大河ドラマ「光る君へ」 清少納言の登場! 納言の母の謎と名称の由来
- 2024/02/13
大河ドラマ「光る君へ」第6回目は「二人の才女」。紫式部の ”ライバル” ともよく称される清少納言がいよいよ登場してきました。清少納言を劇中で演じるのは、女優のファーストサマーウイカさん。劇中では清少納言は「ききょう」という名で登場しています。では、清少納言(以下、納言とのみ記載することあり)は、どのような家に生まれ、名前は何と言ったのでしょうか。
先ず、納言の父は、清原元輔(908〜990)といいました。元輔の生涯を概観すると、河内少掾・少監といった職を歴任、天延2年(974)の時に、周防守に任じられ、やっと受領(国司)となります。そして、晩年、79歳の時にも、肥後守に任命され、九州に下向しているのです。納言は、国司階級の家の出身だったのです。紫式部の父・藤原為時は、長徳2年(996)に越前守に任じられていますので、似たような家柄ということができるでしょうか。
納言の父・元輔の生涯で特筆されるのは、その役職よりも、歌人としての活躍でしょう。『後撰和歌集』(村上天皇の命令により編纂された勅撰和歌集。950年代に成立か)を編纂したいわゆる「 梨壺の五人」(源順・大中臣能宣・清原元輔・坂上望城・紀時文)の1人として著名ですし、「小倉百人一首」のなかにも、元輔の歌が収録されています。
ちぎりきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 浪こさじとは
さて、元輔を父として生まれた納言ですが、その母については不明です。『後撰和歌集』に和歌が掲載されている筑紫(九州)の女性(檜垣嫗)が、納言の母とする説もありますが「俗説」でしょう。檜垣嫗の存在自体が伝説、謎に包まれていますし、仮に元輔と接点があったとしても、元輔が九州に赴任するのは老齢となってからであり、2人の間に納言が生まれたとするのは、無理があると思います(年代も合いません)。
納言の実名ですが、これも紫式部同様、不明です。清原諾子(なぎこ)とする見解もありますが、推測の域を出ません。「清少納言」というのは、 実名ではなく、女房としての呼び名です。「清」は、清原氏から付けられたのですが「少納言」の由来については、様々な説があるものの、実態については不明です。ちなみに父・元輔は少納言(太政官の事務を司どる)には就任していません。
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