コフンとハニワ ~これであなたも埴輪博士!〜

 「古墳」と聞いて「埴輪」を連想する人、多いのではないでしょうか? 特に、埼玉県熊谷市の野原古墳から出土した「踊る人々(通称:踊る埴輪)」は、全国あちこちでキャラクター化されているのを目にします。

 ある博物館で、来館者の感想が貼られた掲示板に

「ハニワ、サイコー!」

と書かれていたのを見たことがあります。

 大阪府にある“古墳&埴輪グッズ”に特化したお店の前には、埴輪の絵が描かれた顔はめパネルが置いてありますが、そこにも「はにわサイコー」と書かれています。

 埴輪は当時の様子を忠実に再現して作られているため、古墳時代を知ることができる“唯一の3次元資料”という歴史的価値があります。また、人や動物だけでなく家や道具など様々な種類があるので、単純に見ていて楽しい、可愛い、癒される存在でもあります。

 まさに「ハニワ、サイコー」です。今回は、そんな埴輪に関する知識をまとめてみました。

埴輪の種類と役割

 埴輪は、古墳時代に作られた「埴土(はにつち)を使って輪を作り、それを積み上げて形を整えた焼き物」で、主に古墳の上に並べられた物です。ちなみに埴土の “埴(はに)” は粘土のことです。粘土の塊を捏ねて整形するものではないので、埴輪の中は空洞になっています。

 また、埴輪には様々な種類があり、それぞれ役割があったようです。

円筒埴輪

 埋葬施設や墳丘上を取り囲むように立てられていることから、装飾だけでなくバリケードの役割もあったと考えられています。

 主に「円筒埴輪」「朝顔形円筒埴輪」「壺形円筒埴輪」の3種類があり、表側には“突帯(とったい)”と呼ばれる帯状の突起があるのが特徴です。

 因みに、突帯の本数を条といいます。よって、2本の突起がついていたら「2条の突帯がある円筒埴輪だね〜」なんて言うと玄人っぽいですね。

 また、“透孔(すかしあな)”と呼ばれる穴も空いています。こちらは特殊器台に付けられていた文様が形骸化して残ったと考えられていますが、真相は不明なようです。

 なお、円筒埴輪は古墳時代初期から登場し、末期まで採用され続ける“埴輪を代表する埴輪”です。

形象埴輪

 人や動物、器物などを形取った埴輪で、「人型埴輪」「動物埴輪」「器物埴輪」の3種類に分かれます。

 形象埴輪は実物を忠実に再現しているため、古墳時代の服装や道具・家屋の造り、祭祀や狩猟の様子などが非常によく分かる資料になります。

 当初は祭祀のために登場しますが、次第に権威や財力を誇示し、古墳を華やかに見せるための装飾用の役割が強くなったようです。

埴輪の登場と終焉

 そもそも埴輪はどんな経緯で誕生したのでしょうか?

文献の初出は?

 文献で埴輪が初めて登場するのは『日本書紀』の「巻第六 垂仁天皇」です。

 垂仁天皇の弟である倭彦命が亡くなると、従者たちは生きたまま墓へ一緒に埋められるのですが(殉死)、彼らの呻き声やその後の腐臭に垂仁天皇は頭を悩ませます。その後、皇后の日葉酢媛命が亡くなった時、野見宿禰が垂仁天皇へ以下のような提案をします。
(原文を読み下しにして紹介します)

出雲国の土部(はにべ)壱佰人を喚し上げ、自ら土部等を領ひ、埴(はにつち)を取りて、人・馬ち種々の物の形を造作り、天皇に献りて曰さく、「今より以後、是の土物(はに)を以ちて生人に更易へ、陵墓に樹てて、後葉の法則とせむ」とまをす。

※筆者意訳:出雲国から土部百人を呼んで、埴土を使い人・馬や様々な物を作って天皇に献上し、「今後は、この土物を生きた人に代わって陵墓に立てることにしましょう」と申し上げた。
『日本書紀』より

