偽書・偽文書…歴史の闇?作成者たちは何を考え、偽書や偽文書を作ったのか

 偽書(ぎしょ)とは「偽造された文書」「虚偽を記載した文書」のことを言います。蔵書印を押したり、古色を施したり、来歴を捏造したり… とそれらしい体裁を整えて世に出てきます。

歴史は勝者が綴るもの。では偽書は?

 古今東西あらゆる分野で偽書は作られてきました。絵画の贋作や金銭がらみも含めれば、もっと数は多くなるでしょう。中でも最も多く作られ、長く伝えられたのは歴史書の偽書です。

 それはナゼなのか? 逆の言い方をすれば、国家によって編纂された正式の歴史書である「正史」が作られたからです。戦いに勝ち残り、国家権力を握った者は、己の政権の正統性を主張するため、敗れた側の衰退や滅亡の原因を書き残すのです。つまり「いかに彼らが愚かで間違っており、我々が正しく賢いか」といったアピールですね。

 昔日に編まれた正史には、寓話的なフィクションも混ざっています。 

「古(いにしえ)に天地(あめつち)未だ剖(わか)れず・・・然る後に神聖が其の中に生まれたのである」

 上記は『日本書紀』の書き出しです。どうしたって現代科学の知識とは相容れませんが 『日本書紀』は偽書とは言われません。これは正史が編纂された時代での国家の公式見解であって、時代が移れば真偽の基準も変わってきます。

 これら正史の正統性に飽き足らない人、疑問を持つ人、あるいは別の物語を求める人々が古人に託す形で歴史書の偽書を生み出します。しかし、偽書と言えどもそれなりの説得力が無ければ世の中に受け入れられません。作成するには知識・教養・筆力が求められ、また紙の書籍なら印刷・製本の手間と技術・金も必要です。

 正史は真実が書かれていればそれだけで値打ちですが、偽書は世人に受け入れられてこそナンボなのです。

時の為政者は偽書をどう見た?

 文書偽造の罪は律令政治のころは「律」により「盗に準ず」とされ、『御成敗式目』でも「謀書の罪」は侍の場合、所領没収や遠流、庶民ならば顔に焼き印を押すと決められています。

 江戸時代になれば、首謀者は市中引き回しの上で獄門磔、共犯者も死罪です。直接人を害さず、財産を犯していない割には厳しい刑が課せられました。為政者にすれば、世人を惑わし、現政権の正当性が疑われ、世の中に反政府的な不穏な空気を作られるのを恐れ嫌ったのです。

 しかし偽書は後を絶ちません。罰する方も厳しい刑罰をもって臨むのですから、その真偽は十分に吟味します。特に鎌倉幕府の法廷は証拠文書の真偽判定に厳密で、書物の様式・年月日・人名・用語・書風・紙質・花押などの諸要素を総動員して判断しました。

 ところがこの厳しい態度は時代が下るにつれて、徐々に失われていきます。特に戦国時代には、大名自らが自身の家系・家格を権威づけるため、さまざまな ”改ざん” を行っています。

 明智光秀は「仏の嘘をば方便と言い、武士の嘘をば計略と言う」と言ったとか言わなかったとか。大名たちは他者への書状に明らかな嘘もしたためていますが、このあたりになると「頭から信じ込む方が悪い」でしょうね。

 このように戦国末期から江戸初期はもっとも多く偽文書が作られた時代なのです。

庶民も盛んに作った偽文書。嘘も3回言えば本当になる

 鋳物師(いもじ)・生地師・薬屋・マタギなど多くの手工業者や商人・諸芸に関わる集団が、その特権の維持と職能を権威づけるために、偽書・偽文書を盛んに製造しました。その多くは中世の職人の特権を保証した天皇・将軍の本物の発給文書を下敷きにしています。

 職務の実態と独特の習慣や伝説を盛り込み、鋳物師の真継家(まつぎけ)や生地師の大岩家のような、職人集団をまとめる立場にある人物が中心になって作成されました。ちなみに嘘を本当と信じ込ませるには「3割は事実を混ぜる事」だそうです。

 しかも当時は、これらの文書は本物として扱われました。幕府・公家にも承認され、位ある人の印が押されてあげくに由緒書きまで付けられ、どんどん箔が付き、江戸時代の職人集団を支える役割まで果たします。

 その中に書かれている当時の社会習慣や用語・時代の考えは本当の事が書かれており、それらは史実として値打ちがあり、後世の研究者が真偽を見極めるのに悩む結果になってしまいました。

日本の古い偽書事件

 平安時代初期を対象とし、承和7年(840)に完成した勅撰史書『日本後記』があります。『続日本紀』に続く六国史の第三にあたりますが、その中に大同4年(809)2月に平城天皇の詔として次のような文書が記されています。

「倭漢惣歴帝譜図(わかんそうれきていふず)、天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)を標して始祖となす。魯王・呉王・・・敢えて天宗を垢し、愚民迷執す」

 つまり、当時『倭漢惣歴帝譜図』と言う系図が広まっていたが、その中身は天御中主尊と言う神を皇室の始祖神とし、魯王・呉王らの子孫が皇室につながったとし、日本の皇室と中国・朝鮮の王家が混ざり合っているとするものだ。この系図は日本皇室の正当性を棄損するものだが、愚かな民がこれを信じ込んで混乱している。

 …という内容のものです。天皇自ら詔をして過ちを正そうとするのですが、おそらくこれが記録に残った日本最初の偽書事件です。

 平安時代後期以降は、土地支配・所領をめぐって自己の権利を正当化するため、おおいに偽文書が作られます。『高野山御手印縁起』はその一例ですし、10世紀になると、四天王寺など大寺院も同種のものを作っており、これらの偽縁起は訴訟の証拠として十分に機能しました。

おわりに

 Webの世界に溢れかえっている陰謀論や偽情報。これらが現代の偽書にあたるのでしょう。書物として発行する偽書ならばそれなりの手間や金もかかりますが、現代の偽書は誰でも手軽に作れてしまいます。

 昔の偽書づくりが、現状を見れば「我々の手間暇はなんだったのだ」と嘆くでしょう。それとも「あんなのはチラシの裏便所の落書き、我々の正当な偽書を比べられては困る」と思うのでしょうか。


【主な参考文献】
  • 久野俊彦/編『偽文書学入門』柏書房/2004年
  • 藤原明『日本の偽書』河出書房新社/2019年
  • 原田実『偽書が揺るがせた日本史』山川出版社/2020年

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  この記事を書いた人
ichicokyt さん
Webライターの端っこに連なる者です。最初に興味を持ったのは書く事で、その対象が歴史でした。自然現象や動植物にも心惹かれますが、何と言っても人間の営みが一番興味深く思われます。

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