江戸っ子を虜にした怪談ブーム 火付け役は?北斎の幽霊画はブラックユーモア満載!?

 江戸時代は繰り返し怪談ブームが起こり、旗本から町民に至るまで、身分の上下を問わず百物語の会が催されました。『東海道四谷怪談』『番町皿屋敷』『牡丹灯籠』など、怪談ベースの歌舞伎狂言も人気を博し、数々の幽霊画や妖怪画が生み出されます。

 今回は江戸っ子を虜にした怪談ブームの変遷と、画狂人・葛飾北斎が手掛けた、ブラックユーモア満載の幽霊画などを紹介していきます。

江戸中期の怪談ブーム

 江戸中期は徳川幕府が安定期に入り、経済が最も活性化した時代でした。歌舞伎・浄瑠璃・落語・茶の湯などの町人文化も花開き、庶民の暮らしに余裕が生まれます。日本三大怪談『東海道四谷怪談』『番町皿屋敷』『牡丹灯籠』もこの頃に成立しました。

 日常に倦んだ人々が刺激を求めるのは自然な流れで、江戸から明治にかけて数々の幽霊画・妖怪画・怪談本が世に出回ります。これには従来の手書き写本に代わり、木版印刷による大量生産が可能になった背景も関わっていました。

 これらの使い道は個人観賞用のコレクションに留まりません。百物語の主催者は怪談会の趣向の一環として幽霊画の掛け軸を飾り、雁首揃えた語り手を脅かしたのです。

 『稲生物怪録』は江戸中期のベストセラー。これは主人公の少年・稲生武太夫が、夏の夜の肝試しをきっかけに、一か月間連続で怪異に祟られた顛末を綴る体験談。早い話がジャンプスケアを駆使したホラーモキュメンタリーで、次から次へ物ノ怪が襲い掛かるジェットコースター展開が絶大な支持を獲得しました。

 驚くべきは一人称バージョンの『三次実録物語』、語り口を三人称に改めた『柏本』、『柏本』や絵草紙を叩き台に平田篤胤が要約した『平田本』など、数々のスピンオフを生んだ売れ筋の勢い。二匹目三匹目のどじょうを狙い、関連本が続々と出版されたのです。

『平田篤胤全集 第8巻』に収録の稲生物怪録より。(出典:国立国会図書館デジタルコレクション)
『平田篤胤全集 第8巻』に収録の稲生物怪録より。(出典:国立国会図書館デジタルコレクション)

 戯作者・鶴屋南北が手掛けた歌舞伎狂言『東海道四谷怪談』の商業的成功も、怪談ブームを牽引します。

 昔の人々はとても信心深く、毎年お盆には地獄の釜が開き、非業の死を遂げた亡者の霊が湧き出すと恐れました。そこで弔いがてら、彼らの無念を物語る盆芝居を上演したのです。

 やがて盆芝居は納涼目的の涼み芝居に変化し、背筋も凍る恐怖と戦慄を求め、物好きが芝居小屋に押しかけました。とりわけ好まれたのが酸鼻を極めた事件の再現。この伝統は時代が下ると共に歌舞伎狂言に引き継がれ、毎夏怪談が上演されるようになります。

「東海道四谷怪談」といえばお岩さん
「東海道四谷怪談」といえばお岩さん

 『東海道四谷怪談』も元禄年間に起きた事件の翻案でした。もとになった『四谷雑談集』は江戸時代版『黒い報告書』と言えますね。『番町皿屋敷』は播州姫路が舞台の『播州皿屋敷』、『牡丹灯籠』は中国明朝の故事『剪灯新話』を浅井了意が翻案した小説、『御伽婢子』が原型となっています。

怪談ブームの火付け役は蔦重のライバル・鶴屋喜右衛門

 江戸を代表する版元といえば蔦重こと蔦屋重三郎ですが、そのライバルたる地本問屋、鶴屋喜右衛門(つるや きえもん)の功績も忘れてはいけません。空前の怪談ブームに目を付けた喜右衛門は、『富嶽三十六景』を仕上げて間もない浮世絵師・葛飾北斎に、百物語をテーマにした連作絵を依頼しました。

『冨嶽三十六景 凱風快晴』(出典:ColBase)
『冨嶽三十六景 凱風快晴』(出典:ColBase)

