大河ドラマ「光る君へ」 越前滞在中の紫式部の心中を占めていた ”あること” とは?
- 2024/06/10
大河ドラマ「光る君へ」第23回は「雪の舞うころ」。
望郷の念にかられつつ、都を立ち、越前国(現在の福井県)に到着した紫式部。越前守に就任したその父・藤原為時一向は、越前の国府(国司が政務を執る施設が置かれた都市)に向かいます。越前の国府は、現在の越前市(旧武生市)にあったと考えられています。国府に到着した一行を出迎えたのは「初雪」でした。
その頃、紫式部はこんな歌を詠んでいます。
「ここにかく 日野の杉むら 埋む雪 小塩の松に 今日やまがへる」
「こちらでも日野岳に群生する杉を埋めるほどの雪が降っています。都でも今日は小塩山の松に雪は降っているであろうか」という意味の歌です。
「越前富士」とも呼ばれて往古より信仰の対象にもなってきた日野岳(山)。そこに降り積もる雪を見ても、式部の頭に浮かぶのは、都の小塩山(現在の京都市西京区)の情景でした。前述したように、式部は越前に着く前からホームシック(都恋し)の状態になっていたと思われますが、(式部の歌を見るに)雪深い越前に来てみて、その想いは一層強まったのではないでしょうか。
ある時、雪が多く降り積もったので、雪掻きをし、雪が山のようになったことがありました。「外に出て、この雪山を見てくださいよ」と誘う人を尻目に、式部はまたもや歌を詠みます。
「ふるさとに かへるの山の それならば 心やゆくと ゆきも見てまし」
「故郷(都)へ帰るという名の鹿蒜山の雪山ならば、気が晴れるかと出掛けて見もするでしょうが」という内容です。鹿蒜山は越前国敦賀郡にある山のことです。ここでもまた、式部の心を占めていたのは都、望郷の念でした。誘いにも乗らず、部屋に籠っている式部の姿が浮かび上がります。今風に言えば、ちょっとノリが悪いなというところでしょうか。
式部の越前滞在は約1年ほどですが、その間に越前の風物を詠んだ歌はありません。これは式部が越前国を巡遊しなかったからだと思われます。もしかしたら式部は、父に従って越前に赴いたことを少し後悔していたかもしれません。
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