 この提案に垂仁天皇は大いに喜び、採用します。

其の土物(はに)を、始めて日葉酢媛命の墓に立つ。仍りて是の土物を号けて埴輪と謂ふ。(中略)「今より以後、陵墓に必ず是の土物(はに)を樹てよ。人をな傷りそ」とのたまふ。

※筆者意訳:この土物を初めて日葉酢媛命の墓の上に立てた。そして、この土物を埴輪と名付け「今後は、陵墓には必ず土物を立てよ。人を殺してはならぬ」と仰った。
『日本書紀』より

発掘調査での登場

 このように『日本書紀』では埴輪誕生の様子が記載されていますが、実際は発掘調査により、以下の流れで様々な埴輪が登場したことが分かってきました。

  1. 弥生時代後期(3世紀半ば)に吉備地方(岡山県)で祭祀用供物を入れた壺とそれを載せる器台が墳丘墓に備えられるようになる
  2. この壺と器台が大型化して“特殊器台”となり、各地に広まる
  3. 古墳時代初期(3世紀後半)、特殊器台を簡略化して完全な筒状の“円筒埴輪”が登場する
  4. 円筒埴輪の上に壺を載せたような“朝顔形埴輪”も登場する
  5. 古墳時代前期(4世紀後半)、王の権力を示すような道具や家屋といった“器物埴輪”が登場する
  6. 古墳時代中期(5世紀前半)、神聖な場所を示す鶏や水鳥といった“動物埴輪”が登場する
  7. 古墳時代中期(5世紀半ば)、生前の暮らしを表現するため鳥以外の動物埴輪や“人物埴輪”が登場する

 つまり、埴輪は「円筒埴輪から始まり、人物埴輪が登場するのは1番最後」で、『日本書紀』の記述と全く違うことになります。

 では、なぜそんなことが起きたのでしょうか? それは、埴輪の終焉と『日本書紀』が書かれた時期に関係があります。

埴輪の終焉

 畿内を中心とする西日本では6世紀後半に造られた「五条野丸山古墳(全長318m)」を最後に巨大前方後円墳は造られなくなりますが、これと同じくして西日本では埴輪も姿を消していきます。

 一方で、群馬・埼玉を中心とする東日本では7世紀前半まで前方後円墳は造られ続けますが、やはり埴輪は前方後円墳とともに姿を消します。

 埴輪は前方後円墳以外の古墳(例えば円墳など)にも立てられていますが、前方後円墳の消滅と同じ頃に埴輪も終焉を迎えることは事実です。おそらく、神聖かつ権威の象徴だった前方後円墳が消えることによって、それを具現化していた埴輪もその役割も失った、ということでしょう。

『日本書紀』が書かれた時期

 一般的に『日本書紀』は8世紀に入った養老4年(720)に成立したと考えられています。つまり、『日本書紀』は埴輪が作られなくなってから “約100年後” に成立しているわけです。

 埴輪について詳細が分からないにも関わらず、あえて埴輪誕生の話を入れたのには何か理由があるはずです。

 現在は、天皇の葬儀を司る役目を担った土師氏の始祖である野見宿禰が垂仁天皇から土師臣を与えられた理由付けとして“きっとこんなことがあったのだろう”と想像して書かれたのではないか、といわれています。

 真実は何にせよ、実際に埴輪が作られている頃に書かれたものでは無いので、その信憑性は低くなります。ですから、『日本書紀』と史実は異なる訳ですね。

オススメ埴輪ベスト5の紹介

 いかがだったでしょうか? これであなたも“埴輪博士”です!

 最後に、筆者の個人的視点ではありますが、皆さんにオススメの埴輪ベスト5をご紹介します。是非、実物を見に行ってください!