 北斎が手掛けた幽霊・妖怪画は5点現存しています。中でも一際強烈なのが鬼子母神モチーフの『笑ひはんにゃ』。嬉々として赤子の生首を鷲掴む鬼女の笑顔は、鋭い牙が生えた口が耳まで裂け、トラウマになりそうな恐ろしさ。もいだ首を柘榴に見立てたポーズも不気味ですね。

『百物語 笑ひはんにや』(出典:ColBase)
『百物語 笑ひはんにや』(出典:ColBase)

 かと思えば提灯に取り憑いた『東海道四谷怪談』のお岩や、ろくろ首さながら皿を連ねて古井戸から這い出す『番町皿屋敷』のお菊など、ユーモラスな戯画も描いています。

『百物語 さらやしき』(出典:ColBase)
『百物語 さらやしき』(出典:ColBase)

 さすがは画狂人と言うべきでしょうか、北斎がデフォルメした幽霊・妖怪はどことなく滑稽で、憎めない愛嬌を湛えているのが特徴。その反面頭蓋骨の縫合線まで描き込まれた髑髏の描写はリアルで、西洋から伝来した、解剖学の知識が生かされているのがわかります。

足のない幽霊の生みの親は犬の絵で有名な円山応挙だった?

 皆さんは江戸時代中期~後期に活躍した絵師、円山応挙(まるやま おうきょ)をご存知ですか?まるまる太った愛くるしい子犬が戯れる絵の作者と言えば、ピンとくる人もいそうですね。

応挙の代表作の一つ『朝顔狗子図杉戸(部分)』(出典:ColBase)
応挙の代表作の一つ『朝顔狗子図杉戸(部分)』(出典:ColBase)

 京都出身の応挙は花鳥風月に息を吹き込む、写生の達人として知られていました。そんな彼が天明4年(1784)、妻と妾を相次いで亡くした弘前藩家老・森岡主膳元徳に請われて描いたのが『返魂香之図』。

 この絵に描かれた幽霊は下半身が薄れ、足がスーッと消えています。

※参考:久渡寺HP 『返魂香之図』

 応挙は見たまま在りのままを転写する天才。彼が描く霊に足がないなら、それが真実だろうと皆思い込んでしまったのです。

 実のところ、『返魂香之図』が足のない幽霊の始まりか否かは、今もって議論が続いています。『返魂香之図』は古代中国の伝説『反魂香』に着想を得たもので、このお香を焚くと、煙の中に故人の幻が見えると語り継がれていました。中国の詩人・白居易も『李夫人詩』にて、反魂香の神秘を謳っています。

 ならば足は煙で見えないだけかもしれません。現状、足のない幽霊画の最古とされるのは寛文13年(1673)に出版された古浄瑠璃の挿絵、『花山院きさきあらそひ』。

 応挙に先駆けること111年、既に足のない幽霊は描かれていたのでした。

西の『沙界怪談実記』、東の『耳袋』

 怪談ブームが巻き起こったのは江戸だけではありません。上方の人々も怪談を好み、話題の怪談本に目の色変えて群がりました。

 安永7年(1778)には堺在住の鉄砲堂が、関西地方で起きた怪異譚、全50篇を纏めた『沙界怪談実記』を出版。残念ながら実物は残ってないものの、現存する資料から推察するに、実話怪談集の趣が強い本だったそうです。

 片や江戸では南町奉行・根岸鎮衛が、約30年に亘り公務の片手間に書き溜めた雑話集『耳袋』を出版。地方の古老から聞いた怪談奇談が収められた希少性もさることながら、武家や町民の生活が垣間見えるのが興味深いです。

おわりに

 以上、江戸中期の怪談ブームと幽霊画のコラムでした。

 一説によるとおよそ百年周期で波が来ており、日本人の怪談好きはご先祖様譲りと言えそうですね。小道具の幽霊画まで用意するあたり随分本格的というか、雰囲気作りに手抜きをしない遊び心に頭が下がります。幽霊に足があるかないかは見た者しかわかりませんが、百物語に臨む際はくれぐれも後ろにご用心ください。


【主な参考文献】
  • 堤 邦彦『日本幽霊画紀行: 死者図像の物語と民俗』(三弥井書店、2020年)
  • 近藤瑞木『江戸の怪談: 近世怪異文芸論考』(文学通信、2024年)

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  この記事を書いた人
まさみ さん
読書好きな都内在住webライター。

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