芥川賞ノミネート。

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