第5位:日本最大の “円筒埴輪”

奈良県桜井市にあるメスリ山古墳から出土した高さ242cmの巨大円筒埴輪です。

 現在は「橿原考古学研究所附属博物館」に展示してありますので、実物を見てください。形象埴輪に比べて円筒埴輪は地味…なんて思っている人にはオススメです!(メスリ山古墳の円筒埴輪クッションも可愛くてオススメです)

メスリ山古墳出土の円筒埴輪(奈良県立橿原考古学研究所附属博物館展示。出典:wikipedia)
メスリ山古墳出土の円筒埴輪(奈良県立橿原考古学研究所附属博物館展示。出典:wikipedia)

第4位:海の王者の証、圧巻の “はにシップ”

 三重県松阪市にある宝塚1号墳より出土した舟形埴輪(通称はにシップ)。大きさ、造りの精密さ等々、その豪華さは海を支配した王者の証です。

 そして、2024年に埴輪としては3例目となる国宝指定を受けました。現在「松阪市文化センター(はにわ館)」で見ることができる圧巻の “はにシップ” はオススメです!

宝塚1号墳出土 船形埴輪(松阪市文化財センター展示。出典:wikipedia)
宝塚1号墳出土 船形埴輪(松阪市文化財センター展示。出典:wikipedia)

第3位:全国で3体しか見つかっていない “見返り鹿埴輪”

  • 島根県松江市の平所遺跡埴輪窯より出土(牡鹿)→「八雲風土記の丘 展示学習館」にいます。
  • 奈良県橿原市の四条1号墳より出土(牝鹿) →「橿原考古学研究所附属博物館」にいます。
  • 静岡県浜松市の辺田平1号墳より出土(牡鹿) →「浜北文化センター 歴史資料館」にいます。

 いずれも振り向いた顔の表情が「グッド!」な“見返り鹿埴輪”はオススメです!

辺田平1号墳から出土した “見返り鹿 埴輪”(筆者撮影)
辺田平1号墳から出土した “見返り鹿 埴輪”(筆者撮影)

第2位:一目見たら忘れられない? “はいもとろう人”

 千葉県芝山町の殿塚古墳から出土した“はいもとろう(這い回る)人”と名付けられた人物埴輪です。

 因みに、芝山といったら姫塚古墳から出土したモーツァルトのようなクルクル髪型?に長いお髭の“髭の武人”埴輪が有名ですが、私は敢えてコチラ!

 立派な右手とゴ○ゴ13を彷彿とする眉、そして全体から醸し出す強烈なプリティーオーラ。お髭の埴輪と一緒に、「芝山古墳・はにわ博物館」にいます。

 一目見たら忘れられない強烈な印象の“はいもとろう人”はオススメです!

第1位:考古学界のアイドル “踊る人々”

 通称“踊るはにわ”。冒頭でも紹介した超メジャー埴輪で、現在は「東京国立博物館」にいます。

 最近、野原古墳(埼玉県熊谷市)があった場所の近くにある八幡神社に立派な石像ができたそうで嬉しい限りです。ぬいぐるみやキーホルダー、あちこちでキャラクターとして採用される考古学界のアイドル“踊る人々”はオススメ!

野原古墳出土の「埴輪 踊る人々」(出典:ColBace) 大(画像左側)と小(画像右側)の2体がある。
野原古墳出土の「埴輪 踊る人々」(出典:ColBace) 大(画像左側)と小(画像右側)の2体がある。


【主な参考文献】
  • 『古墳解読 古代史の謎に迫る』武光誠 河出書房新社(2019年)
  • 『知識ゼロからの古墳入門』広瀬和雄 幻冬舎(2015年)
  • 『日本の古代を知る 古墳まるわかり手帖』広瀬和雄 二見書房(2023年)
  • 『もっと知りたい はにわの世界 古代社会からのメッセージ』若狭徹 東京美術(2009年)
  • 『古墳時代の鏡・埴輪・武器』樋口隆康、大塚初重、乙益重隆 学生社(1994年)

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  この記事を書いた人
まつおか はに さん
はにわといっしょにどこまでも。 週末ゆるゆるロードバイク乗り。静岡県西部を中心に出没。 これまでに神社と城はそれぞれ300箇所、古墳は500箇所以上を巡っています。 漫画、アニメ、ドラマの聖地巡礼も好きです。

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