「光る君へ」一条天皇が中宮・彰子の妊娠に気が付いた訳
- 2024/09/16
大河ドラマ「光る君へ」第35回は「中宮の涙」。一条天皇とその中宮・彰子(藤原道長の娘)が結ばれる様が描かれていました。
『栄花物語』(平安時代の歴史物語。同書と略記することあり)には、一条天皇の母・詮子(道長の姉)の在世中から、心が鬱々とすると彰子のもとを訪れる天皇の姿が描かれています。
女院(詮子)が「この頃、心細い気が致します。もう少し主上(一条帝)の御行末を拝見していきたい気もしますが」と気弱なことを言い、泣かれた時などは、天皇はその直後に彰子のもとに渡っているのです。
彰子のところに渡れば、すぐに他の事を忘れることができるとあるので、天皇にとって彰子は癒しだったのではないでしょうか。天皇は次のように彰子に語ったようです。
「院(詮子)がとても心細気なことを仰せになるので、とても憂鬱になった」
中宮・彰子はそのお言葉を恥ずかし気に聞いておられたとのこと。その後、女院(詮子)は重病となり、ついに崩御されます(1002年)。天皇は母の死に衝撃を受けて、お湯さえお召し上がりにならなかったようです。
詮子の在世中から仲が良かった天皇と彰子ですが、彰子の妊娠が判明するのは、寛弘5年(1008)春のことです。彰子は前年から食欲がなかったようですが、騒ぐことなく過ごされていました。年明けには食欲不振と共に眠気も加わったようです。
天皇は彰子のもとに渡った時、
「12月にも月の障り(月経)がなかった。今月も20日になろうというのに、その事がない。これは普通ではなかろう。そなたの父母にその事を言われたら良かろう」
と仰せになったとのこと。おそらく、彰子が天皇に月の障りが来ていないことを訴えたのでしょう。天皇はこの時、彰子が懐妊していることを確信したのでした。
天皇は参内した道長に「あの事を知っているか」と聞きますが、道長は「何でございましょう」と知らない様子。そこで天皇は彰子の異常を告げるのでした。
「中宮が余程のことがなければ目が覚めぬほど眠いらしい」
と。
道長も娘の彰子が最近痩せていることは知っていたようです。天皇のお言葉を聞き、道長も娘の懐妊に思い至ったのでした。
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