大河ドラマ「光る君へ」 藤原道長の娘・彰子に仕えた紫式部 しかし宮仕えは恥ずべきことだった!?
- 2024/08/26
大河ドラマ「光る君へ」第32回は「誰がために書く」。
藤原道長の娘・彰子に仕えることになった紫式部ですが、宮仕えすることは、当時の貴族の娘などにとっては、褒められたことや名誉ではありませんでした。これは、現代の我々からすると意外に思えます。
では、平安時代の女性にとって、宮仕えはなぜ名誉なことではなかったのでしょう。例えば、ドラマにおいて秋山竜次さんが演じている貴族・藤原実資は自身の日記『小右記』において「近頃は、太政大臣以下、大納言の娘でも父が死ぬと皆、宮仕えに出るが、世間ではこれを嘆かわしいと思っている。末代の公卿の娘は先祖の恥晒しだ」とまで書いているのです。
また、藤原道長のライバルで三浦翔平さんが演じる藤原伊周は「近頃は尊い身分の人の娘でも皆宮仕えに出る。自分が死んだら、娘らは好奇の目で見られることであろう。しかし、それは自分の恥になることであるから慎んで欲しい」(平安時代の歴史物語『栄花物語』)と遺言したとされます。
これらの記述から、当時、宮仕えは恥ずべきことであるとの価値観があったことが分かります(娘の恥は親の恥、先祖の恥にもなるとの考え方があったのです)。
ちなみに紫式部は、その日記の中で「宮仕えで知った屈辱感」と書いていますし、宮仕え後、友人から出仕を軽々しいと見られたとも記しているのです。当時の身分のある女性は、軽々しく他人に顔を見せてはいけないものとの考え方がありました。一方、宮仕えする女性(女房)は、人前で顔を出さねばなりません。清少納言の『枕草子』を見ても、平安時代の女性は、羞恥心の塊ではと感じてしまうほど、自分の顔を隠そうとしています。女性にとって宮仕えは恥ずかしいものだったのです。
また宮仕えをしていたら、男女関係が乱れやすいということもありました。父親としては、そうした場に自分の娘を出したくない、宮仕えは恥ずべきものという気持ちになったとしても不思議ではありません。
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