「光る君へ」一条天皇が中宮・彰子の妊娠に気が付いた訳

第35回、藤原伊周が平致頼と組んで、道長を襲撃するシーン
第35回、藤原伊周が平致頼と組んで、道長を襲撃するシーン

 大河ドラマ「光る君へ」第35回は「中宮の涙」。一条天皇とその中宮・彰子(藤原道長の娘)が結ばれる様が描かれていました。

 『栄花物語』(平安時代の歴史物語。同書と略記することあり)には、一条天皇の母・詮子(道長の姉)の在世中から、心が鬱々とすると彰子のもとを訪れる天皇の姿が描かれています。

 女院(詮子)が「この頃、心細い気が致します。もう少し主上(一条帝)の御行末を拝見していきたい気もしますが」と気弱なことを言い、泣かれた時などは、天皇はその直後に彰子のもとに渡っているのです。

 彰子のところに渡れば、すぐに他の事を忘れることができるとあるので、天皇にとって彰子は癒しだったのではないでしょうか。天皇は次のように彰子に語ったようです。

「院(詮子)がとても心細気なことを仰せになるので、とても憂鬱になった」

 中宮・彰子はそのお言葉を恥ずかし気に聞いておられたとのこと。その後、女院(詮子)は重病となり、ついに崩御されます(1002年)。天皇は母の死に衝撃を受けて、お湯さえお召し上がりにならなかったようです。

 詮子の在世中から仲が良かった天皇と彰子ですが、彰子の妊娠が判明するのは、寛弘5年(1008)春のことです。彰子は前年から食欲がなかったようですが、騒ぐことなく過ごされていました。年明けには食欲不振と共に眠気も加わったようです。

 天皇は彰子のもとに渡った時、

「12月にも月の障り(月経)がなかった。今月も20日になろうというのに、その事がない。これは普通ではなかろう。そなたの父母にその事を言われたら良かろう」

と仰せになったとのこと。おそらく、彰子が天皇に月の障りが来ていないことを訴えたのでしょう。天皇はこの時、彰子が懐妊していることを確信したのでした。

 天皇は参内した道長に「あの事を知っているか」と聞きますが、道長は「何でございましょう」と知らない様子。そこで天皇は彰子の異常を告げるのでした。

「中宮が余程のことがなければ目が覚めぬほど眠いらしい」

と。

 道長も娘の彰子が最近痩せていることは知っていたようです。天皇のお言葉を聞き、道長も娘の懐妊に思い至ったのでした。

※この掲載記事に関して、誤字脱字等の修正依頼、ご指摘などがありましたらこちらよりご連絡をお願いいたします。

  この記事を書いた人
濱田浩一郎 さん
はまだ・こういちろう。歴史学者、作家、評論家。1983年大阪生まれ、兵庫県相生市出身。2006年皇學館大学文学部卒業、2011年皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。専門は日本中世史。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。 著書『播 ...

コメント欄

  • この記事に関するご感想、ご意見、ウンチク等をお寄せください。